少年と少女

「少女」という言葉を広辞苑で調べてみると、
> (1)おとめ。むすめ。(2)年下の方の娘。妹娘。(3)大宝令で一七歳以上二○歳以下の女子の称。

昔は15〜16歳で成人ですから、17〜20歳とは結婚適齢期。江戸時代以前は「少女」と書いて「をとめ」と読んで、年齢はもう少し幅があるかもしれませんが、要するに青年男子の恋愛対象となる若い成人女子のことなんですね。「少」は若いという意味です。

「少年」については
> (1)年の若い人。わかもの。多く男子をいう。(2)少年法及びその関係法令では満二○歳に満たない者。児童福祉法では小学校就学から満一八歳までをいう。

こちらは現代の法律用語の説明に力点が置かれています。法律では20歳ないし18歳頃以上を成年とみなして、「少年」は未成年のこととしています。
「少女」が成人女子のことだったのに、この違いは何でしょう?

広辞苑の「少年」の「(1)年の若い人。わかもの。多く男子をいう」というのが説明不足なのでしょう。江戸時代以前の本では、「少女」と同様に、成人した16歳から20歳くらいの男子を少年と呼ぶことが多いのです。つまり、少年とは古典の世界では少女と同様に若い「成年」のことなのです。
けれど現代の法律では「未成年」の意味で使われます。
そのことから古典の世界にみられる「少年愛」について大変な誤解をしている人も多いようですね。

若衆への敬語

去年の春ごろから江戸時代の本をよく読みます。当時の本の写真画像がWEB上で公開されていることもあり、そういう画像のくずし字を読んでいくので、1冊読むのに時間がかかります。どうせ時間がかかるならと思い、テキスト文書ファイルを作りながら読みました。テキストファイル化したので検索も簡単です。

『男色 十寸鏡(まそかがみ)』の下巻「若衆勧学の巻」は当時の若衆のたしなみなどの手ほどきの本ですが、敬語の「給ふ」という言葉の使われかたの用例を調べてみました。
「給ふ、玉ふ、たまふ」は、49例ありました。多少の数えまちがいがあるかもしれません。
誰に対して使われるかというと、
 殿様 3、奥様 1。これはお小姓に入り浸りの殿様を、奥様の部屋へ通うように進言するのも小姓の大事な努めだという部分です。
 僧 3。僧と稚児(若衆)の和歌のやりとりの部分で、僧に対して敬語が使われます。
 若衆 40。最も多いです。
 その他 1。「此門に入たまはば」というような一般論の部分です。
おおむね若衆に対して「書き給うべし、慎み給うべし」と教え諭しています。

上巻の「兄分勧学の巻」は、男性を教え諭す内容ですが、「給ふ」は全部で21例しか使われません。
 内訳は、殿 2、若衆 6、兄分一般男性 13。
兄分を教え諭す巻なので、男性にも「夢忘れ給ふべからず」と使いますが、若衆についても「意ある若衆ならば、はしたなく思ひ玉ふべし」というふうに、若衆に嫌われますよという表現のときにも使われます。

殿や僧は別格ですが、それ以外では、若衆に対して非常に多くの敬語がつかわれています。
若衆は、遊女と同様に、神に近い存在だったといわれることがありますが、それは敬語の使われ方からもわかると思います。

さて本を読んだときのテキストの文書ファイルがたくさんできてしまいました。読み間違いもあると思いますが、二次著作権があるとすれば私にあります。aaa cafeのスペースに発表の準備をしていたのですが、aaa cafe は停止になるそうなので、HPと同じatpagesにと思いました。でもアダルト指定を受けそうな内容なので、別のブログを借りようと思います。

どうする Windows 7

パソコンでわかることといえば、使っているソフトのことくらいでしょうか。

大きいアプリでは、一太郎ライトと読んでココのみ。
ツール類は古いものばかりで、画像ソフトのDibasとJtrin、susie、ffftp。バックアップソフト。エディタといくつかのテキストツール。
世間の平均以上にわかるものは、htmlとスタイルシート。
まだ少し覚えているものは、MS-DOSのバッチ。VZエディタとFD。
スキャナやDVDに付属のソフトもあります。辞典類もあり。

Cドライブの使用領域8.6GB、空き領域 53.8GB。DとEドライブもあります。

こんなですけど、Windows7は必要でしょうか。

なお 今日調べたら画像検索拒否のタグができていたことがわかりました。
<meta name="robots" content="noimageindex">
さっそくこの日記ページに導入しました。順次、他のページにも設定します。

縦と横のお話

縦糸はあなた(男)
横糸はあたし(女)

……という歌があるそうです。誰の歌かは聞き忘れました。

女が横になってて、男がタテ?
……やっぱりそうなんでしょうか#^^;
なぜかこういうのはいろいろと連想してしまいます。

男女が逆の見方もできると思います。

機織には、最初に縦糸を固定しておきます。
縦糸は最初はすきまをピッタリくっつけて揃えて並べて、1本おきに開いたり、閉じてまた逆に開いたりしながら、開いたときのすきまに横糸が入り込みます。
タテの狭いすきまを突き抜けるように横糸は動きます。横糸がシッポだとすると頭の部分もあります。それが端から端まで一気に貫通して、往復運動を繰り返してゆきます。
何の話でしたっけ?

信じられないものの話、(脱線して)医療の目的

   (1)
恋愛とは、二人が別々の幻想を見ているだけではないかとか、同じものを見ていると錯覚しあうような二重の幻想ではないかとか、そういう不信感の話もあるのでしょう。
でも少なくとも自分自身の中の気づかなかった部分を、初めて気づかせてくれるような相手の存在というのは、感動ものだと私は思っています。
今日はそうではなく、世の中で信じられないものの話です。

政府や東電の発表というのはあまり信じられませんし、内閣支持率とか、政治というのはあまり期待しないほうが良いのでしょうね。

パソコンはときどき壊れますし、壊れるものだとわかっていますから、ちゃんとバックアップをとっておきます。機械は信用しないほうが良いと思います。

最近困るのは、新聞やテレビラジオからの情報です。かたよっているような、情報操作のためだけの存在になっているような気がして、世の中の見通しを悪くしています。

医療や薬品については、必要以上に頼らないほうが良いと思ってます。
   (2)
医療は、本来は、放って置いたら命にかかわるときに頼るものだったかもしれません(風邪も含めて)。
けれども、たとえば頭痛のとき、仕事を休んで一晩寝れば直るとわかっていても、頭痛薬を飲んで仕事を続けるような生活に、慣れてしまいました。お肌に良いといわれればサプリメントなどを日常的に飲みます。
仕事を続けるための頭痛薬というのは、治療のためというより、薬の成分によって頭をすっきりさせるための、そういう目的の薬だと思います。
医療には、病気の治療だけでなく、日常生活の不快感を除くという目的も加わってきているというのが実情でしょう。GID医療は、性別違和感という不快感から始まるとすれば、後者の目的に近いようにも見えます。

(私の中に医療不信のようなものがあって、その結果トランスジェンダーにとどまっている、ということを書こうと思いましたが、途中で脱線して、医療には治療以外の目的があるという話になってしまいました^^;)

忘れな草紙

あるお姐さん(還暦近い)が、若いころの思い出話をうっとりしながら話したあと、昔のことはよく覚えているけど最近のことはすぐ忘れちゃうのと言ってました。
そうですね、そういうこともあるでしょう。それ以外にも、よく覚えていることと、すぐに忘れてしまうことがあります。

鳩子の生活では、鳩子である時間はそんなに長くはないのかもしれませんが、でもいろんなことをよく覚えています。今までのこと、喜怒哀楽の思い出もそうですが、一度お会いした人のことはみんなよく覚えています。あちらこちらを歩いてみたり、ぼそぼそと小声で話したり、それからもちろんデートのことも。そのとき何を着てたかとかもですね。

鳩子でないような中途半端な時間のときも、映画を見たり本を読んだりしていて、物語のヒロインに完全に感情移入している自分がいます。聖子ちゃんの歌を聴いているときもそうですよね。なにげなく景色を見ているときもそう。そういう生活が、ほんとはこれまでの実人生の半分以上だったようなのですが、本や映画の中身のことは覚えているのですが、それがいつだったか、どんなときだったか、よく覚えてないのが多いのです。

Wikipediaの「性同一性障害」

Wikipediaの「性同一性障害」のページを久しぶりに見てきました。やはり医療的なことが、たくさん書かれてあります。性同一性障害は「医学的な疾患名」との規定ですから、そうなるのでしょう。
「他の概念との別」の項目に「同性愛、異性装、ニューハーフ、おかま」などの項目がありましたが、この部分の文章は別のサイトでそっくり引用されていたのを読んだ記憶があります。これらの項目はもちろん「疾患名」ではありませんが、「他の概念との別」とされています。

そして、一つのことに気づきました。
たいへん長い解説文の中に、「トランスジェンダー」という言葉が一度も出て来ないのです(参考文献の書名にはありました)。難しいことがあるのでしょう。

「おかま」について、「××の異称」などとハッキリ書けるのは医学用語だからなのでしょうね。こちらは文学サイトなので、「かまどとある語源の話」(忘れな草紙アーカイブス2005年3月)のときから、もっと婉曲な表現になってたと思います。当時はネットではこのことについて参考となるページはありませんでした。
「トランスジェンダー」という言葉については、当サイトは、1990年代に秋月香子お姐さんに教わった通りの用法で行きます。

毎日が秋休み

9月になりました。
「毎日が夏休み」というのは大島弓子の漫画で(映画化もされましたが)、登校拒否の女の子と、一流企業の会社をやてめしまった義父(母の再婚相手)の二人で、なんでも屋さんの営業を始めたころの、充実した日々を回想する物語です。「あの日のあたしはまぶしい永遠の夏休みを手に入れたのだ」なんて、すばらしいことですね。

そして最後に「海でおもいきり泳いだ後のような気分がしている」という言葉で結びになるのですが、個人的には、泳げませんので、泳いだ後の気分というのは、よくわかりません。

小学生のころ、ラジオ体操でなく、水泳教室というのが学校のプールでありました。私は夏休みになると、家を出てプールへ行くふりをして、公園でぶらぶらして、水飲み場の水で男子用の水着を濡らして、ビニール袋に入れて家に持って帰るのでした。一種の登校拒否みたいなものですけれど、人前で裸になるのが嫌だったのでしょうね。だから泳ぎをおぼえることもありませんでした。

そんなちょっぴり陰のある夏休みでしたけれど、「人生も濃くて深い影があれば、その裏にはかがやくまぶしい光がぜったいある!」というのもこの漫画にある言葉です。
「永遠の夏休み」「計画する、実行する、失敗する、出会う、知る、発見する、冒険とスリル、自由とよろこび」、いいですね。
そんな懐かしい思い出にひたるのが、秋休み?
でも、一日だけでも、かがやく夏休みが、再び訪れるといいですね。

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