信じられないものの話、(脱線して)医療の目的

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恋愛とは、二人が別々の幻想を見ているだけではないかとか、同じものを見ていると錯覚しあうような二重の幻想ではないかとか、そういう不信感の話もあるのでしょう。
でも少なくとも自分自身の中の気づかなかった部分を、初めて気づかせてくれるような相手の存在というのは、感動ものだと私は思っています。
今日はそうではなく、世の中で信じられないものの話です。

政府や東電の発表というのはあまり信じられませんし、内閣支持率とか、政治というのはあまり期待しないほうが良いのでしょうね。

パソコンはときどき壊れますし、壊れるものだとわかっていますから、ちゃんとバックアップをとっておきます。機械は信用しないほうが良いと思います。

最近困るのは、新聞やテレビラジオからの情報です。かたよっているような、情報操作のためだけの存在になっているような気がして、世の中の見通しを悪くしています。

医療や薬品については、必要以上に頼らないほうが良いと思ってます。
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医療は、本来は、放って置いたら命にかかわるときに頼るものだったかもしれません(風邪も含めて)。
けれども、たとえば頭痛のとき、仕事を休んで一晩寝れば直るとわかっていても、頭痛薬を飲んで仕事を続けるような生活に、慣れてしまいました。お肌に良いといわれればサプリメントなどを日常的に飲みます。
仕事を続けるための頭痛薬というのは、治療のためというより、薬の成分によって頭をすっきりさせるための、そういう目的の薬だと思います。
医療には、病気の治療だけでなく、日常生活の不快感を除くという目的も加わってきているというのが実情でしょう。GID医療は、性別違和感という不快感から始まるとすれば、後者の目的に近いようにも見えます。

(私の中に医療不信のようなものがあって、その結果トランスジェンダーにとどまっている、ということを書こうと思いましたが、途中で脱線して、医療には治療以外の目的があるという話になってしまいました^^;)

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