針師のおかつの歩き方

「四谷大番町なる大番与力、某甲の弟子(おとご)に、おかつといふものあり。幼少のときよりその身の好みにやありけん、よろづ女子のごとくにてありしが、成長してもその形貌を更めず。髪も髱(たぼ)を出し、丸髷(まるまげ)にして櫛・簪(かんざし)をさしたり。衣裳は勿論、女のごとくに広き帯をしたれば、うち見る所、誰も男ならんとほ思はねど、心をつけて見れば、あるきざま、女子のごとくならず。今茲(この年天保三年に)は四十許歳なるべし。妻もあり子供も幾人かあり。針医を業とす。四谷にては是を"をんな男"と唱へて、しらざるものなし。年来かゝる異形の人なれども、悪事は聞えず。且与力の弟なればや。」(曲亭馬琴の『兎園小説余禄』より)

与力とは奉行所で事務の補佐をしたり、同心(警察官のような人)たちを監督する役割の侍のこと。兄が与力を継いだので、弟のおかつは侍にはなれず、針師となったようです。
与力の弟なので悪事の噂などはないと結んでいますが、引用部分の前に偽男(FtM TG)吉五郎が博奕の常習犯で逮捕された話と対比しての書き方でしょう。

殿様やその重臣以外の普通の武士の家では、兄弟の中で武士になれるのは一人だけということなんでしょう。婿に行ければ別ですが、おかつには不向きと思われます。こういう人は、江戸の町にはもっとたくさんいたのではないでしょうか。歩き方には注意したほうが良いでしょうね。当時は男女の歩き方にものすごく差があったということかも。

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