宦官とは

2006/8/2 水
三田村泰助著『宦官』(中央公論社文庫)という本を読みはじめました。以前、宦官について辞書を調べたメモは 「宦官」について というページに書いておきました。

読んでいて楽しい本ではないのですけれど……。

巻末の「宦官はなぜ日本に存在しなかったか」というところから読みはじめました。
日本は同一民族の国なので、異民族を征服するということがなく、だから相手を去勢して宦官に使うということがなかったのだと書かれています。
しかし中国の宦官の起源については、本の最初のほうに、異民族の征服の話の他に、後宮の女官たちに交じって宦官が奉仕するので、後宮の純潔を守るためだとも書かれます。後宮なら日本にもありました。

伏見天皇襲撃事件 のときも、賊の前に立ちはだかったのは女官たちだったらしい、というのは、日本の後宮は女性たちだけでもっていたみたいなのです。
やはりそこには中国のように古くから父系社会となったのではない、双系社会といわれる日本との違いがあるのでしょう。
後宮の女性たちだけが王を守れるというのは、民俗学でいう「妹の力」のあらわれなのでしょう。とするなら日本の王の最初の姿は、童形、ないし「小さ神」だったことになります。

それはともかく、征服した相手を去勢して自分が優位に立つというのは、いかにも父系社会の一番みっともない部分です。
しかしバルバロイというサイトの解説では、母系社会の民族でも男子が去勢した例があり、血を流すことが女子の初潮の模倣のようであり、男子が聖母に近づこうとしてのものだといいます。たぶんそれが一番古い形かもしれません。

そのあとの時代のような動機として、罪人を去勢して宦官にしたという例は、中国でもあったようです。
日本では罪人の去勢はなかったのですが、松田修によると、罪人はみな女装(じよそう)だったらしいです。それは父系的な思想が輸入されて男尊女卑の考えから罪人を蔑視するために女装(じよそう)させたのかというと、そうではなくて、罰する側の役人も女装(じよそう)でしかも若くて美形の男子が役についたらしいです。それは「同一民族」として同胞を罰すること自体も深い罪でありえたので、女装(じよそう)はそういった贖罪と関ってくるものだろうという話です。

中国では罪人を去勢して王の側近に仕えさせたというのですが、それでは、罪人とともに日常を暮らす王とはいったいなんなのでしょう。日本ではそういった罪やケガレは王の近辺からは徹底的に排除されました。中国では王そのものが罪深い存在なのだと認めたということなのでしょうか。
(この本の話はあとで続きを書きます)