稚児が黄金を生んだ話(今昔物語)

2005/4/29 金
 もう一つ稚児の話です。今昔物語・仏法編から。
 京の雲林院に住む貧しい僧が、鞍馬山に詣でた帰りに、出雲路というところで、美しい稚児に出会います。稚児は年のころ十六、七、白い着物を着て、僧に声をかけてきました。おたがいに身寄りのないものどうし、僧は稚児を自分の房に連れて帰ることにしました。
 僧は、今まで女の裸を見たこともなく、女とはどういうものか知りませんでした。そばで美しく可愛らしく振る舞う稚児は、もしや女なのではないかとも思いましたが、僧にとっては幸福な日々でした。そして夜を重ねてゆくうちに、稚児は身ごもったようだといいます。
 やはり女だったのでしょうか? そうこうしているうちに赤ん坊が生まれそうになり、稚児は壺屋の中に畳を敷いてもらい、中にこもりました。しばらくして僧が壺屋に入って見ると、稚児は消えうせ、稚児の着物にくるまっていたのは赤ん坊ではなく、黄金の石でした。黄金は鞍馬の毘沙門天のほどこしであり、それを元に僧は豊かで名のある僧になったとか。

 女ではなかったようですね。ここでも稚児のほうから声をかけてくるわけです。
 ともに暮らし始めてからの僧の懐疑に対して「たとえ女であっても稚児として対してくれれば問題はおこらない」という稚児の言葉。稚児と僧の二人がそれらしくあれば、周囲もそう認めることに間違いはないのでしょう。
 毘沙門天は七福神の一つで、財宝を施す神とされるので、黄金を生むという話になるわけなのでしょう。

腰に鮭(宇治拾遺物語)

2005/6/27 月
宇治拾遺物語、巻一の中の話。
越後から20頭の馬に大量の鮭を積んで京まで売りに来た行列がありました。そこへ、みすぼらしい身なりの大童子と呼ばれる者が、すれちがいざま鮭を2匹引き抜いて行きました。大童子とはお寺の下男のような者でしょうか。その馬をひいていた男は、この盗人め!と大童子を捕らえて詰問すると、大童子は居直って、盗んだのはお前じゃないのかというので、男は、それならこれを見ろとばかりに、ふところを広げ袴を脱いで前もあらわに見せつけ、大童子にも脱ぐように迫りました。大童子がしぶしぶ袴を脱ぐと、腰のところに鮭が二つ差してありました。大童子が言うには「どんな女御やお后でも腰にサケの一尺や二尺ない方があるはずはない」と言うと、周囲からどっと笑いが起ったとか。(尺とは鮭の数え方でもあり、鮭と裂けをしゃれたわけです)

大童子とはお寺の下男のような者かと書きましたが、年齢は大人で、髪型はオカッパのような男のことをいうようです。
この男が、自分を女御かお后にたとえるわけです。髪型も通常の男子とは違いますし、どこかに男子でもなく性別を越えたような意識があるのかもしれません。稚児と違って見た目は美しくはありませんが、それ以外のことでは稚児と似たような点も多かったのかも。

鮭を引き抜いたことが見つかってこの話は終わりですが、盗んだものを返したかどうかはわかりません。……というと、今の人は妙に思うかもしれませんが、神仏に関わるこういう人たちの場合、盗みは盗みでなくなる場合があるようなのです。柿を盗んだ山伏が老婆に見つかって追いかけられますが、山伏の呪術で老婆をこらしめるなんていう説話もあります。鮭二尺は通行料かもしれません。こういう異装者による「盗み」の系譜は、歌舞伎の弁天小僧などの白浪物にも連なっていってしまうのです。

童子といっても年齢は若くないのは、稚児が幼くないのと同様です。
『稚児草子』という絵巻の画像をあるサイトで見ました。稚児は年齢は成人なので、からだの大きさは当然男性と同じくらいです。丸みをおびたからだつきなので、男性より太って見えます。顔はなめらかで髪型も女性そのまま、色白で、手足は小さめでした。胸のふくらみと陰部を除けば女性そのままと見ることができます。そのページに引用された橋本治氏の「逞しい色白な体育会青年」という見方は現代のゲイのイメージを投影しすぎてそう見えたのでしょうか(子供だという先入観があったので大きさにびっくりしたということかも?)。家柄や育ちが良く、土を踏んで外を歩いたこともないような、お姫様育ちの稚児も多かったらしいです。