姫若子・長曾我部元親

2005/6/16 木
 伊東聰さんのさとしの人間総合研究所 というページに、若き日に「姫若子(ひめわこ)」とも呼ばれた戦国時代の武将・長曾我部元親のことが書かれていました (「戦国の雄とよばれた"姫"若子」 http://www.geocities.jp/ stshi3edgid/ hs_motochika.htm リンク切れ)。ちょっと気になった点を整理してみます。

 長曾我部元親(長宗我部元親とも書きます)は、乱世の時代に四国のすべてを平定して領土におさめ、四国で最も名をはせた武将なのですが、彼の少年時代は「姫若子」と呼ばれた優しいだけの美少年だったそうです。もともと殿様のおぼっちゃまの生まれですから、子ども時代に華やかな女装(じよそう)やお化粧をして過ごすことは当たり前の時代でした。けれど彼は元服を過ぎても座敷にこもって武術の稽古をすることもなく、22歳まで女性のように生活していたため「姫若子」と呼ばれたのだそうです。その彼が22歳の初陣のときに突如槍を使って戦功を立てたというのですが、全く肉体を鍛えずにそのようなことができるのかどうか、少年時代の話にはやや伝説の要素もあるのかもしれません。

 伊東さんは、彼の少年時代にGID(性同一性障害)的な傾向があったとして、そのような人は、成人後の行動にもそれらしい特徴があるものだということを、詳しい事例を紹介しながら分析しています。
 戦術については、兵の心理を巧みにつかんで士気を鼓舞し、敵に対しては心理的に撹乱したり、情報戦をしかけるような武将だったといいます。
 元親は、自ら軍の先頭に立って正々堂々と勇ましく戦うといったタイプの武将ではなく、弟たちにもライバル視することなく持ち場を与え、家臣たちに意見を言わせてそれを取り上げて、自分の主張に沿って強引にものごとを進めていくことはしなかったようです。
 それは伊東さんのいうように、一族の姉のような包容力をもった指導者なのでしょう。またあるいは、彼が常に黒幕ないしは総監督のような立場にあるのは、お殿様としてじゅうぶんあり得ることで、自分の腕力だけに頼って敵を一人一人なぎ倒す必要はないわけです。そして、それが彼の実像だとするなら、むしろ伝説化されたのは初陣での大活躍の話であって、姫若子の話がその通りの事実なのかもしれません。

 元親は、戦いに向けて神懸かりのふるまいによって家臣たちの士気を上げたそうです。それは確かに心理操作のようにも見えます。そういうものを信じ込む家臣たちだから効果があるのかもしれませんが、より一層の「効果」があるのは、元親自身が自らの神懸かりを確信し、確実に神の憑依を受けることでしょう。それはもはや心理操作といったたぐいのものではなく、古代からの日本や新羅国の花郎などの戦い方そのものだといえます。22歳の初陣のときに元親はすでに神懸かりを見せたといいます。となれば、そのときの元親の姿は、古代のヤマトタケルや新羅の花郎と同様に、「姫若子」の姿以外には考えられないのです。姫若子の話も大活躍の話も、どちらも単なる伝説ではなかったのです。

 情報戦や心理作戦にたけた人物、という後世の歴史家の評価は、神懸かりなどの戦いの信仰を信じられなくなった時代に積み重ねられてしまったものであって、軍事パワーなどの他に何かがあったということだけを言っているのにすぎないのかもしれません。
 あるいは逆に、心理作戦にたけたという評価の人物を広く探してゆけば、姫若子のような人物にもっと出逢える可能性があるようにも思います。

 司馬遼太郎の「夏草の賦」という小説は長曾我部元親を主人公にしたものだそうですがまだ見ていません。