『秋夜長物語』(中世稚児の物語)1

2005/4/10
 「鳩子の忘れな草紙」では古典文学も読んでみます。
 最初は『秋夜長物語(あきのよのながものがたり)』。テキストは、ちくま文庫『お伽草子』の現代語訳版。
 室町時代ごろの成立といわれる、僧と稚児の物語ですが、前半は恋愛ドラマ、後半は冒険ドラマという構成で、とても面白いストーリーです。
 詳しい内容を紹介したいのですが、その前に確認しておかなければならないことがあります。

 現代語訳で「年の頃十六歳位に見える少年が」という部分がありますが、原文では「よはひ(齢)二八ばかりなるちご(稚児)の」となっています(「二八」とは掛け算で十六のこと)。「稚児」という言葉を「少年」と言いかえている部分がかなりあるのです。今は、少年愛という言葉が定着してしまっているので、「少年」と訳したのでしょう。けれど、この「少年」という言葉から「男子」だとか「幼い」という連想をもつのは誤解の元になるということです。
 「年の頃十六歳」ですから、当時では、普通なら元服を終えた成人です。俗世間の男子は元服すると、身分に応じた成人男子の髪型や服装になりますが、稚児はそうはなりません。神仏に関る特殊な立場だからなのでしょう。3/1「鎌倉放生会職人歌合」のところで「うなひ」という「童」の意味の言葉が出てきましたが、神仏に関る特殊な成人男性としての持者は、「うなひ」とも呼ばれ、童形のような女装(じよそう)のような、普通の男子とは違ういでたちでした。神仏に関わる様々な聖なる職の人たちの多くが、成人になっても童形のままだったらしく、稚児もまた女装のいでたちでした。稚児の場合、他の違うのは、身分の高い家柄の生れであることが多かったことです。
 女装でしたので、絵巻に描かれた稚児と女性を区別することはほとんど不可能だともいわれます。
 この物語に出てくる稚児の梅若は、十六歳まで牛車に乗ることはあっても土を踏んだことはなかったとのこと。したがってからだつきまで成年男性とは程遠く、ほとんど女性そのものと見なしたほうが、むしろ事実に近いわけなのです。「年の頃十六歳」の女性と見るなら、初々しく、また結婚適齢期でもある女性なわけです。
 そのような点に注意して読み進めてみましょう・・・・というところで続きは次回です。^^ゞ

秋夜長物語 2

2005/4/18
 比叡山の若き僧・桂海律師が、近江国の石山寺の観音のもとで修行中に、七日目に夢で美しい稚児を見て以来、煩悩にとりつかれてしまいます。
 それではいけないと再び石山寺に詣でる途中、三井寺の前で中を垣間見ると、桜の木の下に、夢で見たあの美しい稚児がいるではありませんか。いよいよ思いは募るばかり、翌朝早くに寺へ行くと、中から童が現われたので、尋ねてみると、稚児は梅若と呼ばれる高貴な生まれの人とわかり、ますます修行どころではなくなって、比叡山に引き返してしまいました。
 桂海は、何日も悩んだ末に思いを打ち明けようと、再び三井寺に出向いて、童に一首の和歌を託します。それに対する梅若の返事の歌は、そんなに簡単にOKというわけにはいきませんというものでしたが、桂海は返事がもらえたことだけで満足して山へ帰ろうとします。けれども途中で引き返してみたりで迷っていると、そこへ馬に乗った童が現われ、梅若の本当の気持ちの歌を伝えて、桂海を引き留めたのです。そして桂海は三井寺の内に宿舎を借り、人目を避けながら機会をさぐっていると、十日余りすると桂海の宿に梅若が現われ、二人は枕をかわすことになったわけです。

 ----梅若から最初にもらった歌は、OKの返事ではありませんが、含みのないものではありませんし、すぐに引き下がることもないとは思うのですが、そこはやはり修行の身だからなのでしょう。もし童が引き留めに来なかったら、そのまま諸国を流浪するしかなかったような桂海さんでした。
 梅若の見かけは女性そのものであるとはいえ、身分が違いますし、交互に歌をやりとりする男女の対等な関係とはやはり違うわけなのでしょう。その夜には梅若のほうから、男の部屋に出向いてくるわけです。二人は「行く末までの互の心を深く誓い合った」のですが、けれど一夜の契りで桂海は山へ帰ります。
 梅若の態度は処女のようにも見えるのですが、こういうことは何度もあるのかどうか、でもそれは愚問というもので、稚児は常に聖なるものであって、物語の本筋からずれないようにしましょう。
 蛇足ですが、馬に乗った「童」というのも子供ではありません。要するにお寺のスタッフの一人ということ。

秋夜長物語 3

2005/4/25
 この話は今回が最後です。
 桂海律師と梅若が宿を共にしたとき、「行く末までの互の心を深く誓い合った」といいます。現代の一夜の契りでも、そういう気分は大切ではあります。
 このときの梅若は、よく読むと、髪を結いあげた「初元結(はつもっとい)」とあり、これは男子の元服のときにこういう言葉を使うようです。普通の男子は髪を結いあげたあとに烏帽子(えぼし)をかぶって成人となるわけですが、その役にあたる人を烏帽子親といい、桂海は烏帽子親にもなるわけで、つまり親密な関係ということでしょう。梅若にとっては成人を迎えた夜の意味になりますから、やっぱり初めてのできごとというべきなのでしょう。
 梅若の元を去って比叡山に帰った桂海でしたが、二人の心は離れがたく、梅若のほうから桂海に逢おうと旅に出ます。ところが途中で、梅若は山伏に化けた天狗に誘さらわれ、吉野の大峯山まで連れられて石牢に閉じこめられてしまいます。大峯山は女人禁制の山伏の山ですが、静御前が白拍子の服装で義経を訪ねて行ったのもその山でした。
 その後、比叡山と三井寺の僧たちの間で争乱がおこり、三井寺は焼かれてしまいます。争いの原因は梅若と桂海にあるようにも書かれますが、どんな意味なのでしょう??。
 梅若は、竜に救出され、寺に戻ってみたのですが、無残に焼かれた寺のありさまを歎いて、瀬田の橋から身を投げてしまいます。「紅梅の小袖に水干」を着ていたといいますから、白拍子のような服装でしょうか。
 梅若は観音の化身だったといいます。水に身を投げる悲しい物語は日本には多いのですが、かぐや姫が月に帰ったように、竜のすむ水の世界は梅若の故郷であり、梅若ももとは水から現われた水神の使いだったのかも。