少年にかえしてあげる

(一部にやや成人向きの表現があります)
Hさんとの出会いからもう6〜7年が過ぎました。
当時63歳の彼は、大きな病気をしたとのことでしたが、メール交換が2〜3か月続いたあと、療養施設から遠く離れた私に逢いに来てくれたのでした。
私は彼の指定したシティホテルの部屋を訪れました。

彼は文学や哲学を愛するとても知的な人で、若いころに女装(じよそう)の趣味もあったそうです。50代初めに何か「しくじった」とおっしゃってて、事業か何かに失敗したということなのでしょう。表面は穏やかな紳士で、ときどき少年のようにはにかんでお話しする表情の奥に、激しい情熱のようなものを感じさせる人でした。

私のことは雑誌「くぃーん」のころからよく知っていたそうで、ネットで見つけてメールを下さり、「良い女になった」と言ってくれました。「良い女」の意味は、スレンダーからやや豊満型になった容姿のこと、それから文章の上達のことだと思います。

「自分は鳩子のために何ができるだろうか」とおっしゃってくれて、それはジャーナリズム的な売り込みについてのことのようでした。
私はそういうことにはあまり関心がなかったですし、彼自身が、啓蒙主義や上昇指向を嫌う人だったのに、なぜそんなことを言うのかしらと思ったのですが、私への愛情の表現だったのだと思います。そういう業界の人だったのかもしれません。
約束した日のことを、私が「逢い引き」と言ったら、彼は「不謹慎なことを言ってはいけない。作戦会議だ」とおっしゃいました。

約束の冬の雨の日の午後、シティホテルに着いた私は、人ごみをかきわけ、エレベーターの前に行くと、急な静寂に少しめまいを感じました。その感覚のまま、エレベーターは私のからだを階上へ運び、気がつくと彼の部屋をノックしていました。

静かな部屋での長い語らいの間、彼は姿勢も崩さず、微笑みを絶やしませんでした。少年のような瞳で哲学を語ったり、はにかみながら昔のおかまバーの話もしてくれました。2時間くらいはすぐに過ぎてしまいました。
「少しからだを伸ばしてもいい?」
私がベッドに腰掛けて後ろへ倒れ込むと、彼も横にすわり、そして重なって来ました。
私のからだをまさぐる彼の腕はとても弱々しいものでした。私は自分でスカートを脱ぎ、下着姿のまま、胸の上で彼の首を抱き寄せました。彼はいつのまにかズボンを下げていて、私は、ももに暖かく固いものを感じながら、二人で抱きしめあっていました。
しばらくすると、彼の動きが止まり、私のももに少しの液体をかけました。
彼は少年のようにはにかみ、私も微笑みながらティッシュをとると、ほんの少しでした。
彼は、明日また療養施設に戻ると言いました。
「お大事にね」、そう言って、……その後も3か月余りメールのやりとりをしていたのですが、私の更年期的な体調不良でついメールが跡絶えてしまいました。

彼は今はもう70歳に届く年齢で、病気のことを考えると、心配になることもあります。
あの日の少年のようなお漏らしのこと。老齢になると男性は少年に帰っていくのかもしれませんよね。
少年にかえしてあげたのは私、なんてうぬぼれていたのです。

自分史のために

自分史を書く話です。何かの診断用ということではなく、普通の自分史です。
某Y貴さんのように、人生の節目ごとに整理しながら近しい人たちへの愛情をこめて、過ぎ去った過去を淡々と、飾らずに、しかも今も色あせないほどの生き生きとした思い出として綴ってゆく書き方は、とても良いと思います。
ただ、普通の人は、波乱万丈といった面が少ないので、そのまま真似してもぎくしゃくしたものになると思います。私のように、整理が苦手で、そのくせ思想や歴史的価値観が文面に出やすい人の場合は、注意しないといけません。
でもいちばん大事なことのいくつかは確認できると思います。人への感謝というテーマもその一つです。感謝といっても、権威の傘の下に入れてもらったとか共謀して金儲けしたとか、そんなのはもちろんダメで(そういう経験もないですけど)、それは当然です。
あまり自分を主人公にせずに、その時代のファッションや風俗、同世代の人たちの動向などにも重きを置いて、切なく愚かな人生だけど、皆んなと同じ優しさと、だけど時代におもねない清らかさも見つけたい。人以外のものごとに対しても、自然や、時代にも、ありがとうというしかないのでしょう。

5年生のときに縫ったスカート

小学校5年生からの家庭科の授業は、とても楽しいものでした。通信簿も「5」をもらったりして(5点法)、自信をもった私は、家でスカートを縫うことに挑戦したのでした。
大人の古着ばかり着るのでは、サイズも合わないし、子どもらしいミニスカートが欲しかったのだと思います。
家の中で材料を物色すると……、一枚のスカーフがありました。大きさは縦横90センチくらいで、薄くて柔らかくて、光沢があって少し透ける感じ。白っぽい色で花の絵が刺繍してありました。光沢があって透けてるなんて、今思えばちょっと大人っぽい感じですが、生地は半分に折って二重にして一枚は裏地のようにしました。
丈は45センチくらい。裾幅はいっぱいにとって90センチくらい。台形になるように縫って、ウエストはゴムで、とりあえず輪ゴムをつないだものを通したと思います。それほど難しい作業ではありませんね、小学生ですから。まあまあ、上手に出来たと思います。なめらかな肌触りで、ひざのあたりはちょっと涼しい感じ。窓から差しこんできた春の日差しにきらきら光っていました。6年生にあがる前の春休みのことでした。
けれどこのスカートは、あるとき隠して置いた所からなくなっていたのです。見つかっちゃったのかもしれませんね。物の管理がずぼらなのは子ども時代からだったのですね。
こんどまた何か作ってみたいです。

家庭科は中学生になったら、もっと上手になろうと思っていたのですが、中学になると「技術家庭」といって、大工さんのようなことばかりさせられました。男の子ということでしたからね。細かい工作は得意なのですが、カンナのような重たいものをあやつるのは大変でした。

★スカートやスカーフのサイズの記憶は曖昧でした。けれど6年生になる直前の身長が150弱、ヒップがその半分の75弱とすると、ゴムのウエスト幅も75。スカートの形の記憶からすると、裾幅は80でなく90ということです。

ほそぼそと……

バブルから20年は過ぎたと思いますが、ああいう世相とはほとんど無縁な生活をしていましたよね……。あのころ流行ったものにボデコンというのがありました。それで、一つくらい買ってみようと思ったり……、でもなかなか外を歩けるものではないので、しまっておいたものをバブル崩壊後に写真くらいは撮っておこうと思って人のいないところで撮ってみたのが、この写真? 普通はこんな白とピンクのチェックなんていう大人しい柄じゃなかったですよね、もっとコントラストの強い柄とかアニマル柄のほうがバブルらしいと思います。それにしても……ほっそりしてたころの写真ですね

4月7日は、ホームページ開設9周年でした。

肩がぴったり

1990年ころはまだバブルで、肩パットを怒らせたOLさんたちがさっそうと街を歩いていた時代でした。
当時の肩パッド入りのスーツ姿の写真をというのは、いかにも時代を感じさせるものがありますが、写真のようなワンピースなら、言われないとわからないかもしれません。肩パッドを外せば大きめの肩が大柄な人物にぴったり合ってしまうのでした。
なので、ある意味で、ありがたい流行だと思いました。
でもあの時代はスーツなんて買う気にはなりませんでした。

みんなヒールの低い靴をはいて、夏でもサンダルなんてはきません。でもハイヒールはフォーマル用としては欠かせませんから、売っていないことはありませんでした。
問題はサンダルで、めったに売っていません。何年も前の売れ残りみたいなのがセールに出たのを買うくらいでした。サンダルが復活するのはバブル崩壊後2〜3年してからだったと思います。

夏の木陰で

アルバムの「夏の木陰で(1995)」から。うしろに写ってるのが、つつじだと思います。夏なので花は咲いていません。同じ日の4枚の写真を、縮小専用ソフトで縮小しなおして更新しました。画像がクリアです。今の無料レンタルのHPスペースは容量が大きいので、画質優先でアップできます。このページも先月あたりからクリアな画像になっていると思います。

この年の秋、某Q誌のメッセージに、古いアドレス帳は処分してますと書いたら、処分されては困るから?と、あるお姐さんからお手紙をいただきました。最近Cカップに昇格なんてことも書いたら、このごろの若い子はしょうがないという感じで、「ホルモンお使いですの? Estrogenはどうやら"不老長寿の妙薬"らしく中高年婦人には広く使われ始めました。」そうだったんですか。それじゃ、そろそろあたしも? だんだんそういう年代かもしれませんね。メッセージに書いたのは、体重が増えてきたのでカップも少し増量になっただけのことでした。

白いつつじ

白いつつじの写真は17年も前のものです。
このころ、あるお兄さんから「女の目をしている」とか「笑い方が女だ」とか言われて、たぶんほめてくれたんだと思います。感謝しないといけませんね。でももう女になってるわけですから、きれいだとか、そういう言葉でいいわけなんですけどね。
昔のお兄さんたちの言葉で、「これでキミは女になった」というのがあります。こういうのは、この世界では微妙な含蓄があるかもしれませんね。ベッドの上の言葉ですけどね

若き日のつつじ

つつじの花も今年はもう終わり。毎年五月のころは、いろいろな花が咲き出して、気分が楽しくなります。今年は原発のせいであまり出かけられなかった人も?
つつじやさつきの写ってる写真は毎年のようにあります。そういうのをたくさん並べてみると、どうでしょうね。
この1993年の写真は写ってる人があまりに若いです。薄い生地のツーピースで、あるお姐さんがたのように、スーツで颯爽と歩いてみたかったのですが、まだ肩パットの時代でしたので、こんなツーピースのほうに目が行きました。スカートはキュロットでした。

2001年の疾走

今年の干支の兎についてはこんな話はいかがでしょう。
「ウサギは両性具有?」

さて10年前の2001年は、21世紀ですが、写真も少なくて思い出も少ないかも。
ある日の夕方、人を待っていたら、ずいぶん待たされてしまって、通りがかりの人にしつこく声をかけられたりで、想定外のことがおきてたいへんでした。
やっと現れたKくんは、やっぱりおおらかな感じの人で、大柄でシャイな人でした。トラックの運転手をやめて当時失業中。大型トラックといえば、助手席はとても広そうで、一度乗ってみたいと今でも思います。
それにしてもあんなに待たされたことは後にも先にもありませんでしたね。人を待たせることはあっても待たされたことがなかったのです。そういう几帳面の優しさの人が多いですよね。
Kくんはあのあとちゃんと仕事を見つけているかな。今夜もどこかの国道を安全運転で走り続けているのかもしれませんね。

Hatoko History

西暦2000年のころ何をしていたか、あまり思い出せません。政治の世界では加藤の乱があった年のようで、もう新保守主義の時代になってたようですね。
人間がのんびりしすぎていたせいか、よく思い出せませんが、そのころどんな人と会っていたかは、当時の写真を見れば思い出せます。2003年にホームページを始める直前までは、ずっとそんな感じです。アルバムのHatoko History は、そういうときに人に撮ってもらった写真や、そのときと同じ服装の写真が多くなってます。

さて12/14の型紙の通り薄い伸縮性のある生地で試作してみましたが、生地が薄すぎてぱっとしませんでした。今度は同じ型紙で毛糸のロングパンツのようなものを作ってみます。

あるヰタ・セクスアリス

インターネット時代の前に。何度か手紙のやりとりをした(トランスの)お友だちのことを思い出しました。C県の人は、林静一の絵のようなイラストが上手な人で、N県の人もちょっと現代風な着物美人の大きな絵の前で撮った写真を見せてくれました。けっこう芸術的センスのある人が多かったみたいです。
お手紙の内容は、身近なできごとが書いてあるのですが、何行か書いては、あなたはどう思うかとか、あなただったらどうするかとか、そういう言葉が必ずありました。ごく普通の手紙です。
N県の人は大きいサイズの靴の入手法とか、情報収集に熱心のようでした。C県の人は、あるとき、ちょっとヰタ・セクスアリスのような、そんなことが書いてあったときがありました。遠まわしに書いてあったのですが、全体を読んでみると、一人での行為のことで、なんていうか……あれは男の子的なやりかたの話だったかもしれませんね。こういう話も懐かしいものですね。

1970年代

NHKのBS2で「荒井由実“ひこうき雲”の秘密を探る」(1月16日午後9時)という番組があるそうですが、過去のヒット曲のエピソードの発掘ということみたいですね。番組案内を最初にみたとき、「荒井由実」という名前に反応して、1996年の「荒井由実コンサート」を思い出したのですが、そういうのではないみたいです。

「ひこうき雲」を聴いた1973年は、オイルショックの年でもありました。あの1970年代のことをもう一度よく考えてみたいとずっと思っていました。
あの時代、石油の値段が暴騰して、省エネやエコが言われていました。テレビの深夜番組は省エネのために短縮になったりしました。食糧の備蓄ということが政策テーマになっていた時代です。
それから、Uターン現象といって、若い人たちが都会を捨ててUターンして地方に生活の場を求めるような風潮も出てきました。「地方の時代」の始まりのようにもいわれました。
そのほか、1980年代後半以後のバブル経済によってすっかり忘れられてしまったようなテーマがたくさんあったのです。

1970年代的なものの始まりは、1971年のニクソン・ショック、それまで1ドルが360円だったのが、変動相場制へ移行したのです。1974年にはベトナム戦争も終結し、これらはアメリカの力の衰退を意味するものでした。その後、グローバリズムと新保守主義でアメリカが息を吹き返したかに見えたのも、一種のまやかしではないかと思います。

子ども時代のセクシャル体験

……というのは私にはないのですが、人の話を聞くといろんな話があるものですね。
よく聞くのは「見せっこ」。男の子どうしなら大した問題ではないのでしょうけど、そうでない場合は、見つかってこっぴどく叱られたなんて話も。
一人の子の着物を脱がしてしまうような遊びをした男の子たちもいたようですが、こういうのは感心しませんね。誰でも経験すること、なんて言う人もいるかもしれませんが、何かうしろめださがあるから、そういう言い訳を言うのかも?。
ゲイの人で多いのが、大人の男に内緒でからだを触られたりいじくられたりしたというの。
トランスさんでもいたかもしれませんが、ずっと忘れることのできない経験になるみたいです。
思い出したくないような経験をした人もいるかもしれませんが、へんな話題でごめんなさい。
いわゆる異性の服を身に着けることをセクシャルな体験だと考える人もいるようですが、かなりおおぜいの男性が経験しているようです。

七五三といえば

自分の七五三のころからは、ずいぶんと年数がたったような気がしますが、七五三のときの思い出のお話です。
七歳のときにスーツを買ってもらいました。男の子のズボンのスーツですよ(念のため^^;)。そのズボンはとてもゆったりとしていて、キュロットみたいな感じ。なんとオーダーメイドだったみたいで、全体がふわふわしていて、男の子の服でうれしかったのはこのときだけだったかもしれません。
ズボンの片足に2本の足が入ってしまいそうな、ゆったりとしたズボンだったのですが、なぜそんなにゆったりとしてたのかというと、4、5年たって大きくなっても裾を長く作り変えれば着られるようにです。子どもはすぐに大きくなってしまいますからね。
一年生と五年生では、ウエストの平均サイズの差は10センチもないらしいです。大人で1年か2年のうちに10センチもウエストが増えてしまったという人の話もあるようですが、一年生と五年生ではそんなに大きな差ではないみたいで、あのスーツも5年生までは着られたと思います。
たまにスカートのスーツを着ると、七五三のころを思い出してしまいます。

トランスさんの中には、OLや水商売系などの職業的な憧れと服装嗜好が結びついている人も多いようですね。

悲しき17歳

高校生のころ、世の中がどうなっているのか勉強しなくてはと思い、少ないお小使いの中から、新書判サイズの本を何冊か買ってみたのです。漢字が何文字も続くような難しい言葉がたくさん出てきて、何も理解できず、先へ読み進めることができませんでした。大人の世界とはこんなにも難しいものなのか、大きな挫折を感じてしまったのです。
友人たちの中には、聞いたこともないような言葉を使いながら、難しい議論をしている男子たちが何人もいました。彼らは早熟なのかしらとも思いました。
私はいつになったらあの本の内容を理解できるのでしょう。世の中のことが何もわからない自分が社会に出て本当にやっていけるのかしら、不安でしかたなかったのが、あのころ、16〜7歳のころでした。

でも18歳になってから、文学関係の本が少し読めるようになり、だんだんと読書の幅も広がってゆきました。
今から思えば、あのときの本は自分に向いてない分野だったのかもしれませんが、でも今なら、ああいうのもすらすら読めます。辛口批評さえできます。
たしかに高校生が大人の本を読むことは早熟なのでしょう。けれど中には単に背伸びをしていただけの子もいたらしいです。むしろ真剣に挫折感を感じることができたことも、早熟の一種といえるかもしれないのです。

年月を経て、少しは社会のしくみもわかるようにはなりましたが、まだまだわからないことが多く、わからないままで世の中のほうがどんどん変わって行ってしまいます。もう挫折馴れしてしまって、挫折を挫折とも思わなくなるのかもしれませんが(笑)、でも小さな挫折を自分でやさしく包み込む方法を、考えてみたい今日このごろです。

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