上杉謙信女性説について

2006/8/3 木

ネット上で「姫若子」の関心が高いようなので、調べてみたら、「戦国BASARA」というゲームの影響のようでした。そういうページを見てたら、戦国時代の越後の大名・上杉謙信は女性だったという見方があるのを知りました。

上杉謙信女性説というのは、ずっと昔から言われていたことらしいのですが、今のように注目されはじめたのは八切止夫氏の著書によるところが大きいようです。それを参考にして、いくつかの項目に整理して書かれたと思われるページがあります。
http://www.interq.or.jp/asia/kakka/sacc/cg/list/nobunaga/kensin_w.htm(リンク切れ)
このページについて、いくつか感想を書いてみます。

謙信が49歳で亡くなったときの病名は「大虫」といい、更年期の婦人病のことだそうです。「大虫」は虎の意味でもあるようで、上のページでは「民俗では云々」と書かれていますが、民俗というより「古い中国語で虫は広く動物を意味し、虎を大虫と呼んだ例もある」(小学館関連のページ より)ということなのでしょう。幼名は虎千代で成人して景虎と名のり、生まれた年も亡くなった年も寅年というわけで、虎に縁があるわけです(この記事へのトラバも面白いかも ^^;)。

謙信が毎月10日ごろになるとよく腹痛をおこしたのは、生理痛のせいではないかといいます。亡くなるときも、3月9日に腹痛になって13日に息を引き取ったそうで、時世の歌が……

  極楽も地獄もさきは有り明けの月の心にかかる雲なし

というのですが、「有り明けの月」(朝がた西の空に残る月)は旧暦で16日以降でないと見れないはずで、この歌は後世に作られたものなのでしょう。戦国の武将の辞世の歌はそういうのが多いらしいですね。

謙信の使用または所蔵していた衣装の中に、赤色の派手なものがあるからといって、それらを女性の衣装だろうと考えるのは早計にすぎます。
上杉謙信
女性説の反対意見で、「女人禁制の高野山に2回登山した」のは女性ではありえない、というのがあるそうですが、細川淳一『漂泊の日本中世』などによると、白拍子(男装の巫女)は山に入れたこともあったそうなので、男性またはそういう特別のジェンダーと見なされれば問題はなかったのでしょう。

画像は角川書店『世界人物逸話事典』からのものです。謙信の肖像にはヒゲが描かれることが多いのですが、違う絵を探してきました。

このページも面白いかも なころぐ:上杉謙信は女だった?