「おねえさん」と「子ども」

20年も前のことですが、母親くらいの年のトランスのお姐さんに対して、手紙で「おばさま」と書いてしまったら、返事の手紙にチクリと「おねえさん」と呼んでほしいようなことが書かれてありました。そうですね。失敗でしたね。
私自身は今の年齢になって、おばさんでもかまわないのですけれど、トランスの関係者の中には、お店に勤めている人の割合が比較的多いですし、そういう世界では「おばさま」ではしっくりこないというのもあると思います。芸者さんは70歳になっても何歳になっても、お姐さんです。
それと、時代の変化というか、昭和20年代にはNHKに「歌のおばさん」という人がいましたが、40年代以後は「歌のおねえさん」になったような、そういう世間の影響もあるのかも。

江戸時代の若衆(若衆歌舞伎などの若衆)も、何歳になっても若衆です。
鳩子もごく最近でも「女の子」と呼ばれることがあります。
江戸時代では、舞台子や陰間は「こども」と呼ばれることもありました。小児愛ではありません(念のタメ)。愛らしいものをそう呼んだのでしょうね。

中世以前の牛飼の童なども、子供ではありません。和泉式部の部屋に入れてもらった牛飼童は、美形の青年だったと思いますが、こういう童も何歳になっても童です。海童といえば、ポセイドンのような神様のことですが、神そのものや、世俗と離れた神仏に近い人たちを、童と言ったわけなんでしょうね。昔の稚児というのも同じです。稚児愛を小児愛とみるのは間違いです。
稚児物語の「秋夜長物語」については、前にも書いたことがありますが、加筆しようと思いましたが、そのままこちらにもアップしておきました。
『秋夜長物語』(中世稚児の物語)
鳩子のばあいは、いつまでたっても子どものような部分があるのですが、それはまた別の問題です。

人生はパートタイム

一つの職業のために朝から晩まで働き、一生それを続けることが、望ましい人のありかたであるかのように日本人が思いこんでしまったのは、いつのころからか、そんなに古い時代からではないようです。
もともと日本の農業は小規模だったこともあって兼業が多かったですし、何を作るかはある程度自分で決められました。商業は時代に合わせて商売替えするのはあたりまえ、労働時間だって昔の大工さんは一日4〜5時間くらいしか働かなかったらしいです。それでも普通に暮らしてゆけましたし、おまけに自由な時間もたくさんあったわけです。
一生を一つの職業に賭けるというのは、もっともらしく聞えますけど、そのなかみは、一生を一つの企業に尽くすということを、違う言葉で言い替えただけのことなのでしょう。サラリーマン社会では転職は不利だとまで言うようになってしまいました。

ここまで書いてみて、上の「職業」とか「農業・商売」……というような言葉を、「ジェンダー」と置換えてみると面白いと思いました。兼業ジェンダーとかジェンダー替えとか、古い歴史がそうだったというわけではありませんが、一つの理想のありかたであるようにも思えるのですが、今日はあまり脱線しないようにしましょう。

10%の失業者がいたとしても、みんなが仕事を10%減らせば、その分の仕事が余りますから失業者はなくなるはずだと、ずっと思っていたのですが、さいきんオランダのワークシェアリングのことを聞いて、できないことではないのだと思ったわけです。オランダという国は、低地が多いために、堤防工事などみんなで力を合せてものごとに取り組む慣習が根強いお国柄というのもあるそうです。
日本は狭いわりに地形が複雑ですから、全体で力を合せてというのはあまりなかったのかもしれませんが、狭い村や地域単位では、みんなが協力することは普通のことだったようです。やっぱり地域の自治が復活してゆくようだったら、日本もまだまだ捨てたものではないかもしれませんね。

働くことを減らしたり、複数の職業を自然に持つことができたら、豊かな気持ちで暮らせそうです。
50代なかばで早めにリタイアして、余生を趣味の人生として楽しみたいという人もときどきいらっしゃいます。これは生涯の労働時間を減らすことになります。
そのほかでは、なかなか良い方法は見つからないかもしれませんが、気持ちだけでもそういう状態に近付ける方法はないものでしょうか。

生活のために働くだけが人生ではありませんから、働くことはもともとパートタイムのものだったことになります。
人生とはままならぬもの、諦めなければならなかったことがあったとしたら、人生そのものがパートタイムだったことになります。もう一つの人生は、それもまた人生で、ままならぬものどうし。心の中でくりかえされる人生に、懐かしいものを感じることができた瞬間もまた、おつなものかもしれません。
(つづきは、もう少しちゃんと書きたいものです)

人生はパートタイム(前置)


夏ですね。^^;;;;

夏休みみたいな自由な時間が、
たくさんあるといいですね。

皆さん、あまり働きすぎないように。

パートタイムの王子さまではないけど、
「人生はパートタイム」というタイトルで
書こうと思ったのですが、
詳しくは、またあとで。

日本人は働き者であるという見方は、ちょっとちがうんじゃないかというお話。それを証明するなまけものの人はたくさんいらっしゃいますからね。

トランスでリサイクル

GDP(国内総生産)というのがあって、国の経済成長などの目安にされているのでしょうけど、そのGDPに含まれないものがたくさんあるそうです。家事労働やボランティア活動、リサイクルなど中古品の売買全般などです。それぞれが大事なこととは思うのですが、これらをより軽視して、数字上の経済発展のポイント稼ぎだけに撤すれば、更なるポイント上昇が見込めるという考え方なのでしょうか。

リサイクルについて、変なたとえですが、ある男の子が男の子としてはどうも使えそうにないので、トランスして、女の子としてリサイクルしても、それでは人口が増えたわけではないので少子化対策にはならないというのは、一つの経済の理屈なのかもしれませんね。飛躍したたとえではありますが。

やっぱりもっと江戸時代のようにリサイクルを見なおすべきなんでしょうね。リサイクルによって最初の価値が何倍にもなることもあるわけですから。
トランスの世界でも、普通の人の2倍の人生を楽しんでいるとおっしゃる人がいましたよね。
GDPという古い考えは廃止して、リサイクルをポイントに計上する方式を取り入れれば少しは違うようになるかも。

わが半生記は

某動画サイトで、はるな愛さんの、子供時代からの思い出インタビューのようなものを見てきました。10分以内にまとめてあって、笑いと涙とペーソスの半生記といった感じ。ぽろっと落ちたひとしずくの涙がニクイですよね^^;
6年前には某区議会議員に当選した上川あやさんのサイトで、手記のようなものを読みました。こちらは笑いを主体としたものではありませんが、ストーリーはよく構成されていました。
それ以外はあまり見たり読んだりしたことはありません。はるな愛さんのものは別ですが、シリアスなものが多くて、こちらが情緒不安定になってしまうからです。
5〜6年前には、あと何年かすればそういう動揺もなくなるのではないかと思えたのですが、人生ままならずというか、人はそんなに変われるものではありませんね。今もまったく同じです。
そんなわけで、そういったドラマもドキュメントも、実は何も見ません。ほんとにぜんぜん見ませんね。でも見た人の感想を聞くのは、人によって感想が違うので面白いです。
わが半生記をまとめるとしたら、これまでに書いたような散文詩風のものをただ並べるだけら、すぐできそうです。これは私のような人を動揺させるものではありません。

インターネットを使うと、不確かな似たような情報ばかりが大量に集まっていって、人の気持ちを一つの方向にいたづらに増幅させてしまうことがままあります。とはいっても、情報を吟味してばかりいては前へ進めませんので、あとで気づいたときに少し引き返せるようにしておくことが肝心なのでしょうね。「一度始めたら戻れない」なんて、官僚政治みたいですし、いやですよね。

はてなブックマークからの「おすすめ」

 性同一性障害という言葉がだんだんとごく普通に使われるようになってきているようで、必ずしも完全肉体改造願望ではない人たちまでふくめて、「心の問題」になってきているというわけなのかもしれません。20年くらい前のお姐さんたちが「トランスジェンダー」と言い始めたころのトランスジェンダーの意味にずいぶんと近づいているようです。20年前のお姐さんたち(?)のなかには私も入るのかもしれませんが。

 さて、ここの日記は「はてなブックマーク」に登録してありましたが、最近見たら、はてなからの「おすすめタグ」のなかに「性同一性障害」が入っていました。なるほど、機械処理で当サイトにふさわしいキーワードを提案してくれたのですね。機械も善意?なものです。トランスジェンダーという言葉を使っているので、その類義語ということなのでしょうけど、たしかに世間ではそうなふうになってきています。
 二つの言葉の意味がだんだん近づいてきて、トランスジェンダーのほうへ引き寄せられてきているようですね。

桃太郎と女の子

マザーグースの歌は同じ歌でも英国の地方によって詩やメロディが異なっているものがあるそうで、日本の昔話でも香川県で桃太郎は女の子だったりするように、さまざまなものがあるのと同じだと、鷲津名都江先生の本に書いてありました。
そこで気になって未来社の『日本の民話』という本を見たのですが、香川県の部には桃太郎の話が2つありましたがどちらも男の子でした。同じ県内でもさまざまなのでしょうね。
インターネットで検索すると、ほうぼうに書かれてましたが、ほとんどがWikipediaのコピーのようです。Wikipediaの記述は簡単すぎて出典も書かれてありません。

小西酒造のコラム「食卓日本昔話」でやっと見つかりました。
「おばあさんが川から持ち帰った桃は食べてしまいます。桃を食べて若返ったおじいさんとおばあさんに子どもができ、男の子のように元気のいい女の子が生まれます。そして、あまりにかわいいので鬼にさらわれないように桃太郎と名づけ育てる」。
http://www.konishi.co.jp/html/fujiyama/column/cooking_j/momo/
なるほどと思いましたが、でも最近の脚色が加わってるような気がしますね。からだの弱い女の子にクマとかトラとか強い動物の名を付けることはあったでしょうけどね。鬼がさらってゆくのはからだの弱い子なんです。それは夭逝を意味します。元気すぎた女の子なら、もっとしおらしい名前にしてバランスをとると思います。「鬼が可愛い子を選んでさらう」というのが古い昔話っぽくない気がするんです。この「鬼」は現実の人間の形をした「鬼」なのかもしれませんね。
「さぬきの桃太郎」http://tetsutanaka.blog58.fc2.com/ という讃岐(香川県)地方の専門的サイトがありましたが、女の子という話は見つかりません。

落語のしぐさ

CD付きの落語の隔週雑誌に、落語家による「女性の仕種」の基本のことが書いてありました。五街道雲助師匠でした。いくつかピックアップしてみますと……
「からだを左右非対称に」……これは写真ポーズでも基本でしたね。座布団の上の和装ということだと思いますが落語では「両手を片方のひざの上で重ねる」だけでもよいそうです。ちなみに、椅子で洋装のときは、ひざから下を斜めに揃えるだけでもいいわけでしょうね(足先は引っこめすぎないほうがいいらしいです)。
笑うとき口もとを片手で隠すときは、和装ですから袖の先で隠すそうです。手は袖の中に引っこめてるわけです。普通は手を出したまま隠すと思いますが、それではなまなましすぎるからでしょうか。(落語家の男性の手だからということでなく、昔の女性がそうだったのかも)

トランスネタが少ないですが


最近カウンタの伸びが良いみたいなので、解析をみたら、やっぱり旧ページばかりですね。新しいページを見てくれる人はそんなに多くありません。でも新しいページもすぐ旧ページになりますし、旧ページとして見てもらえるのもうれしいです。それに備えて?古いものに手を加えたり編集削除などはよくやってます。

ここんとこ、トランスネタが少ないです。
年齢が増えて行ったら、ジェンダーなんてどっちでもいいんじゃないかと思うようになるかもしれないと思っていました。日常的にはまだそうはなっていないのですが、書く内容がそうなってしまったのかもしれませんが、書くときのヒントをもらえるようなトランスさんのサイトが少なくなったのがいちばんかもしれません。
またトランスネタもやりたいですね。

昔は腐女子の人のサイトの掲示板に書き込みにいったりしたこともあるのですが、最近は引っ込み思案になりました。HPの非トランス系のリンクが増えるようなことをやってみたい気もします(ゲイ系はどうでしょうね)

安定化トランス

テレビの視聴率ランキングで、NHKが民放を押さえて第一位になったというニュースがありました。民放の似たりよったりの安易な番組が飽きられているようなお話です。

先月ごろのニュースでは、インターネットで過去の番組を配信するプランが進んでいて、これについては民放はNHKにまったく太刀打ちできずに完敗になるそうです。再放送に値する番組が民放ではほとんどなくなっているようなお話。

最近はなんとなくテレビをつけてみるということはなくなりました。番組表を見て誰それが出る音楽番組だから見ようとか、目的買いのようになっています。そういうときはNHKが多いかもしれませんね。

うちのホームページも、NHK風なところがあるのかも。2〜3週間更新なしでも、毎日200ポイント以上のアクセスがあったみたいですからね。過去の蓄積というのは、あなどれないものなんでしょう。
電圧を一定に保つ安定化電源ではありませんが、「安定期のトランスジェンダー」というテーマで何か書いてもいいかも。

# ジェンダー(社会的性役割の社会的とは)

ジェンダーとは、生物学的な性とは微妙にシフトしていることもある文化的ないし社会的な性のありかたのこと、というのが普通の解釈だと思いますが、
人間の生活で意識されるのは、ほとんどがジェンダーのほうなんでしょうね。(出産などについてもそう言えると思いますが難しくなるので割愛。)

ジェンダーのことをときどき漢字6個で社会的性役割なんて書かれると、窮屈に感じてしまうこともあると思います。社会的とか役割とか、ある種の「社会参加」をしなければいけないような……? でも人間はどう拒否しようとも社会的な存在なのです。

社会という言葉は英語のsocietyの翻訳語として100年ちょっと前にできたものらしいです。societyには、社会という意味だけでなく、団体とかグループとか、身近なところでは世間とか交友関係とか、そういうマクロからミクロまでの幅広い意味が辞書にも載っています。
交友関係での性役割ということなら、パートタイムの夫婦関係のようなものをお持ちのトランスジェンダーさんもいらっしゃるそうですが、それでもじゅうぶんなsociety的な性役割をつとているわけです。交友関係が広い人もいれば、狭い人もいます。それは単なる個性の違いですし、個人的なものでしかありません。それが世間というものです。
単なる私企業に雇用されることが「社会参加」でもないことはすぐに理解できると思います。私企業がどんなに大きくても、雇い主との関係はどこまでいっても私的な関係でしかありません。我こそは社会である、なんておこがましいったらないです。生産とか職場ということになると別の話になりますけど。
ま、無理せずにやっていくのが良いと思います^^;

TGですか?CDですか?

あなたはトランスジェンダーですか、それともクロスドレッサーですかと、ある男性からメールで質問されたことがあります。その男性は、何かそういう方面の研究でもされている人なのかというと、そうではないみたいです。
どちらも見た目は同じようでも、話し方や気持ちとか内面の女性性をその人は求めていたようです。要するに交際相手の候補者選びの基準ということなんでしょうね。

Yahooでトランスジェンダーと検索すると、個人サイトでは、MRさん、MJさん、Aさん、そしてなぜか私まで入ってますが、狭義トランスジェンダーというか、フルタイムでもないような(たぶん)、少し古い世代(たぶん)の感じがして、懐かしいものですね。

さて写真はうちのパソコン内を検索したときの最古の画像ファイルです。「1997年10月7日 0:00:58」という更新日付になってると思います。これは撮影時刻ではなくて、カメラからケーブル接続でパソコンに保存したときの時刻みたいです。VGAサイズの無加工のオリジナル画像ということですね。クリックするとオリジナルサイズになります

トランスジェンダー


私がトランスジェンダーという言葉を初めて意識したのは、1995年の末ごろでした。
あるお姐さんの手紙に、自分はトランスジェンダーであると書かれてありました。その人は医学の専門家でもあり、Qで始まる名前の雑誌に用語解説も書かれたとのことでした。彼女のトランスは、主として自宅内で、たまに旅先などで、今風に言えばパートタイムのトランスジェンダーということになるのでしょう。

彼女の手紙には、私のことを女性ホルモンを服用しているのだろうと決めて書かれてある部分があったので、そうではないことを返事に書きました。彼女もそれは同じでしょう。けれど私はあまり勉強をしてなかったので、自分もトランスジェンダーかもしれないとは、書きませんでした。

トランスジェンダーとは、もともとは、女性ホルモンすら手を出さずに、そのままでジェンダー(性役割)のトランスを望む人のことで、肉体の変化まで望む人はトランスセクシャルと言っていたのです。けれど1995年の段階で、私と同年代の人には女性ホルモンが徐々に広まって行ったことは彼女の手紙からも受け取れます。
性別意識はそのままで服装だけトランスしたい人のことは、トランスベスタイトというそうですが、以上の3つをまとめてトランスジェンダーと総称することもあったようで、そのことを「広義のトランスジェンダー」なんて言う人もありました。
(ジェンダーとは人間どうしの関係における性役割とか性別意識という意味。セクシャルとは生物学的な性別のこと。ベスタイトとは服装の意味です)

その後、何年かして性同一性障害(GID)という言葉が使われ出したのですが、トランスセクシャルとほとんど意味が重なっていて、ほぼ同じ意味で使う人が多かったのです。けれど最近になって誰もが性同一性障害のことを語るようになり、日本語でセクシャルといったときの語感が好まれないせいか、トランスセクシャルはあまり使われなくなったようです。そのかわり言葉の響きの良い「トランスジェンダー」を使う人が増えているようです。

そんなわけで「トランスジェンダー」の意味も、巷では3通りになってるようなのです。
つまり、

1、肉体改造はあまり望まない本来の意味のトランスジェンダー。
2、医療による肉体改造を必須と考えるトランスセクシャルの代替語から広まった「トランスジェンダー」。
3、トランスベスタイト(またはそのうちの衣服フェティシズムが動機になっている傾向を除いたもの)まで含めた広義のトランスジェンダー。

幸福なトランス

子どものころテレビの再放送か何かで見た「少年探偵団」(江戸川乱歩原作)というドラマで、小林少年が少女に"変身"してしまうシーンがあったのです。あとから知った知識によると「屋根裏の散歩者」というシリーズらしいです。
どのようにして少女になったかというと、カメラが切り替わって、別の女優さんが写るというものでした。小林少年は少年というより立派な青年の人が演じていて、あの俳優さんはハーフの人らしいですね(これもあとで人から聞きました)。
で、そのあとに追跡シーンがあったのですが、小林少年は男優に戻って、黒いタイツにスポーツウェアのようなシャツも黒、からだのラインがそのまま出る黒ずくめのいでたちでした。あれはなりふりかまわず追っかけて行くとき、中途半端な服装の状態になってしまったことを、ああいうかたちで表現したのかもしれませんね。生放送のドラマだったらしいです。

最近のトランスの「当事者」が出てくるようなドラマは、又聞きによると、普遍性のようなものが表現できているとは思えないので、あまり好きではありませんね。泣きが入ったりうらみつらみみたいな、質の良くない演歌と通じるものがあるように見えてきます。あえて普遍性のようなものを探せば「不幸な社会的弱者」がいるということだけで、それ以上のことを表現しようという意識は製作者自身にはないのでしょう。お茶の間向けのテレビだからという言い訳もあるのかもしれませんが、ここはひとつ発想を変えて、
トランスという存在自体が幸福である、という発想が必要になってくるのではないでしょうか。

のんびりが好き

のんびりが好きという言葉にもいろんな意味があると思います。

コアラはいつものんびりと寝ているような感じの動物なのですが、コアラの主食のユーカリの葉は毒性が強いので、食べたあとゆっくり時間をかけて消化しなければならないので、いつもあんな感じなのだそうです(マ○○ン☆さんのブログでも見ました)。ほかに食べ物がない環境で生き延びてきたせいでしょうか、必要があってのことのようですね。

毒といえば、外から来るものに過敏に毒性を感じてしまう人、そして中には自らの毒に対しても……? 深い悲しみとか怒りとか、そんなおおげさなものではないかもしれませんが、鳩子の「忘れな草紙」あたりだと、オリジナルのモチーフはけっこうそういった毒が強いかもしれません。うまくオブラートに包もうとはしているのですけど。
気づかない人もいるかもしれませんが、気づいた人は手をあげてみてくださいね ^^;

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