難を転じる「変身」の場所 1

2006/8/24

新潟県蒲原郡の内川家に伝わる「水神薬」という傷薬の由来の話です。

むかし、内川家の妻が厠(かわや)に入ったとき、冷たい手で下からお尻を撫でるものがあり、そんなことが幾晩も続いたので、代わりに亭主が女装(じよそう)して入り、下から伸びてきた腕を刀でエイっと斬り落としてしまいました。斬られた腕を人に見せたら、河童の腕ではないかと言います。
さて次の晩、7つか8つくらいの男の子が現われて、腕を返してくれと言い、いたずらのお詫びに、毎日、桶にいっぱいの魚を届けると約束しました。腕を返してやると、毎朝魚の入った桶が家の玄関先に届くようになりました。けれど最初のうちは良かったのですが、日がたつにつれ、だんだん桶の中の魚の数が減ってきて、二〜三匹しか入っていないようになりました。河童が現われて言うには、水神ヶ淵の魚が少なくなってもう獲れないので、代わりに河童の秘薬の作り方を伝授するから、魚はもう勘弁してくれとのことでした。このときの秘薬が、今も内川家に伝わる「水神薬」のことで、切り傷その他の効能があるそうです。

河童がイタズラを詫びて秘薬を教えるという昔話は、各地にあるそうです。
腕を切るというのは、約束の意味があるそうで、指切りとか小切手とかもあります。
お尻を触られたり、女装(じよそう)したりには、どういう意味があるのでしょう。
この話を紹介している飯島吉晴著『竈神と厠神』という本を参考にまとめてみます。

昔は、新しい着物をおろして着るときは、最初に厠に入る習慣があったそうです。生まれて7日ごろの赤ちゃんを、セッチン参りといって、厠に連れて行き、成長を祈る風習もありました。つまりそれらは、変身とか、生まれ変わりのことで、厠を媒介にすることで、人の魂の再生もうまく行く、というか、厠とは「変身の場所」であると考えられていたそうです。

人間の成長は、昨日と今日とでは、ほとんど変わり映えはありません。でも子どもから大人になるときなど、どこかでけじめをつけなければならないことがあります。選ばれたある一日に、今まで着たことのない大人の着物を着たりお化粧をしたり、それがつまり、大人への変身だったりするわけですが、そんなとき新しい着物を着たときは、最初に厠へ行ったのだそうです。

または、災いを福に転じようと思って、げん直しみたいに新しい着物をおろしたりもします。厠のそばにはよく南天(なんてん)が植えられるのは、「難を転じる」という意味なのだそうですが、男(なん)を転じるときにも、良いのかもしれませんね。

難を転じる変身の場所 2

2006/9/8

今日はスカトロジーの話なので、嫌いな人は注意してください。

8/24の記事の「難を転じる変身の場所」とは厠(かわや)のことでした。
ところで英語のトイレという言葉は、フランス語から来たのだそうで、もとの意味は「化粧室」。そのさらに古い語源は「麻布(あさぬの)」の意味だそうです。化粧台の上に麻布を敷いたからだとか、麻布は衣料一般のことなので「着替え部屋」の意味でもあるのだろうという話。
トイレというのは、日本でも西洋でも、着替えや化粧と深い関係にあるものだということになります。
日本語の「かわや」の意味は、川に建てたからだとか、母屋の側に建てたからとかいわれますが、変わったり交わしたりの「交屋(かわや)」の意味ではないかというのが、8/24の記事で紹介した本の著者の説です。

人間は土から生まれて土に帰るといいます。死んで土に帰るというのは事実としてよくわかりますが、「土から生まれる」というのが今一つぴんと来ません。母体を大地にたとえて言ったのだというのも、抽象的すぎて後から考えた知識みたいです。
生まれてまもない赤ん坊を雪隠参りといって厠に連れて行ってうんちを食べさせるようなそぶりをする民俗習慣もあったそうです。厠は大地の奥に通じているものなので、大地から生まれたことを確認するために雪隠参りが不可欠なのではないかという話。
母体の中からこの世に現れるものという意味で、赤ん坊とうんちを同一視していたように見えるところもあったらしいです。
となると二種類の性交の意味はどうなるのでしょう。人間の命を新しく再生させるのがVの交わりだとすると、Aの交わりは大地の再生になるのかどうか。

フランスのベルサイユ宮殿にはトイレがなかったらしいですが、日本の京都の宮殿も、同じ建物内にはなかったようです。けれどその代わり、おまるのようなものがあって、犬張り子のような形をしていた、というか、犬張り子におまるの機能があったらしいです。犬張り子は出産のお守りでもあったのですが、大地の象徴物を秘めたお守りという意味だったのだと思います。