男子から女子への輪廻転生の話

昔話で、人が生まれ変わる話……輪廻転生の話はよくあります。けれど、なぜか男子が女子に生まれ変わる話があったかどうか、あまり記憶にないのですが、それが不思議に思っていました。
最近『奇談雑史』という江戸時代の本で1つ見つけたので、あらすじではなく、その全体を現代語訳に書いてみました。ちくま学芸文庫の本からです。
『奇談雑史』巻六「高瀬氏の娘の事」という短い逸話です。

 伊勢神宮の外宮の神楽衆の一人に、高瀬宗太夫という者があり、妻との間に3人の男の子があった。のちに女の子1人が産まれ、「ゆき」と名付けられた。
 雪(ゆき)は、安永七年(1778)の秋、三歳のときに疱瘡を患った。母はそばで看病し、ある日、雪を抱きながら、ひとり言のように言った。
「雪よ。私の3人の子は皆男の子だったので、どうか1人の女の子が欲しいと神に祈って授かった子なのだから、どうかこの疱瘡を軽くしておくれ。お前が生まれる前、どこの国から来て私の子に生まれたのだろう」
 すると雪は、目を開いて母の顔を見つめ、「私は松阪より来ました。とゝさまの名は餅屋六兵衛、かゝさまはおもんと申します」と、はっきりした口調で言い、また目を閉じて眠った。
 母は驚き、側でこれを聞いた人も皆驚き、不思議がった。この話は人々の噂にものぼり、やがてその年も暮れた。
 年が明けて春、人伝てに話を聞いた松坂の六兵衛は、高瀬氏を尋ね来て、詳しい事情を語ってくれた。松阪黒田町で餅売りをいとなむ、名は赤塚六兵衛といい、男の子が一人あったが、松阪の大商人三井家に奉公に出たあと江戸の店に勤めていたが、疫病にかかって二十三歳で死んだ。この男の子は、常々「世にうらやましきは、伊勢の神楽衆なり。願はくは、未来その家に生れたきものなり」と言っていたという。その宿願が叶って、神楽衆高瀬宗太夫の家に生れたのだろうという。

幼くして、または若くして死んだ子は、どこか別の家の子として生まれ変わるものだと信じられていた時代です。看病しながら母が、この子は生まれる前はどこの国にいたのかしらと想像したというのは、このまま死ねば別の場所で生まれ変わることになって次はどこの国で生まれ変わるのだろうかとか、そうは思いたくないので、逆に、生まれる前のことを思い、思うだけでなく実際に口にしたのでしょう。何か呪文めいた、それを口にすることで病が軽くなるような、そういう効果を期待しての言葉と思います。むしろ、子どもの疱瘡のときは、どの親もそうしていたのかもしれません。将来の不安を口にすれば、それが現実のものになってしまいますから。ここまでの話は、世間によくあることだったのでしょう。
ところが病の雪は、突然目を開いて、松坂の餅屋六兵衛の子だったと、寝言とは思えないお告げのようなことを言います。そして餅屋六兵衛は実在の人で、息子を若くして亡くしたこともわかります。
その息子は、伊勢商人として江戸で働きづめで、23歳で亡くなったのですが、常日頃「伊勢の神楽衆はうらやましい。その家の子に生まれたいものだ」と言っていたそうです。

23歳は立派な青年ですが、そのくらいまでは、生まれ変わることもできたわけなのでしょう。
男の子ではなく女の子として生まれ変わったことに、何か意味があるのでしょうか。
当時の伊勢の神楽衆たちの中での、女性の役割というのは、調べてないのでわかりません。歌舞伎ではありませんので、女性も歌舞をしたとは思うのですけど……。

アザミの花


アザミの花が1つ咲き残っていました。
「山には山の愁いあり」……という歌もありました。
「思い出草に君を刺さん」という歌は野ばらでした。

江戸時代の『女熊坂虎之巻』という本に載っていた奥村政信の川柳。

 すそもよふ若しゅの腰に鬼薊菜(おにあざみ)

最初は意味がよくわからなかったのですが、例によって艶本ですので、つまり若衆が慣れてないというか、「痛い」というのがヒントなのでしょうね ^^ゞ

菊と野菊と源氏名と

江戸時代の明和のころの平賀源内の『菊の園』という本を見ると、日本橋芳町そのほか、源氏名というんでしょうか。「菊」の字が付く名前が多いです。
 菊松、亀菊、万菊、千菊、菊野、染菊、花菊、新菊、菊蔵、菊次郎……、白菊……。
なぜ菊という字が好まれたのかというと……(下ネタの話ではないのですね、これは)、
やはり、高貴な血筋であった昔の稚児物語の美少人たちの系譜を引いているからなのだろうと思います。秋夜長物語では宰相の家柄だとか、京都の物語だからそうなるのでしょうけれど、地方へ下って格が下がるとはいっても、地方なりの高貴な血筋というのもあるわけです。
こういうことは、木地師や琵琶法師の祖先が○○親王であるとかいう伝説とは別種のもので、宰相の家柄であったのは事実なのですね。
けれど、そういう最高の血筋とは違う庶民の場合は、菊は菊でも野菊。でも、野菊と菊がつながってしまうところに、菊の良さがあるのかもしれません。

オスの三毛猫

三毛猫といえばたいていはメスなのですね。でもごくたまにオスの三毛猫もいるそうです。

Wikipediaの解説を見てみましょう。
日本に多いらしいような?。
「1000匹に1匹程度」がオスと書いてありますけど、三毛猫1000匹のうち1匹程度という意味でしょうね。
Wikiには書いてないですが、三毛猫は品種の名前ではなく、毛の色が三色ということだけだったと思います。

なぜほとんどメスなのか、稀にオスがいるのはなぜかの説明は難しいですね。
wikipediaでは、親猫の遺伝子や染色体が組み合わさって子猫が生まれるとき、組み合せの条件によって三毛猫になるそうで、三毛の色はメスの性染色体XXと深い関係がありそうです。
メスのXXのうち「どちらか一方がランダムに胚発生の初期に不活性化されることにより、毛色がオレンジになる」……?。Xが片方しか活性化しないということは、ややオス(XY)に近い?といえないでしょうか。稀にオスに現われるクラインフェルター症候群は、性染色体がXXYという形で、その中に「XX」という要素があるので、部分的にメスに似た容姿を備えることもあるということでした。猫にもクラインフェルター症候群というのがあって、これも三毛猫になる要因の一つとか。それ以外にも、オスの三毛猫の原因はあるみたいで、専門用語で「モザイク」「遺伝子乗り換え」など話が難しくなります。

「福を招く三毛猫を船に乗せると船が遭難しないという言い伝えがあり、特にオスの三毛猫はその希少性のためからか福を呼び船が沈まないと言われ、江戸時代には高値で取引されていた」
三毛猫が航海の安全を祈祷してくれるみたいで、人でいえば巫女さんみたいな猫ですね。巫女というより男覡?
(漁師さんたちの船には女は乗れなかったので、ちょうどいいわけですね ^o^/)

Alice Pinkie (一寸女子パート2)

「一寸女子パート2」です。
お盆のころに作った画像を忘れていました。
たまたま見つかったので、HPのコラージュのページにアップしました。

一寸女子 - Alice Pinkie
このシリーズは英語名を付けるようになっていました。一寸法師のことを Tom Thumb (親指トム)と訳すことがあるそうで、女子なので Tom ではなく、小さくなる童話の女の子といえば「不思議の国のアリス」、それで Alice。女子なので親指ではなく小指(Pinkie 米国口語)、というふうにしました。

お盆だったので、蓮の葉の上に乗ってる画像です。

一寸女子

夕暮れに、からだがどんどん小さくなってゆく夢を見ました。
小さなお椀の舟に乗って、一寸女子みたい。

たそがれどきに、一寸(ちょっと)女子。
日暮れの早い季節の、つかのまの……、……アバンチュール?

街灯の光が一つまばたいて、
せつないくらいのしあわせの詩。
人生のようにつかのまの一寸女子。

あなたができないのは私もできないのと同じ


一般に女性は自分だけに良いことがあっても、それは書かないと思います。子どもや家族や親しい人については書きます。みんなで楽しかったことは書きます。でも自分のことでは、書かないのが普通です。
しあわせ恐怖症」というのもありますからね。
そのほかの話題では、見たり触れたりしたことを書きますね。

トランスの皆さんなどで、客観的な事実を書くだけだと思っていても、それが必ずしも客観的ではないときもありますから、コメントしづらいケースもあるでしょうね。
トランスさんの長文の手記とか、読むのがつらいことが多いので、滅多に読みませんけど、読んだあと私の心が不安定になるのは、私自身の問題かと思ってきたのですが、そうでもないと、最近は思っています。
人にはできることとできないことがあって、運不運も大きいです。自分の力でできたと考えるのは、「自己責任」のイデオロギーに影響されたのかもしれません。
人は何かができたときは、そのかわりに何かを捨てているはずです。成功とは悲しいものだということは、忘れてはいけないことなのでしょう。
あなたができないのは私もできないのと同じだと思えば、私にもまだ救いがあるのかもしれません。

余談で変な話になりますが、猥談について、男性は要するに自分の自慢話、女性はいかに相手が良い男だったかのおのろけ、なんていう人がいたのですが、言い得ていると思いました。他の普通の話題についても、男女には同様の傾向がありそうです。おのろけには行き過ぎがないようにしないといけませんけど。

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