JポップとGID

岩波新書『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業』烏賀陽弘道著
という本は面白かったです。
広告会社とテレビとその背後にあるスポンサーを含めた「Jポップ産業複合体」の話とか。それらが市場を拡大もすれば、商品品質を単一化もするわけでしょう。

数あるCDの中から、自分にふさわしい1枚を選んで所有すること。それは、自己アイデンティティの確認行為であり、他の行為には替えられないもののように見えるときもあります。それがお金で簡単に買えてしまうのです。自分にふさわしいとは、夢をめざしてがんばる自分、おしゃれな存在でありたい自分、などです。
ここまで書いて思いました。彼らはアイデンティティを「自分で決める」のだと。そこである本で見た「性別の自己決定権」という言葉……違和感のあった言葉ですが……、時代も同じですし、似ているところがあるのかもしれません。ただし当時は「GID産業複合体」は見えていませんでした。

Jポップという言葉が生れた1988年ころは、大瀧詠一、サザンオールスターズなど、どんな海外音楽に影響を受けたかがわかりやすい音楽をJポップと呼んだそうです。それは大瀧詠一氏の分母分子論でいうと、分母がはっきりしているもののことですね。
でも以後はなんでも有りになって行きます。分母はよくわかりません。2次的3次的影響となると最初の元がなんだったかわからない状態。それがJポップの特徴なのかもしれません。そのへんのおじさんの鼻唄メロディーでも、今風にアレンジすればそれらしく聞こえることもあるでしょう。
Jポップ初期のころは歌謡ポップス調すら排除したそうですが、新商売は過去の利権を排除するものなのでしょう。でもそのおかげで産業複合体から提供される選択肢はとても種類が少なくなりました。種類が少なければ選択や「決定」に迷うこともないだろうという親切。そして過去を排除すると新教祖のようなものが乱立することになります。
ナイアガラーの内田樹氏ではないけれど、過去から続く歴史の中で自分の立ち位置を確認することは、大切だと思います。JポップとかGIDという枠組を排除することで、そのきっかけを取り戻せると思います。

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