月代(さかやき)と色子帽子

三代目瀬川菊之丞 江戸時代の成人男子の髪形は、月代(さかやき)といって、頭のてっぺんを剃ってしまうのですね。士農工商の身分以外の人(公家、神官、医者、学者など)を除いて、奉公人を含めてみんな剃ってたらしいです。日本文化は女性的な文化だという先生もいらっしゃるのですが、そういう民族が、よくも、まあ、あんなものを300年も受け入れていたものです。
 武士は戦で兜をかぶりますから、むれないように、戦のない普段からそなえているのは、構わないのです。けれど、庶民の場合は、何か、かっこいいと思わせるものがあったとか、庶民の側から受け入れる要素があってのことだとは思うのですが……?。
 当時のファッションリーダーといえば歌舞伎役者ですが、江戸初期に、若衆歌舞伎の美少年たちが、頭を剃って野郎歌舞伎になったことは、どの程度影響しているのか、いちがいにはいえないかもしれませんけどね。
 歌舞伎の歴史の解説によると、1652年(承応元年)に、それまでの若衆歌舞伎は風俗を乱すとの理由から禁止され、頭を剃らなければならなくなったのが野郎歌舞伎といわれます。それで女形の役者は、帽子をかぶるようになったわけです。色子帽子などともいいます。画像は野郎歌舞伎の時代よりずっとあとの時代のものですが、勝川春章の描く三代目瀬川菊之丞で、紫色の帽子をかぶっています。今でもこれに似た紫色の布を付けることもあるそうです。
 この絵は安永の頃(1770年代)のものだそうですが、実は同じ時代の他の絵を見ると、月代は剃ってない絵も多いのです。帽子をかぶっているから剃っているというものでもないですし、18世紀にはもう剃らない人はたくさんいたのでしょうね。そのへんの経過についてはまだ調べがついていません。

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