「雛の後家」

3月3日が雛祭りでした。

平賀源内の『男色細見』という本に、茶屋案内のページがあります。いわゆる陰間茶屋ですが、人気の舞台子さん陰子さんたちの名前のなかに、「雛」のつく名前がいくつかありました。「瀧中雛蔵、中村雛次郎、中村雛松、嵐小雛」。「ひな」というのは、可愛らしい名前ということなんでしょうね。

奥村政信の『貝合 蛤源氏歌仙貝』という本には、お題1つに川柳が2つ、そういうのがにたくさん載っている絵本です。「ふたなり」をテーマにした川柳2つ。

左〜 鮑(あはび)貝 
 汐干がた 身をはなれてや あはび貝
右〜 かたし貝
 いつのまに 雛の後家かや かたし貝

意味はよくわからない部分もありますが、それなりに考えてみると、
「あわび」は一枚貝なので、よく片思いにたとえられます。二枚の貝を合せて、ぴったり合ったら相思相愛といった貝占いも一枚貝ではできません。
「潮干潟」というのは、つまり潮干狩をする場所ということでしょうね。目的は貝を取ることです。「身をはなれて」というのが一番わからないところですが、貝と身が離れるという意味でしょうか。「ふたなり」では合う相手もなかなか見つからないだろうけど、身一つになって飛び出せば、片思いではなくなる? そんな感じなのかどうか。

二つ目の句、「雛の後家」。雛人形をいつまでも片付けないでおくと、その家の女の子はお嫁に行けなくなると言われましたが、行かず後家になってしまうこともあるのかも? 
「かたし貝」というのは、2枚貝のうちの1枚で、合わされるべき片割れの1枚が見つからない貝のことですね。「後家」の「後」という部分に、"バックから"の意味を含ませているのかもしれませんね。何しろ艶本ですから。

江戸物で3月をテーマに、お雛さまのことを書いてみました。
1月7日には「七草」について書きました。2月の節分については、2010年5月に「おさのの物語」を書いてます。

わかれ道

元宝塚スターの淡島千景さんの訃報がありました。何日か前にBS放送で樋口一葉原作の映画『にごりえ』を見たばかりでした。宝塚時代は娘役だったので、舞台でトランスすることはなかった人ではありますが。

『にごりえ』という映画は良かったですね。儚いストーリーではあるのですが、女性たちのちょっと威勢の良い下町言葉、江戸落語に出てくるおかみさんたちと同じです。「……じゃないか」とか「……だね」とか、てよだわ言葉に翻訳すると、「……じゃなくてよ」とか「……だわね」になるんでしょう。セリフはだいたい小説と同じでした。

ほかに樋口一葉の短編一つを読んでみました。『わかれ道』です。16歳の吉という少年の、年上の女性に対する初恋と言ってもいいんでしょう。吉は小柄できゃしゃで、捨て子だったのを運良く傘張り職人の家に拾われて育ててもらえたせいか、出世など考えたこともなくて、仲の良いお京さんとずっと親しく友達でいられればいいと思っているわけです。お京は20歳余りで針仕事でなんとか生計を立てていますが、どういう形であれ今の暮しから抜け出したいと思っていたのでしょう。お京がお屋敷へ妾に出ることになって、別れが近づくというお話でした。
男子のほうが保守的だったということでしょうか。吉の生い立ちからすれば、これ以上の出世はぜいたくということなのかもしれませんが。でもイチかバチかということになると、女子のほうが強いのかもしれません。
江戸の人たちは、変なところで度胸だめしをするのは好きですが、みんな出世なんか考えたこともなかったらしいです。
私も子どものころは冒険したりするのは好きでしたが、大人になってからは臆病で、トランスの別れ道ではいつも引き返してばかりいました。

江戸艶本のなかの変生男子

江戸時代の本で『好色変生男子』という本があり、活字になったこともありますが、変ちくりんな題名だと思って、読んでいませんでした。林美一著『江戸艶本を読む』の解説によると、本来は別の題名だったのが、表紙の取れた初版本をもとに再版したとき、題名が変更されたもので、元の題名はわからなくなっているそうです。
そんなわけで林氏の本で、あらすじを読むと、わりと面白そうです。

ある夫婦が紀州の観音様に祈願してやっと子供を授かったのですが、妊娠8か月目に男の子が欲しいと祈願変更したので、観音様は困ってしまいました。そこで大阪の観音様に相談したら、大阪でも祈願変更した夫婦がいて、女の子が欲しいそうなので、大急ぎで大阪の子のおちんちんを取って来て紀州の子に付け替えたんだそうです。
そんなわけで、ぎりぎりのところで男の子として生まれた紀州の子は、大きくなるにつれて、男子の着物は着たがらず、女子のように育って、思春期になるとからだも女子のようになっていったそうです。
子供時代を過ぎてからの話は、見た目は女子だけど中身は男子というふうに変ってしまうのですが、そのへんは荒唐無稽すぎるような気もします。
ラストでは、女として出会った相手の男が、じつは大阪で生まれる直前におちんちんを取られた子で、つまり見た目は男子だけれど中身はおちんちんもなく女子というわけです。二人は相性もぴったりで夫婦になって、めでたしメデタシとなります。見た目の性別と、実際の性別が正反対の夫婦ではありますが……。

ラストでもう一度「付け替え」をするのではないのですね。性別判断の基準は、「付いてれば男」というような、素朴な男根崇拝にあるような感じです。
ラストのところと、女子のように育った子供時代と、そのへんを注意して、オリジナルを読んでみたいと思います。

艶本の世界では、『貝合蛤源氏歌仙貝』の「かたし貝(片瀬貝)」にも変成男子が登場し、駄洒落のような解決法が示されています。

七草

七草粥に入れる七草を、まな板の上で、トントントンと調子良く刻むときの歌があるそうです。

♪七草なずな、唐土の鳥が、渡らぬ先に……トントントン

喜多川歌麿の描いた『絵本江戸爵』(天明六年 1786)という絵本に、日本橋芳町の茶屋での七草の風景の絵があります。狂歌が書かれていて……

♪拍子よし てうと鈴菜も 三番叟 わたらぬさきに はやす七草

お囃しの拍子も良さそうです。三番叟(さんばそう)とは歌舞伎踊りの一つで、お正月に行うものだそうです。鈴菜は「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草」という歌の、6番目で、蕪(かぶ)のことらしいです。
七草は五節句の一つですが、そういう日を芳町や吉原では紋日(もんび)と言って、馴染みのおきゃくさんは必ず来なければならない日だったそうです。ブログや掲示板で「今日は私の誕生日です」なんて書くと、どっとコメントが集まったりしますが、それと似たようなことなんでしょうね?。
健康で一年を送れるといいですね^^

月代(さかやき)と色子帽子

三代目瀬川菊之丞 江戸時代の成人男子の髪形は、月代(さかやき)といって、頭のてっぺんを剃ってしまうのですね。士農工商の身分以外の人(公家、神官、医者、学者など)を除いて、奉公人を含めてみんな剃ってたらしいです。日本文化は女性的な文化だという先生もいらっしゃるのですが、そういう民族が、よくも、まあ、あんなものを300年も受け入れていたものです。
 武士は戦で兜をかぶりますから、むれないように、戦のない普段からそなえているのは、構わないのです。けれど、庶民の場合は、何か、かっこいいと思わせるものがあったとか、庶民の側から受け入れる要素があってのことだとは思うのですが……?。
 当時のファッションリーダーといえば歌舞伎役者ですが、江戸初期に、若衆歌舞伎の美少年たちが、頭を剃って野郎歌舞伎になったことは、どの程度影響しているのか、いちがいにはいえないかもしれませんけどね。
 歌舞伎の歴史の解説によると、1652年(承応元年)に、それまでの若衆歌舞伎は風俗を乱すとの理由から禁止され、頭を剃らなければならなくなったのが野郎歌舞伎といわれます。それで女形の役者は、帽子をかぶるようになったわけです。色子帽子などともいいます。画像は野郎歌舞伎の時代よりずっとあとの時代のものですが、勝川春章の描く三代目瀬川菊之丞で、紫色の帽子をかぶっています。今でもこれに似た紫色の布を付けることもあるそうです。
 この絵は安永の頃(1770年代)のものだそうですが、実は同じ時代の他の絵を見ると、月代は剃ってない絵も多いのです。帽子をかぶっているから剃っているというものでもないですし、18世紀にはもう剃らない人はたくさんいたのでしょうね。そのへんの経過についてはまだ調べがついていません。

伊勢物語俳諧豆男

10/30に書いた業平という美男ないし若衆の話は、『伊勢物語俳諧豆男』という江戸時代の艶本からのものです。在原業平をモデルにした『伊勢物語』という古典のパロディの後半部分で、業平が若衆になってしまうというストーリーです。
前半部分は、古典の伊勢物語の1つのエピソードから発展したようなストーリーになっていて、なかなかロマンチックな話に感動してしまいました。どんな話かというと、井筒という少女の物語です。

業平が子供時代を過ごした里に、井筒という同い年の少女がありました。二人は仲良しで、いつもいっしょに遊んだ遊びは、ままごと、かくれんぼ、そして「こまどり」などです。こまどりは、「かごめ」によく似た遊びです。幼なじみの二人は許嫁の仲でもありましたが、元服になる少し前に、井筒の父親が悪い男にだまされて、井筒は売られていってしまったのでした。
まもなく業平は、奈良の春日の里で元服し、春日屋の「みちのく」という名の遊女と恋に落ちるのですが、この春日屋に、目立ちもせず客もとろうとしない娘がいました。その娘こそ幼ななじみの井筒だったのです。そして二人は感動の再会をします。そのときの井筒の言葉は、ほとんど伊勢物語の和歌と同じです。
 くらべ来し振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰か上ぐべき
元服の何年か前から、幼いおかっぱ頭だった髪を伸ばし始めますので、伸びた前髪を左右に振り分けるようになるのですね。でもまだ子供なので、結い上げることはしません。肩よりも伸びた髪を結い上げてくれるのは、許嫁である君のほかに誰がいましょうか、といっているわけです。いい場面ですね。
そして業平は、みちのくと井筒の二人とも身請けして、めでたしめでたしとなります。

本の絵師は奥村政信ですが、この人は、絵にの俳句や川柳を添えたり、また文筆もすぐれていたそうなので、物語も自分で書いたものと思います。

江戸文化、見たり読んだり、大研究

秋になって更新ペースが落ちたかもしれませんが、T's LOVE というSNSもやっています。
その場所で 江戸文化、見たり読んだり という"コミュニティ"を始めました。
ここ1〜2年江戸時代のの本からの画像を載せていろいろ書くことがありますが、そういった内容の総まとめのようなものです。なにぶんいろんな画なども扱いますので、とりあえずSNSで始めたわけです。
「招待状」がないと登録してご覧になれません。興味のあるかたは招待状をお送りしますので、メールフォームからご連絡ください。

夢中になり平

江戸時代の絵本を読んでみましょう。
右の枠の中の題名からです。
 「業平豆男と夢中に兄弟の契約」
業平とは在原業平のような色男のこと。豆男とは覗き見を趣味とする空想上の小人のことですが、からだは大きくもなります。二人が夢の中で兄弟の契約したそうです。そのとき俳句をよみ交わしたようです。
 「夢中になり平一句」
夢の中で業平が俳句を一句よみました。「夢中になり」の洒落もあります。
 「兄分に 頼む香もなき 栴(せん)ぼうし」
兄分に頼むとは、兄弟の契約をして兄分になってくれという意味でしょう。「栴」は栴檀のことで、粉末にしてお香に焚きます。「栴ぼうし」とは、たぶん粉末を帽子のように盛った状態のことを表現したのではないかと思います。俳句の意味は、あなたを兄分に頼もうと思ったが、その帽子の香りも髪の香りもしないではないか、という意味でしょうか。絵を見ると相手は坊主頭ですから当り前? ^^。
 「豆男一句」
それに対して、豆男の一句です。
 「座禅豆 悟をゑたり 九年ぼう」
座禅豆とは「黒豆を煮しめたもの」で、尿意をがまんするのに利き目があるそうです。九年ぼうとはおそらく辞書にある「九年母(くねんぼ)」のことで、ミカン科の植物で、香りの強い花をつけ、実も甘く香ぐわしいものだそうです。香りに関する言葉を使って、業平の句を受けたものと思います。意味は、何年も(九年も?)がまんしてきたので、悟りを得た、だから九年母の香りがするはずだ、ということでしょうか。
 「豆男
  頭巾をぬいでは坊主で 色がとれぬ
  かつらをきて男になりて名かへ村沢幸十郎と申候」
絵を見ると、坊主の男が肘ををついた右手に脱いだ頭巾を持っています。頭巾をかぶって業平に逢いに来たが、「男になる」とはこの場合、一時のことであっても坊主ではなくなって世俗の男になるということでしょう。業平は刀を差した小姓の姿です。
左下にも薄っすらと文字の跡がありますがよく読めません。

こたつの中で」で見た川柳
 「火燵びに かを折烏帽子 たてゑぼし」
ここにも香りと帽子のことが出てきますが、「香を折る」というのは、よくわかりません。
絵はどちらも奥村政信。

若衆への敬語

去年の春ごろから江戸時代の本をよく読みます。当時の本の写真画像がWEB上で公開されていることもあり、そういう画像のくずし字を読んでいくので、1冊読むのに時間がかかります。どうせ時間がかかるならと思い、テキスト文書ファイルを作りながら読みました。テキストファイル化したので検索も簡単です。

『男色 十寸鏡(まそかがみ)』の下巻「若衆勧学の巻」は当時の若衆のたしなみなどの手ほどきの本ですが、敬語の「給ふ」という言葉の使われかたの用例を調べてみました。
「給ふ、玉ふ、たまふ」は、49例ありました。多少の数えまちがいがあるかもしれません。
誰に対して使われるかというと、
 殿様 3、奥様 1。これはお小姓に入り浸りの殿様を、奥様の部屋へ通うように進言するのも小姓の大事な努めだという部分です。
 僧 3。僧と稚児(若衆)の和歌のやりとりの部分で、僧に対して敬語が使われます。
 若衆 40。最も多いです。
 その他 1。「此門に入たまはば」というような一般論の部分です。
おおむね若衆に対して「書き給うべし、慎み給うべし」と教え諭しています。

上巻の「兄分勧学の巻」は、男性を教え諭す内容ですが、「給ふ」は全部で21例しか使われません。
 内訳は、殿 2、若衆 6、兄分一般男性 13。
兄分を教え諭す巻なので、男性にも「夢忘れ給ふべからず」と使いますが、若衆についても「意ある若衆ならば、はしたなく思ひ玉ふべし」というふうに、若衆に嫌われますよという表現のときにも使われます。

殿や僧は別格ですが、それ以外では、若衆に対して非常に多くの敬語がつかわれています。
若衆は、遊女と同様に、神に近い存在だったといわれることがありますが、それは敬語の使われ方からもわかると思います。

さて本を読んだときのテキストの文書ファイルがたくさんできてしまいました。読み間違いもあると思いますが、二次著作権があるとすれば私にあります。aaa cafeのスペースに発表の準備をしていたのですが、aaa cafe は停止になるそうなので、HPと同じatpagesにと思いました。でもアダルト指定を受けそうな内容なので、別のブログを借りようと思います。

徒然夢物語夜講釈

歌舞伎の市川家といえば、名門中の名門。家紋は「三桝の紋」で、三重の四角形をデザインしたものだそうです。
下の絵の中央の人物の羽織に、そのような紋様が見えます。その人物の左下に「三桝の紋付候 衆をまいらしゃう」と書いてあります。
右下には「弁慶 二役」とあって、山伏のような弁慶の服装をしているわけでしょうね。

絵は『兼好今法師志道軒・徒然夢物語夜講釈』奥村政信(画)にあるもの。
最初のほうはかすれて読みにくいですが、読めるところから読んでみましょう。送り仮名を補って書きます。

 見申せば、風雅成る御いほりに
 「俳林男好堂衆道軒」とうち、
 あまた若衆たち御座候こそ ふしん也。

しゃれた庵の入口に妙な看板があり、若衆がたくさんいるのが不審だというわけです。

 さて此の松は 名のなき事は候まじ。
 御物語候へ。さんぞろ。
 此の松に付いて、さる物語の候。語りてきかせ申し候べし。

入口に松の木があり、何かいわれがありそうなので、語ってくれというわけ。

 むかし此の所、年頃(ねんごろ)致し候兄分有り。
 此の人外に若衆を持ちなふを(若衆は)恨み、
 此の松かけにて心中なさんと 待ちいたる。
 兄分、是をききて出あはず。
 若衆ぜひなく松に一句を残して
 「あだ人を まつにかひなき 時雨かな」
 とかきて、国もとへ立ちかへり候。

ねんごろ(懇ろ)の兄分とは若衆の恋人のことで、この恋人は他の子と付きあっていることがわかり、思いつめた若衆は、心中しようと決意して恋人を待ちかまえます。しかしそれを察知した恋人は会おうともしません。若衆は、すべもなく、むなしさを感じて一句を残して国もとへ帰ったそうです。
「あだ人を、まつにかひなき時雨かな」、「あだ」は婀娜と仇、「まつ」は待つと松、「かひ」は買ひと甲斐をかけてあるわけですね。

歌舞伎の「安宅の関」や長唄の「安宅の松」のパロディになってるのでしょう。

こたつの中で

こたつの恋しい季節になりました。
江戸時代の奥村政信の絵で、二人仲良くこたつに入っている絵です。
川柳が書かれてありますね。読んでみると……

 火燵(こたつ)びに かを折烏帽子 たてゑぼし

たてえぼし(立烏帽子)とは、辞書をひくと「風折烏帽子に対して、中央部の立った本来の烏帽子をいう」とあります(*)。
要するに先の折れてる烏帽子と、立ってる烏帽子のことなんでしょうね。つまりこたつの中で立ってる物がある、ということなんでしょう。折れてた物が立ったということなのかもしれませんし、折れてる物と立ってる物と二つあるということかもしれません。
こたつの中で二人は何をしているのでしょう?。
顔だけ見えてる子は、今の言葉で言うと、トランスジェンダーさんなのですね。

* 川柳の読み方は「かざ折」ではなく「かを折」だと思うのですが(「かを打」かもしれません)
 画像は奥村政信絵『粟島ひながた染』より

針師のおかつの歩き方

「四谷大番町なる大番与力、某甲の弟子(おとご)に、おかつといふものあり。幼少のときよりその身の好みにやありけん、よろづ女子のごとくにてありしが、成長してもその形貌を更めず。髪も髱(たぼ)を出し、丸髷(まるまげ)にして櫛・簪(かんざし)をさしたり。衣裳は勿論、女のごとくに広き帯をしたれば、うち見る所、誰も男ならんとほ思はねど、心をつけて見れば、あるきざま、女子のごとくならず。今茲(この年天保三年に)は四十許歳なるべし。妻もあり子供も幾人かあり。針医を業とす。四谷にては是を"をんな男"と唱へて、しらざるものなし。年来かゝる異形の人なれども、悪事は聞えず。且与力の弟なればや。」(曲亭馬琴の『兎園小説余禄』より)

与力とは奉行所で事務の補佐をしたり、同心(警察官のような人)たちを監督する役割の侍のこと。兄が与力を継いだので、弟のおかつは侍にはなれず、針師となったようです。
与力の弟なので悪事の噂などはないと結んでいますが、引用部分の前に偽男(FtM TG)吉五郎が博奕の常習犯で逮捕された話と対比しての書き方でしょう。

殿様やその重臣以外の普通の武士の家では、兄弟の中で武士になれるのは一人だけということなんでしょう。婿に行ければ別ですが、おかつには不向きと思われます。こういう人は、江戸の町にはもっとたくさんいたのではないでしょうか。歩き方には注意したほうが良いでしょうね。当時は男女の歩き方にものすごく差があったということかも。

牛、死を知って泣く

むかし阿波国(徳島県)の長谷川越前という武士が、所用のために城下のある家を訪れると、庭先につながれていた一頭の牛が、空を見上げながら、目からいっぱい涙を流していました。不審に思った越前が門番の者にわけを尋ねると、この牛はまもなく家の主人の薬用のために食されるのだと言いました。(当時は四つ足の動物を食べることには禁令が出ていたのですが、肉が薬になるのだいえば問題なかったらしいです。)
牛の目は越前に何かを訴えかけるようでした。越前はこの牛を憐れに思い、所用を後まわしにして、すぐに殿様のもとに参上しました。話を聞いた殿様(蜂須賀公)は深く感じられて、特別のはからいにより、牛は越前に引き取られて育てられることになったとのことです。

これは曲亭馬琴の『兎園小説余禄』を読んでみようと手にした本にカップリングされていた神谷養勇軒という人の『新著聞集』の中の話です。

口蹄疫のために処分されるという数十万頭以上の牛の涙は、全部でどのくらいの分量になるでしょうか。

おさのの物語

さるお殿様のお屋敷に、お姫さまのお世話をする"おさの"という腰元がいました。おさのは、年は15〜16歳のお年頃で、腰元に奉公に出たのは、今でいえば結婚前の社会勉強を兼ねた就職のようなものです。交通の不便な時代ですから、働く人は皆、住み込みです。お屋敷とは、職場のようなもので、力仕事をする下男もいましたし、事務方の武士もいました。
その若い武士たちが、おさののことを噂して言うには、年頃なのに浮いた話がちっともないのは不審だというわけです。そこで、一人の武士が選ばれ、まもなく節分なので、節分の夜に鬼のお面をかぶって、おさのの寝室に忍び込んで、言い寄れ、ということになりました。
そして節分の夜に二人は出会ったのですが、いろいろあってから、おさのが言うことには、
「私は誠の女ではありません。母が再婚してから、継父にいじめられないように、女として暮らし、お屋敷へも女として奉公に出ているのです。」
さて、二人はなぜか気が合ってしまって、そのまま蒲団の中へ……。節分の豆のような拾い食い?。一度すんだあとでも、鬼は何度もせがむので、おさのは残りの豆を蒔いて「鬼は外」と叫んで追い返したとか。

江戸時代のある艶本の中の物語なのですが、継父からの仕打ちというのが、当時はよくあったことなのでしょう。前の夫への嫉妬が動機になるのでしょうか。継父または継父のような人と、男の子との関係、その複雑さということでは、現代でも思い当るふしがあるかもしれません。

若道と美道

ここんとこ江戸時代の本を読んだりしています。
江戸時代の武士の衆道については、やっぱりゲイにいちばん近いものなのでしょう。女嫌いを貫いた人たちのようで、「よくぞ十ヶ月も母親の中にいたものだ」というようなジョークは面白いとは思いますが、それに続く道徳論をながながと語るとなると、やはり日本人は論理が苦手のようで、屁理屈というのでしょうか、あほらしくなってしまいます。地若衆や舞台子たちは、そんな理屈は説きません。

文武両道ではなく「女若両道」というのもあるそうです。色の道に、女道(にょどう)と若道(にゃくどう)の2つがあるというわけです。「若」とは若衆のことですが、年齢が若いということではなく、40になっても70になっても若衆だと、井原西鶴の本に書いてありました。衆道という言葉よりも若道という言葉のほうが奇麗な感じです。

若道のほかに「美道」というのもあります。美少人(少年)を対象とするものですが、この「少」というのも必ずしも実際の年齢とは関係ないようです。「女美両道」という言葉はあまり見かけませんが、若道よりも美道のほうが良いかも?。
若さと美は永遠のてーまともいえますし、
若道と美道。

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