魔性の女?

魔性の女といえば、平成時代では、あの人、
東電OL殺人事件の被害者の人のことを思い出してしまいます。

事件の再審裁判は、外国人の人が無罪になりそうなので、ひと安心です。

『東電OL殺人事件』という本を読んだのは、2011年3月の原発事故の直後でした。
そのころ原発関係の本を2〜3冊読んだら、他には出版されいる本はありませんでした。
日本社会には、原発批判の出版物をほとんど持たなかった時代があったのです。
当時、広瀬さんや小出さんの少し古い本は、かなり高価な値段が付いてました。
それで東電関係の本だから何か参考にならないかしらと、
2冊210円でその本を手に入れて読んだのです。

雑誌の連載記事をまとめた本で、連載中のころから、
女性読者からの同情や同感の手紙が多かったそうです。
不特定多数の男性と関係に至るような心理については、
ごく普通の女性の心にも潜んでいるのではないかと、
著者の佐野氏は書いてますが、たぶんその通りなのでしょう。
実は私も・・・そういう理由で前から読みたかった本でした。

本には読者の女性とのインタビューまで載っていて、普通の女性の心の内面の
リアルなレポートがあって(体験談の話ではありません、心理の話)、
そして最後に著者が書いていたと思うのですが、
インタビュー相手の女性との関係はなかったそうです。まあ、そうでしょうね。
秘密のインタビューで、シティホテルの一室で二人が会うのは他には誰も知らない
というような状況設定ですから、誤解のないように書き加えたのでしょう。

似たような話をどこかで読みました。
昭和20年代の男娼といわれたお姐さんたちのインタビューで、
聞き手はお医者さんらしき先生。当時のカストリ雑誌に載ってました。
この先生も、インタビュー相手との関係はなかったと書かれていました。
ただ、こちらのお姐さんたちは、インテリ好みが多いので、
ずいぶん先生に対してシグナルを送ってきた人もいたようなお話。

男女の顔つき・からだつき、50項目

50項目ほどメモしておいたのがありました。ちょっとゲーム感覚で採点してみて、25ポイント以上あればまあまあかも。項目によっては単なる「1/50」ではなく、もっと大きく印象を左右するものもあるでしょうね。
(顔)
1 顔の輪郭はタマゴ型か丸
2 顔が長くない、顔が小さい
3 顔全体の肉が薄い感じ
4 頬がこけていない
5 エラが大きく出ていない
6 ひょっとこ顔でなくおかめ顔
7 ペコちゃんのように頬の上部が前方へ丸くふくらんでいる。笑うと斜めから見た頬の下部がへこむ
8 眉のあたりの骨が目立って前へ出ていない
9 おでこ。額はだいたい垂直で、後方へ斜めになっていない
10 髪の生え際は産毛のような細い毛が沢山
11 眉は薄い
12 眉は薄いけれど細くハッキリしている
13 眉と目の間は狭すぎない
14 目は小さくない、まつ毛が長い
15 ワシ鼻でなくカギ鼻でもない
16 鼻の肉が薄い。
17 鼻の下が短い
18 ヒゲがまったくない
19 上唇が薄すぎない
20 顎が細い
21 顎と首の境界ははっきりしている。
22 喉仏がない
23 首が細い
24 髪の毛が多い
25 肌質が細やか
(からだ)
26 肩幅は狭い
27 肩の厚みがない
28 なで肩
29 胸板が薄い
30 寄せ集めなくてもバストがある
31 背中が狭い
32 左右の肩甲骨が平らな感じ
33 ウエストは肘の高さ
34 力を入れても腹筋は出ない
35 肋骨の幅より骨盤の幅が大きい
36 お尻が大きい
37 お尻は丸くゆったりしている。
38 やや出尻
39 下腹部がふっくらしている
40 二の腕(上腕)より肘から先(前腕)が細い
41 手の甲の血管は目立たない
42 腕には目立った体毛はない
43 指が細い(関節だけ太いということはない)
44 爪が細くタマゴ型
45 薬指が短い(人差し指と同じくらいの長さ)
46 太ももが太い
47 ふくらはぎのすぐ上に2cm以上細いところはない
48 ひざがしらの骨はあまり出ていない
49 すね毛はかなり薄い
50 まあまあ色白である

陰と陽が入れ替わると?

志ん朝師匠の落語(「反魂香」)を聞いてたら、ものごとには何でも陰陽があるけれど、陰と陽は入れ替わることがある、というふうに始まりました。そして、男が陽で女は陰、これも入れ替わることがある、という話になったものですから、つい身を乗り出して聞いてしまいました。

溺れて亡くなった人が発見されたとき「土左衛門(どざえもん)」というけれど、女でも土左衛門という男の名前になるというお話。女→男というわけですが……、なるほど ^^;。
その次に、男→女という話を期待したのですが、そうはならなくて、川などで発見されたときに、女は仰向けで発見され、男はうつぶせで発見されるのはなぜか、という話になってゆきました。

広辞苑を見たら、土左衛門とは、「享保頃の江戸の力士、成瀬川土左衛門の身体が頗る肥大であったので、世人が溺死人の膨れあがった死体を土左衛門のようだと戯れたのに起るという」と書いてありました。
ある説によると、相撲取りは、豊穣のしるしの妊婦の体形に近づこうとしたものであって、両性具有のようなところがあるというのですが……? 普通の男性も土左衛門になると、普通の男ではなくなるのかも? ……このくらいの落ちがいいとこですね

男は1万回女になる?

太宰治の「女人創造」という随筆に、
「或る外国人のあらわしたショパン伝を読んでいたら、その中に小泉八雲の「男は、その一生涯に、少くとも一万回、女になる。」という奇怪な言葉が引用されていた」

という文があるのですが、どういう意味なんでしょうね。成人後の50年としても、1年に200回、週に4回くらい?。どこかのパートタイムTGさんみたいですが^^;
でも、とにかく、男というのはいつも揺れ動いてる存在なのかもしれませんね、たぶん。

さて話題変わって、ナースさんの写真。白でなく赤ですが、コスプレっていうたぐいのものなんでしょうね。ちょっと画像がぼんやりしすぎています。

縦と横のお話

縦糸はあなた(男)
横糸はあたし(女)

……という歌があるそうです。誰の歌かは聞き忘れました。

女が横になってて、男がタテ?
……やっぱりそうなんでしょうか#^^;
なぜかこういうのはいろいろと連想してしまいます。

男女が逆の見方もできると思います。

機織には、最初に縦糸を固定しておきます。
縦糸は最初はすきまをピッタリくっつけて揃えて並べて、1本おきに開いたり、閉じてまた逆に開いたりしながら、開いたときのすきまに横糸が入り込みます。
タテの狭いすきまを突き抜けるように横糸は動きます。横糸がシッポだとすると頭の部分もあります。それが端から端まで一気に貫通して、往復運動を繰り返してゆきます。
何の話でしたっけ?

女性のコメント、男性のコメント

若い人たちは、最新のファッション雑誌などをたくさん読みますから、最新の用語などでわからない言葉があっても、とりあえず置いといて、どんどん先へ読み進むと思います。ただし本や新聞を読むときも同じ調子なので、わからない言葉を辞書を引いて覚えるということをしない人が増えてるそうです。(以上は前置きです)

ここからが本題ですが、ある程度の年齢以上の男性の中には、わからない言葉があると、もう先へ進めない人が多いようなのです。この年になって新しい言葉を覚えてもしょうがないと考えて、読むのを止めてしまうようです。
けれど、女性の場合は、わからい部分を保留にしておいて、先へ進むことが得意のように感じます。

一例としてはやはり鳩子のブログで、一部の人を除いて、男性やTV的な人のコメントが少ないのは、読み通そうとしてみるけれど結局全体を把握できないからというのが理由のようですね。女性やTG的な人は、部分的な話題を拡大して楽しむ習慣がありますので、コメントもしやすいようです。短い文章の割りには話題性の詰まったような書き方もしていますし、1つの教訓的な結論を出す意志がないというのもあります。

女性的な思考が、一部分を保留にすることが得意なのは、なぜでしょうか。保留といっても思考が止まってしまうわけではなく、微弱ながら続いてゆきます。つまり複数の思考が同時に進むというわけですから、「ながら族」のところに書かれているような理由ではないでしょうか。
けれど男性の中でもリーダーとなるような人は、一部の判断を保留しながら全体を掌握できないといけないのでしょうね。

てよだわ言葉

NHKドラマのナレーションで、大女優の若尾文子さんのだわ言葉は、復古調と言ったらいいんでしょうか……。
年配のトランスのお姐さんがたの使うだわ言葉について、いまどきあんな言葉を使う女性はありえないとか、そんな若い人たちの厳しい指摘もあるようですが、ある程度は多目に見てあげてもいいんじゃないかとは思います。毒舌のオネエキャラなら、どんな言葉でもただ圧倒されるばかりですけれど。
よくコメントしてくれた一般女性のMさんのブログで、ああいう女言葉は使わないと書かれていました。でも彼女のブログで2、3使われてた記憶があります。飲食店で居合わせた男性グループの傍若無人ぶりに対して、「冗談じゃないわよ」という感じでした。

てよだわ言葉というのは、もとは東京下町の男言葉で、「〜だってよ」とか「こりゃもうだめだわ」とか、あきれてものもいえないわっていうときなどに使う言葉で、それを若い女性が真似して、尻上がりアクセントに変えて広まったものだそうです。
「冗談じゃないわよ」というのも、自分にはそういうことはできませんという、あきれた感じが出ていますね。だから最後まで残ったのかも。
「あたし」というのも下町の男言葉だったかもしれませんね。こちらは女言葉としては残るんじゃないでしょうか。「わ」と発音するには少し力まないといけませんから。

だわ言葉はだいぶ衰退しましたね。耐用年数が過ぎたのでしょう。でもそれに代わる言葉がなかなか現われません。1990年代から、何でも尻上がりアクセントで区切って言う「半クエスチョン言葉」が流行ったりしたのも、代わる言い方を探してのことなのでしょうね。

方便としてのジェンダー

政治の世界では、100%完全無欠の政策というのはないわけですから、全ては方便なんだと思います。多数決で決めるのも方便なのでしょう。
辞書をみると「1、人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段(仏教用語)。2 ある目的を達するための便宜上の手段。」とあります。
災害のときに現地へ行って復旧のお手伝いをすることができないとき、寄付金を送るのも方便ですね。鳩山さんの言葉使いは間違いじゃないわけです。

いつか作家になりたいと思いつつ、とりあえず出版社に就職するとか、人生でもそういうのはたくさんあります。
自分自身のジェンダーというのも、一種の方便といえるかも。

首の動き

動画といえば何年か前によそで見た動画について……ですが、奇麗なトランスさんの中にも、ちょっと首の動きが気になったことがありました。
男性の中には、首を動かすときに、首の付け根のところを支点にして、首が前後左右に動くような人が多いようなのですが(ついでに肩まで動いたりして)、そんな動きに近いような感じがしないでもなかったのです。
首そのものはあまり動かさずに、首と頭のつながっている部分が少し動くだけのほうが、奇麗に見えるのでしょうね。

さて首の動きというと、島倉千代子さん。YouTubeでいくつか歌っているシーンを見てきましたが、首のところ・頚部はやはりほとんど動いていませんでした。顔や頭の動きもゆっくり動いてから少し静止するだけで、鳥のように瞬時に動くことはないです。ものまねの人が演じる"島倉千代子"の動作は、だいぶ誇張されたものなんですね。
若い女性たちも、そんなに頚部そのものは動かないと思います。首が細いわりに普通サイズの頭が上に載っていますから、載せてるだけでせいいっぱいという感じです。普通サイズの首に大きめの頭が載ってる人も同じです。一部の男性のように首の付け根のところから筋肉を使って動かすことはほとんどないと思います。
そういう動きが目立つときとは、首を上下に振ってうなづくときや、おじぎするとき、それからものを食べるときの動作などでしょうね。周囲を気にしてきょろきょろするのも良くないでしょう。

「質問」と「答え」と?

ある質問について、その答えが質問者から見てまったく予想外のことを答えてくる人は、どちらかというと、女性より男性に多いと思います。それが面白いか、座がしらけるかは、その人次第。
地方のお年寄りの人たちなどは、質問に対してストレートには答えず、遠回しだけれど内容はとても具体的で、話は長くなるのですが、その全体がなんとなく答えになっているという話し方が多いです。のどかな感じが良いと思います。
現代のサラリーマン社会では、ビジネス会話が主体になってしまいました。伝えることが大事だと言いますが、伝えるというその中味は、質問者の頭の中で想定したAかBかのどちらかに当てはめることができたという程度のことなのかも。質問者の世界観は少しも広がりませんし、Nと答えた人をどうしたらYと答えさせることができるかなどとわがままを言う始末。
昔の映画のようなしゃれた会話も、ストレートな答え方はしていません。それからゴルゴ13のようなニヒルな男の、意味深な会話も面白いです。
メールのやりとりなどでは、質問に対して答えるだけでは、バレーボールのラリーのようにはならなくて、だからすぐ途切れてしまうわけですね。質問の答えといえる部分はたった一語しかないとなると、ビジネス会話の極致といえるかもしれませんが、○○という映画を見ましたか?という質問に対して、「見た」という答えだけでは、話題は続きません。最近よくいわれる発達障害と関係してるのかも。

泣く男 2

(アメリカでのリコール騒動があり)、トヨタの社長さんがアメリカの公聴会を終えて現地の社員の前で泣いてました。そういうこともあるのでしょうね。

映画評論家の佐藤忠男氏によると、1950年代以前の日本映画に出てくる男はよく泣いたそうで、当時の実際の男たちもよく泣いたのだそうです。もっと昔の明治大正時代には、男はもっともっと泣いたと言う人もいます。
1960年代以後、日本の男は泣かなくなったらしいです。この時代、子どものころ「男の子は泣いちゃいけません」なんて叱られた人も多いでしょう。1980年代までが、男がいちばん泣かなかった時代だということになります。

バブル崩壊後の1990年代から、スポーツ選手とか、花婿さんとか、人前で男性がまた少し泣くようになりました。ある意味で、男性たちの言語能力が劣って来たためともいえるのかもしれません。表現したい感情があっても、言葉でうまく表現できないときに人は泣きますから。
トヨタ社長の場合は、言語能力はじゅうぶんだと思いますが、大きなストレスから解放されたあとでしたから、スポーツ選手のケースと状況が似ているのかもしれません。
髪を切る男と泣く男

髪を切る男と泣く男

失恋して髪を切るのは女より男のほうがが多いというアンケートがあったのを思い出したのですが、
2004/9/9の日記にも書きました。→髪を切るとき

検索したら詳しいページもありました。女1.0%、男2.7%だそうで、数値自体は大きくはないのですが、でも男女差は3倍近い数字です。
http://hagekouza.blog.shinobi.jp/Entry/1/

なぜそうなのでしょう。たぶん言語能力やそのほか表現能力に弱いところのある男性が多いことと関係あるかもしれません。髪型や服装も表現の一種ですが、男性は表現能力に弱いところがあるために、様式化された行為に出るんだと思います。様式化された行為という意味では、丸坊主になって反省したりするのも同様のことです。
言葉や表現行為は、他人とのコミュニケーションだけでなく、自分を納得させるためにも、とても重要なものだということがわかると思います。
男性は服装趣味でも、様式化されたものとして制服を好む人が多いというのもうなづけます。女性のほうが言語能力が高いとはよくいわれることです。

結婚式で泣くのは、花嫁ではなく花婿のほうが圧倒的に多いです。男性は感動をどう表現していいかわからずに泣いてしまうのでしょうね。現代の結婚式はたいていは花嫁主導で演出されますから、花嫁は映画でいえば主演女優であり監督でもあります。ですから、表現者としてとても充実した時間を過ごしているので、あまり泣く必要がないのでしょう。女優として泣く人もいるかもしれませんが。

表現したいものと表現能力のバランスの問題もあります。感受性が敏感な人は、いつも表現したいことが繊細で複雑になってしまって、少々言語能力が高くても、やっぱり泣いてしまうことが多いのでしょう。

一般女性とは

トランスの世界では、生まれながらの女性を純女などと言うこともあるそうで、それはそれでがんちくのある言葉とは思いますが、それに替わる言葉を、1か月くらい前に思いついたのです。何日か前にそれを一生懸命思い出そうとしたのですが、出てきませんでした。
ところが昨日になって、ひょんなことから思い出しました。
それが「一般女性」という言葉です。
また忘れないうちに書いておくことにしました。
純女とか純女性では、言われたほうが、自分は本当に「純」なのかしらと、とまどうこともあるかもしれませんしね。
どちらにしろシャレっぽい言葉ではあります。

さて最近のアクセスの検索キーワードで多いのが「ヒップパッド 自作」ですが、そろそろやってみましょうか。だんだん寒い季節になりますし、失敗しても毛糸のパンツは残ります。ひざ上まである毛糸のパンツの裏側に、必要部分に毛糸生地を重層的に縫い重ねておくというものです。興味ある人は乞う御期待。

男は女よりも軽い?

せんだって太もも以外のサイズも気になったので、日本人のからだのサイズの平均データ(size-JPN 2004-2006)のページを見て、比べてみたのです。
身長が同じくらいなので同年代の男性と比較してみました。身長の他には太ももがほぼ同じです。ヒップは項目にありませんが太ももが同じなので同じくらいでしょう。それ以外は、ことごとく私のほうが10%近く細いです。でもなぜか体重は少し軽い程度なんですよね。なにかふにおちないものを感じました。なぜなのでしょうね。

一つには、ひざから下や腕が細いからといって、それらの体積は身体全体からいえば大きな分量ではなく、体重への影響は少ないことが考えられます。
もう一つはウエストから上の部分ですが、そう、ここには肺がありましたよね。空気の出入りする肺は、すごく比重の軽いものなのでしょう。男性は肺が大きいので、それが身体全体の比重を軽くしてしまってるように思います。これはたぶん間違いないでしょう。
(他の理由としては、水太りの人は比重が重くなりそうですが……)

中性体形の私がこれだけ比重が重いのですから、純女性はもっと重いことになりますよね。あまり気にしないほうが良いと思いますよ。

サルトルとボーヴォワールの関係ってなんだっけ


ごく最近知ったのですが、去年2008年がフランスの女性作家のボーヴォワール生誕100年だったそうで、ちょっと懐かしい名前を耳にしたわけです。
哲学者のサルトルと夫婦のような関係であったわけですね。今でいう夫婦別姓なのでしょう。自立した個人どうしの新しい関係ということで、女性たちにも憧れでしたし、サルトルの難しい本までたくさん売れた時代があったそうです。
団塊の世代の男性のなかには、女性を口説くときに、「キミとならサルトルとボーヴォワールの関係を築くことができる」なんていう文句がよく使われたらしいです。あたしもむかしそういうような年代の人から手紙をもらったことがありまして(^^;)、それで懐かしく思ったわけです。

ところで夫婦別姓を法制化するのだったら、姓(苗字)を持たないことを選択肢に加えるとか(なくても困りませんよね)、それから成人後の本人の意志による名前の変更をもっと容易にしてほしいものですね。

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