母はそのことを知っている

子どものころの話です。
私が内緒の女の子になっていたいちばん古い記憶は、小学2年生ごろです。それ以前のことはわかりません。ときどき聞かれることですが、性的ないしフェチ的なことや罪悪感などについては、そういう感覚や記憶は何もありません。ただ、つかのまの安らぎに似たものと、見つからないようにしなければという焦りのような意識ばかり思い出されます。2年生のときからそうでした。

2年生ですから、社会的な通念や道徳観から秘密にしようと考えたというわけではないと思います。もしかすると、スーパーマンなどの素性を隠したヒーロー物のドラマや漫画の影響で、ある種のスリルを楽しんでいたような面もあったのかもしれないと思ったこともありましたが、そういうものでもないのでしょう。そのときの日記が、2005年9月の「ヒヤッとする話」でした。

私は育児に縁遠かったので、育児書などを読んだことはなかったのですが、去年(2011)の8月にある育児サイトで見た言葉がありました。
「子どもは2歳ごろから親に隠れていけないことをする習性がある」
というのです。つまり、おねしょや、おもらしのことが一番でしょうね。それで母親に叱られたことがあるので、無意識のうちに隠そうとするらしいです。

日記の「幼き日の」にも書きましたが、そういう隠し事をする子どもの心理は、小学生の私が女の子のものを着ることを隠そうとしたのと同じようにに思えたのです。たぶん同じだと思います。ということは、私の記憶にないもっと幼いころに、母に見つかって叱られたことがあったのだということになります。

そういうとき、どうしてもお姉ちゃんと同じのを着たいんだと駄々をこねて泣きつづけたという子の話は、ずいぶん聞きました。ニューハーフさんとかの話です。条件付きで認めてもらった人もあるみたいです。あのときは大変だったと後で母親が聞かせてくれたので、本人の記憶にも残るのでしょう。

私が叱られたときは、どうだったのでしょうね。じつは3年生のときに、姉のパンツを一日はいていたのを見つかって叱られたことがあるのですが、そのときは、言い訳をしました。木綿のトランクスがゴワゴワしていやだと言ったのです。(それ以後はブリーフになりました)。
もっと幼児だったとき、私はそんなに駄々をこねる子ではなかったけれど、やっぱりその年齢なりの反応はしたのではないかと思います。3年生のときに、肌触りの問題にすりかえて言い訳したのは、3年生なりの知恵なのでしょう。

その3年生のパンツのこと以外は、私はすべて隠し通せたと思って来ました。でも、それは甘い認識だったと思うようになりました。幼児のころに叱られたことがあったのもほぼ間違いないでしょうし、たぶんほかにも……。とにかく母親というのはよく見ているものなのでしょう。心配しながら静観してたものと思います。

隠し通して来たと思うのは間違いで、隠し通すことによって心配はかけなかったというのも間違いだったということなのです。ただ、知っててもらってたほうが、かえってカムアウトしやすい環境なのかもしれませんけどね(もっと若ければですけど)。

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