二人の自分の呼び方

漫画家の水木しげる氏は、自分のことを「水木サン」と呼ぶようになってから、精神的にずいぶん安定するようになったのだそうです。自分で「水木サンのベビーのころは……」なんて一人称代名詞のように言うわけですね。
自分の呼びかたというのも、自分にとってデリケートな問題があると思います(ジェンダーと一人称代名詞)。

ジェンダーをトランスするケースというか、私たちの場合、自分が二人いるようなときがあります。
これまでネットで見てきた限りでは「男性モード」といった言いかたをする人が多いようですね。なるほどとも思いますが、なんとなく使いにくい言葉です。なんといいましょうか、エンジンは同じ1つで、いくつかのモードがあるような? トランス感がないんです。それから、「心」と「からだ」をきっぱり切り分ける発想も私にはできないかもしれません。「心」が「からだ」より優位で、「からだ」はすべて「心」に支配されるべきだという考えもありませんし……。

それはともかく、これまで実際に私が使った言いかたを思い出してみます。

会話やメールで「あちらの世界で……」という言いかたをしたことがあります。ちょっと……天国とか異次元の世界に来ちゃってるみたいですけどね。魂がさまよってるみたいで、イマイチの感じかも。さまよう感じは嫌いではないのですが、魂だけだと幽霊みたいですからね(別の意味の「トランス」には違いないですけど)。

「私のなかの彼」という意味で、「うちの彼が……」なんていうの。「彼」なんていうと、恋人みたいで、違和感がありましたね。

最近SNSのT's LOVEで自分史的なことを書いてますが、「鳩子の片割れが……」という書き方をしてみました。そう、あの人は片割れなのかもね ^^;。


ほかの人の例では「B面」というのが良かったですね。アナログレコードでいうと Boys Side なのでしょう。B面では恋をしないかもしれないし??

中年以後の男女の体形変化について

若いころよりだんだん太ってしまうのは、しかたのない部分もあります。ウエストのあたりとか、そのほかにも気になる部分はあります。
2004年の経済産業省の日本人の体形データを参考に、20代と50代で、どの部分が太りやすいのかを、整理してみました。
各パーツについて、平均ではどのくらいサイズが増えているのかを、パーセントで計算しました

【体重】男113%、女105%。
男女とも太りますが、男性の太り方は2倍以上です。

【ウエスト】男118%、女110%。
体重の増加率より大きく、やはりウエスト周辺に肉がついて重くなることがわかります。肉というより内臓脂肪でしょうか。

【胸の厚み】男112%、女106%。バスト位置の厚みです。ほぼ体重の増加率と同じ。
【胸囲】 男109%、女105%。これはバストのこと。
【胸幅】 男105%、女101%。バストより上の位置。
女性の胸幅はそんなに増えません。胸の厚みやバストが増えるといっても、脇や背中の脂肪が多いと思います。いかにもアンダーバストがあるという感じの人もいますけど。
男性は胸幅まで増えます。肥満の人は脂肪が最大原因でしょうが、筋肉や骨格など、いろいろ組み合わさった結果と思います。さまざまな体形の男性の平均値の数字です。

【太もも】男104%、女99%。
出産期を終えた女性の太ももは太くならず、僅かに細くなるくらいです。男性も体重の増加率に遠く及びません。男女とも細い足の上にウエストを中心に丸々と化した上体が載ることになります。
ヒップのデータはありませんでしたが、太ももの増加率より少し多い程度ではないでしょうか。
【ふくらはぎ】男105%、女101%。太ももの比率よりほんの少し大きい程度。
その他では、女性の手首が太くなりやすいようです。手首から先、足首から先のサイズは年代による増加はほぼありません。二の腕については不明。

全体としては、若い人にくらべて、ウエストと上半身が大きく、それは特に男性に顕著です。特に、男性の胸の厚み、女性の太ももの細さが一番目立つと思います。

女性の太ももは放っておいても細くなりますので、ダイエット産業の宣伝に惑わされないほうが良いと思います。むしろ一定の太さを保つほうが若々しく見えるはずです。

男性の胸の厚みについては、対策はあるのでしょうか。特にMtFのトランスジェンダーさんたちにとっては大問題です。

内臓脂肪については、対策は有酸素運動しかないそうなので、とにかく歩くのが一番らしいです。
アンダーバストの増加については、私の例では、内臓脂肪でウエストが増え、下に向かって細くなっていた肋骨の裾を広げてしまい、その結果アンダーバストも増えているような気がします。

梅雨の季節にしっぽりと

<江戸の十二ヶ月シリーズ>です。

梅雨の季節は、ときどき土の上に、もっこりと、モグラが顔を出したときの盛り上がった土を見つけることがあります。
江戸時代にも、こんな川柳があります……。

 入梅や 下からむぐむぐ むぐらもち

「むぐらもち」とはモグラのことです。
情景をそのまま言葉にしただけのように見えると、そんなに面白みがないかもしれません。
奥村政信『粟島ひながた染』(元文(1736〜)頃)に載っていて、どうやら艶っぽい川柳のようなのです。
梅雨入りのように、しっぽりとしていると、なぜか下からむぐむぐと……。普通の女と思ったら、違ったというような意味のようです。

火星人のハルモニア

火星人はタコのようは八本足をしているといわれた時代がありました。
でも本当は、八本足なのは女性の火星人だけで、男性はイカのような十本足だったそうです。
火星では女性の守護星はフォボスとされ、男性の守護星はダイモスといい、どちらも火星の衛星です。
あるとき、九本足の子が生まれました。その子はハルモニアと名付けられましたが、女なのか男なのか、お産婆さんも首をひねりました。ちょうどその時代に、火星では女性のパンツルックが大流行していました。九本足のハルモニアが、女性のパンツをはくと足が一本出てしまいます。そのため、ハルモニアは、男性用ズボンをはいて、余った一本には義足を入れ、義足を引き摺りながら男社会で生きてゆくことになりました。
ある夜、ハルモニアは、夜空にフォボスとダイモスが行き違うのを見ながら、ふと思いました。
-----なぜ私は毎日こんな重い義足に耐え忍んで、身も心もすり減らして生きなければならないのでしょう。私は本当に男なのかしら。本当は女だったのが、間違って中途半端な足が一本余計に付いてきてしまっただけなのではないかしら。-----
思い悩んだ末に、ハルモニアは自分の足を一本食べてしまいました。そして女性としての人生を歩むことにしたのです。
それ以来、地球をふくめた太陽系のタコは、自分の足を食べてしまう癖がついてしまったということです。

異伝によれば、ハルモニアは女性服のまま、常に男性たちと女性たちの調停役であったとのことです。
(創作ですよ、もちろん ^^)

蓮華草と白詰草



野原の蓮華草の上に寝転んでいると、
小さな花の一輪を、
あなたが摘まんで、わたしの顔の前にかざす。
過去と未来の詰まったプレゼント。

白詰草の上を這いながら、
あなたが探す四つ葉の葉。
わたしが先に見つけてしまった四つ葉に、
あなたの指が触れる。

……
(感想)私は四つ葉の葉っぱだったのかも。
早く見つけて! と言っているような、
回りの葉っぱとは少し違う四つ葉の葉。
蓮華草の上に小さな十万億土が載ってたら?
(考えようによってはちょっとHな詩)

「ひされ野郎」は誤読です

ひまな江戸時代の『諸遊芥子鹿子』という本が昭和20年代(1952)に活字化(岡田甫:著)されたことがありますが、(原本には)次のような文があります。

「とてもに聞たし、はやり子には朝夕の膳部もさまざまととのへてすへそなへ、ひまな野郎には朔日にも鯰をすへぬといふがいかに」

当時のかげま茶屋などの話で、「流行り子」と「ひまな野郎」とでは、普段の食事の待遇まで違うといいますが、どうなんですか?、といった意味。
昼間は芝居を勤めるのが仕事の人たちですから、スターとそうでない者との待遇に差があるのは、特に芸能関係では致し方のないところでしょう。

「流行り」と「ひまな」の対比ですし、間違う可能性は低いと思うのですが、前述の活字本では「ひまな野郎」を「ひされ野郎」と誤読した箇所があります。原本は図のように「飛万那(ひまな)」を崩した変体仮名で書かれています。
江戸時代にはなかった言葉と思われる「ひされ野郎」が、一部のネットなどで流布してしまっているようですね。

ついでに、もう一つ。天保のころの『天野浮橋』という本の中の、歌菊というかげまのセリフに
「先を考へてみれば、心細いもので、親兄弟は上方にて十三の年わかれ、下りしより音も便りもなし」
とありますが、「親兄弟」を「親けん方(親眷方?)」と読んで変な造語を作るのも変でしょう。

★林美一編集「季刊会本研究9」(昭和56)を拝見する機会がありましたが、間違いなく「ひまな野郎」となっていました。林氏の著作はどれも信頼度の高いものです(2012.9.27)

柳腰から「むっちり」へ

柳腰から「むっちり」へ
江戸時代の初期の浮世絵美人といえば、切手でも有名な菱川師宣の「見返り美人」など、ほっそりした柳腰の美人が多かったそうです。江戸中期にさしかかる元禄のころになって、京都の西川祐信らの丸っこいふっくらした絵になって行きます。
江戸初期は戦国の遺風がのこっていて武士の好みは小姓のような細面、細腰だったのが、だんだん内向きになってお家断絶だけは避けたいと、健康な子孫ができるように、安産型のふっくらした女性を好むようになったのだろうとか、それを庶民が真似るようになったのだろうと、稲垣史生氏が書いていました。
ただ、江戸初期は新田開発と多産の時代であり、中期以後は乱開発をやめて産児制限の時代になったという一見矛盾する現象もあります。

さて元禄のころ水木竹十郎という役者は女形としては人気が出ずに立役に転向したという話があり、人気の出なかった理由について、土屋恵一郎『元禄俳優伝』に当時の評判が引用されていました。
 「葉もなき柳を見るここち。ほっそり過ぎて一倍御背高う見ゆる
  背のびしを縮め、むっちりと肥え給はば思ふ事はあるまい。かなはぬ浮世なり」
ということで、背が高く、やせすぎてふっくらした感じがないというのは、わかりやすい理由ですね。
代わって人気女形になった吉沢あやめは、男子としては小柄で、「むっちり」していたそうです。

江戸後期の寛政のころは、喜多川歌麿の絵のように、細面だけれど柔らかい感じの美人になります。少しだけむっちり感もあります。
師宣や歌麿は関東の人なので、細おもては関東好みと見ることもできるかもしれませんし、江戸後期は庶民もぜいたくになって太った人が増え、歌麿のような細い美人に憧れたのかも?

あやめ草2
「若女形といふものは浮気な恋、色道根本といふはこのあやめさんの思ひ入れ」
「思ひ入れとは直接の官能によって女を表現するのではなく、恋の目つき、言葉、仕種のなかの恋の深さによって、女の官能を表現することである。」(土屋恵一郎『元禄俳優伝』)

「思い入れ」が大事だという話なのですが、「思い入れ」とは
  目つき、言葉、しぐさ、
で表現するということだそうです。

自分のことを振り返ってみると、
「しぐさ」については少し気をつけてます。少しですがブログにも書いたことがあります。
「言葉」については、私はこだわりがあるほうかも。文章言葉については、それなりに極めてるようにも言われたこともあります。ブログでは、具体的にこういう言葉が綺麗とか、ハウツー的なことは書いたことはなかったです。
「目つき」は、あまり意識したはことないですね。女子特有の目つきですか。ぼんやり遠くを夢見てるとか、落ち着きのないような恥ぢらいとか?

ワコールさんの図がちょっと変?

トルソバランスの図は間違い?
画像はワコールさんの「トルソバランス」の説明図です(赤線は筆者による)。
トルソバランスとは、女性のからだの「美のバランス指標」ということで、からだの部位の理想的なサイズの比率を数字で表現したものだそうです。
http://www.wacoal.jp/sight/knowledge/html/k0803.html


気になるのは右図の黒の太線の実際の長さが、線のそばに書かれた「指標」の数字通りでないことです。
トルソバランスでは、美しいバランスは、ウエスト幅1に対して、ヒップ幅1.4、肩幅1.6とされるのですが、その数字通りの長さで線を描くと、赤い線のようになります。肩幅はかなり大きく、バストトップの横幅も左右にやや広くなり、肩の高さも少し上になります。

けれど、イラストの肩幅は、赤線の幅とほぼ同じと見て良いと思います。問題は肩の高さです。イラストの肩の位置をもう少し上に描かないと…? でも、そんなに肩が上にあったらバランスが悪いかもしれませんね。

左側の図は、肩〜B〜W〜Hのそれぞれの縦方向の間隔の長さの割合を示したものです。
肩〜Bと、B〜Wを同サイズの1とすると、W〜Hは1.2だそうです。股下位置については考慮にありません。
……
以前どこかで聞いた知識では、肩からウエストまでと、ウエストから股下までの長さが、同サイズがベストというものでした。つまり肩から股下までの真ん中にウエストということです。
トルソバランスのイラストは、ウエストが少し低くなっていますね。肩を赤い線まで上げるとウエストはもっと低い感じになります。少し不自然さを感じる図です。

縦方向の割合の数字についてなのですが、なんていいますか、ヒップアップのキャンペーンのための急ごしらえの感が否めないといいますか……。たぶん、従来データのうちでヒップ位置だけ高くして作ったのでしょうね。なので、B〜Wはそのままだけど、W〜Hだけ短くなってしまって、W〜股下とのバランスは念頭になかったといったような……?
(Wacoalさんの製品にはときどきお世話になっていますが、ちょっと気になりましたので)

スピード社会への疑問

(最初のタイトル「良いウソをつきましょう」を改題)
この「日記」も、身の回りのことやプライベートなことは、ほとんど書かずに、よくこれだけの量を書いてきたものだと思うこともあります。
一部には、オブラートで包んで書いたり、遠まわしに書いたりしたものはあります。その日に流星群を見たと書くことはありましたが、どこそこの住所で見たとは書きません。
もともと、世の中のうわべの現象に左右されないようにしようという意識は強い人なので、表に見えないものを見ようと努力してきたことが、何か書くのにとても役立っていると思います。

インターネットといえば、スピーディな情報が一番と考える人も多いのかもしれません。でもそのことがおかしな方向へ進んでしまいました。地方の選挙速報で誰が当選したかを知るのには便利です。でもスポーツニュースはどうでしょう、どのチームが勝ったという結果かわかればいいというものでもないと思います。試合結果以外のことが報道されても、それは予め用意された予定原稿を読まされることが多くなりました。他社より遅れてはいけないのでそうなります。ある新聞でも、勝った試合は何もかもうまくいってファンの思い描いた通り、負けた試合では言い訳じみることもありますが、文章を読んでいる限りはまるで勝ってるかのような気分の盛り上がりの記事もあります。リアルな現実感がなく、何が事実なのかもわからなくなります。そういう報道は、政治のニュースでもよくあります。政治ニュースの場合は、現実をわからなくして、意図的な世論誘導をしているので悪質です。
スピードを要請される社会では、情報は全てそのような予定原稿ばかりになってしまいました。そこからは新しい発見は何もない、そんな気がしませんか?

何を書こうと思ったのでしたっけ。プライベートなことを書かないのは我が身を守るためでした。でも、おかげで世の中のことがだんだん見えてきました。
でも身の回りのささいなことを書きたい衝動にかられるのは、いつものことです。書いたら楽しいでしょうね。でもあとで憂鬱になることは確か。何度も経験済みです。

オブラートに包むというのは、その日の喜怒哀楽の激しさを和らげるということですが、怒りは悲しみになり、喜びは別のものへの感謝へシフトしてゆきます。
それから期間をおいてから思い出として書いたり、人から聞いた話に化けてたりします。
そういう意味では、ウソばっかりの日記です。ごめんなさい、でもほんとのことばかり書いてある日記でもあるのです。良いウソをつきましょう。
(純粋なエッセイや思い出話にウソがあってはいけません、もちろん)
これって、去年の1月に、その年のテーマのように書いたことでした。当時は漠然と書いたのですが、今になって少し具体的なイメージになりました。

ブログを始めたけど何を書いていいかわからないという人。新しい情報しか価値がないというような今の風潮に染まってしまっているからではないですか?

5年生のときに縫ったスカート

小学校5年生からの家庭科の授業は、とても楽しいものでした。通信簿も「5」をもらったりして(5点法)、自信をもった私は、家でスカートを縫うことに挑戦したのでした。
大人の古着ばかり着るのでは、サイズも合わないし、子どもらしいミニスカートが欲しかったのだと思います。
家の中で材料を物色すると……、一枚のスカーフがありました。大きさは縦横90センチくらいで、薄くて柔らかくて、光沢があって少し透ける感じ。白っぽい色で花の絵が刺繍してありました。光沢があって透けてるなんて、今思えばちょっと大人っぽい感じですが、生地は半分に折って二重にして一枚は裏地のようにしました。
丈は45センチくらい。裾幅はいっぱいにとって90センチくらい。台形になるように縫って、ウエストはゴムで、とりあえず輪ゴムをつないだものを通したと思います。それほど難しい作業ではありませんね、小学生ですから。まあまあ、上手に出来たと思います。なめらかな肌触りで、ひざのあたりはちょっと涼しい感じ。窓から差しこんできた春の日差しにきらきら光っていました。6年生にあがる前の春休みのことでした。
けれどこのスカートは、あるとき隠して置いた所からなくなっていたのです。見つかっちゃったのかもしれませんね。物の管理がずぼらなのは子ども時代からだったのですね。
こんどまた何か作ってみたいです。

家庭科は中学生になったら、もっと上手になろうと思っていたのですが、中学になると「技術家庭」といって、大工さんのようなことばかりさせられました。男の子ということでしたからね。細かい工作は得意なのですが、カンナのような重たいものをあやつるのは大変でした。

★スカートやスカーフのサイズの記憶は曖昧でした。けれど6年生になる直前の身長が150弱、ヒップがその半分の75弱とすると、ゴムのウエスト幅も75。スカートの形の記憶からすると、裾幅は80でなく90ということです。

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