柳腰から「むっちり」へ

柳腰から「むっちり」へ
江戸時代の初期の浮世絵美人といえば、切手でも有名な菱川師宣の「見返り美人」など、ほっそりした柳腰の美人が多かったそうです。江戸中期にさしかかる元禄のころになって、京都の西川祐信らの丸っこいふっくらした絵になって行きます。
江戸初期は戦国の遺風がのこっていて武士の好みは小姓のような細面、細腰だったのが、だんだん内向きになってお家断絶だけは避けたいと、健康な子孫ができるように、安産型のふっくらした女性を好むようになったのだろうとか、それを庶民が真似るようになったのだろうと、稲垣史生氏が書いていました。
ただ、江戸初期は新田開発と多産の時代であり、中期以後は乱開発をやめて産児制限の時代になったという一見矛盾する現象もあります。

さて元禄のころ水木竹十郎という役者は女形としては人気が出ずに立役に転向したという話があり、人気の出なかった理由について、土屋恵一郎『元禄俳優伝』に当時の評判が引用されていました。
 「葉もなき柳を見るここち。ほっそり過ぎて一倍御背高う見ゆる
  背のびしを縮め、むっちりと肥え給はば思ふ事はあるまい。かなはぬ浮世なり」
ということで、背が高く、やせすぎてふっくらした感じがないというのは、わかりやすい理由ですね。
代わって人気女形になった吉沢あやめは、男子としては小柄で、「むっちり」していたそうです。

江戸後期の寛政のころは、喜多川歌麿の絵のように、細面だけれど柔らかい感じの美人になります。少しだけむっちり感もあります。
師宣や歌麿は関東の人なので、細おもては関東好みと見ることもできるかもしれませんし、江戸後期は庶民もぜいたくになって太った人が増え、歌麿のような細い美人に憧れたのかも?

あやめ草2
「若女形といふものは浮気な恋、色道根本といふはこのあやめさんの思ひ入れ」
「思ひ入れとは直接の官能によって女を表現するのではなく、恋の目つき、言葉、仕種のなかの恋の深さによって、女の官能を表現することである。」(土屋恵一郎『元禄俳優伝』)

「思い入れ」が大事だという話なのですが、「思い入れ」とは
  目つき、言葉、しぐさ、
で表現するということだそうです。

自分のことを振り返ってみると、
「しぐさ」については少し気をつけてます。少しですがブログにも書いたことがあります。
「言葉」については、私はこだわりがあるほうかも。文章言葉については、それなりに極めてるようにも言われたこともあります。ブログでは、具体的にこういう言葉が綺麗とか、ハウツー的なことは書いたことはなかったです。
「目つき」は、あまり意識したはことないですね。女子特有の目つきですか。ぼんやり遠くを夢見てるとか、落ち着きのないような恥ぢらいとか?

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