爪とキス

ある日の朝、爪が5ミリ以上のびていることに気づいたので、爪の先の左右の端だけ少し切ってみたら、平板な楕円の形だったものが細長い卵形になって綺麗に見えたので、自己満足していました。でも夜になってから全部切ってしまいました。

昔おばあちゃんに「夜に爪を切ってはいけない」と教えられてことを思い出しました。
そのいわれについてなのですが、大人になってから見たものの本によると、むかし罪を犯した人が爪を切られて(時には抜かれて)、それを祓物として差出すしきたりがあって、古代のことですから、その人が再び悪い事をしたとき、その爪に呪文を掛けられると、本人の命もなくなってしまうこともあったそうです。いわば執行猶予のための道具みたいなものなのですね。彼らの爪は夜に切られたので、縁起が悪いわけなんでしょう。

爪以外にも、からだの一部だったものは呪術の対象になりました。
髪の毛は、切られてもそこからパワーが出て、御守りになったりします。むかし兵隊に行く人が、女性の体毛を御守袋に入れたというのも、そうなんでしょう。

唾液は爪に似たところがあるみたいです。おすもうさんが取組みの前に口に水を含んで、口をすすいで吐き出しますが、神社仏閣の参拝のときもありますね、口を清らかにして清い心で臨むためです。ある説によると、外へ出した唾液に対して呪いを掛けられても、自分にはやましい心がない、清い心なのだという証明のためのものらしいです。
恋愛関係では唾液は吸ったり吸われたりします。吸いたがる人と吸われたがる人と両方いるかもしれません。江戸時代は口吸いと言ってましたが、それにマジカルな意味があるのかどうかよく知りませんが、解説してある本もあるのかもしれません。セックスは男性側が一方的に抜かれるだけになります。ある時代には、それは男性の弱さを意味したのものなのかもしれません。またある時代には、犬が電信柱に対してそうしたように、占有権を主張する男性もいたのかも。
昔のお便所には、人のからだの一部だったものがたくさん溜っていましたから、間違いのないように、厠神をおまつりしたわけなんでしょうね。

同じような体験

ヤマトタケルさんの話といえば最近二人の順子さんの本の最初の部分にありました。どちらもほんとうに充実したデータベースのようなものをお持ちで、多彩な話題が展開されています。一人は三橋さんですが、もう一人の佐伯さんは、『遊女の文化史』で「性が聖であった時代には性関係がすぐれて公的性格を有していた」とか「松浦サヨヒメが固有名詞ではなく」と書かれたような視点は、ヤマトタケルの話では少ないのが残念です。

大和の国の王子も、ひなびた東の国の山奥の王子みたいな者も、華やかさは違っていてもよく似た経験をしていたとしたら、もう固有名詞では済まなくなるのですね。
似たような話が全国にあるとしたら、それは話の上だけのことではなくて、体験そのものが共有されていたと見るべきでしょう。そういう体験のほうが、個人的な動機を語られるよりも、ずっと身近でリアリティのあるものだと、そういうことを考えてきました。
公的なものだというのは、そういったあちこちで同時に起っていたような祝祭空間のようなもののことで、公娼私娼の分類のようなものではないのですね。

今月は9回目の更新です。あと1回あるかも??

ヤマトタケル

むかしヤマトヲグナが熊襲の国での祝宴の場に少女の姿で立ったとき、宴の主である川上タケルに指名されて、同じ一つの席で「戯弄」されたそうです。
辞書によると「弄」は「玩」とよくにた意味の漢字で、時間をかけて愛玩するという意味とあります。少女姿のヲグナが可愛がってもらったのでしょう。「弄」の漢字の成り立ちについては、面白いことが書いてあるものですね、漢字を分解すると「『玉+両手』で、両手の中に玉を入れてなぐさみにするさまを示す。転じて、時間をかけてもてあそぶこと。」(新字源)だそうです。なるほど玉ですか。さて、そのあと二人で何をしたかは御想像におまかせというふうになっています。
そのときの祝宴が何の祝宴だったかというと、親族を集めての新築の祝いです。新築祝は結婚を意味するらしいのですが、川上タケルと誰の結婚なのかは書いてないのですね。
ところがこのあと話が急転回して、川上タケルは刺殺されて、熊襲国は大和国に服属することになります。そのとき川上タケルは、タケルという名前をヲグナに与えて、ヤマトヲグナはヤマトタケルと名のるわけです。日本書紀の話。

勝ったほうが負けたほうの名前を名のるというのは現代人には理解しにくいでしょうが、王の名前にこめられているものは、その国の根幹の魂であって、それを手に入れるために、敗者の名を名のるというわけなのでしょう。
古代の服属儀礼というのはそういうところがあるようです。地方の王の娘を、中央の大王のもとへ采女として差し出すというのも、近代的な好色話のことではなくて、地方の国の魂がその国の巫女のからだにこめられて、中央の魂と合一するということなのでしょうね。
古代のギリシャ周辺では、勝った王が負けた男王を去勢して、その部分を食したことがあったそうで、それによって新領土の支配権を確立できたそうですが、男王のその部分に支配した国の魂の全てがこめられていたと解釈すれば、日本で名前を献上したのと同じ意味になります。肉食文化ととそうでない国のやりかたが違うだけです。 モノというのは、そんなに簡単には新しい人の持ち物にはならないわけなのでしょう。まして一つの国の国土の全てですから。

あちらでは口を通してそのものを体内にとりこんで、消化したことになります。ヤマトヲグナと川上タケルの関係では、「下の口」を通して一時的に体内にとりこんだみたいですが、消化してしまうわけではありません。でも体内にとりこんだことは共通しています。現代では入れたほうが支配欲を満足させるという男性原理の解釈が多いようですが、古代では必ずしもそうではないのでしょうね。
(以上は日本書紀の物語から書きましたが、古事記ではストーリーが少し違います)

宇宙人

タイムカプセル〜鳩山前首相と続いて、宇宙人つながりではないのですが、
鳩子としてはわりと霊感は強いほうではないかと思うのですが、まだ宇宙人や妖怪には出会ったことがありません。ちょっと異様な感じに見える人であっても、案外普通の人ではないかと思って見てしまうこともあります。もしかすると、鳩子が宇宙人みたいな人だからかもしれませんね。

でもほんとうはどこかで何度も宇宙人に会っていて、ただ記憶を消されてしまっただけなのかもしれません。

強いなんとか

鳩山鳩子としては、親戚ではないけれど、鳩山前首相が辞職されたことはとても残念でした。1月の国会での演説は、一部を聞きましたが、今までの首相にない哲学や世界観を感じてとても新鮮に思っていました。言葉に重みがある人で、学者肌の人なのでしょうね。明治以来の中央集権と官僚支配の話や、ガンジー氏の話なども良かったです。「命」という言葉を20回以上使ったとか、変な報道もありましたけれど。
さて菅新首相の演説について、気になることがあったので、全文が載っているサイトを探して、「強い」という言葉を検索しながら数えてみたら、18回使ってました。強い経済、強いリーダーシップ……、18回ですよ。言葉も粗雑ですし、知らない人が聞いたら新保守主義の政治家だと思うでしょうね。事実そうなのかもしれません。自民党時代とは違う形で、また新保守主義(新自由主義)が台頭してくるのかもしれませんね。ちょっと恐いことになるかも。

タイムカプセルに

古い少年サンデーによると、1966年10月12日、アメリカのマサチューセッツ州ウスターで、タイムカプセルの「埋葬式」があったそうです。埋葬式という表現がいいですね、無理に新しい造語を作らなくて。
このタイムカプセルには、500年後の人々に送るメッセージと、その時代のいろんな物が収められているそうで、マンガ本やレコードなども入ってるそうです。あと456年後に掘り出されることになりますが、博物館へ行けばレコードプレーヤーも保存されていると思います。

500年か400年後のトランスさんたちに開けて見てもらうタイムカプセルがあるとしたら、何を入れましょうか。一般の女性用品でないもので何があるでしょう、シリコン製品は溶けてしまってるかもしれませんね。やっぱり写真くらいでしょうか。手製のCD-Rは読めなくなってると思うので、紙にプリントしたものでないとだめでしょうね。鳩子の写真も一枚くらい入れてもらえたら、面白いかも。ホームページは残り続ける可能性もあるのかしら。

出生の秘密?

三日に一度は書きたいと思っていますが、今月はまあまあのペースです。

ドラマ「ゲゲゲの女房」のお話。新人少女漫画家の悩みは、マンネリパターンのストーリーばかり書かされることだそうで、そのパターンの一つに「出生の秘密」というのがありました。1960年代、ありましたよね、そういうの。
出生の秘密ストーリーにもいろんなパターンがありましたが、自分は本当はもっといいところの生まれの子かもしれない、というのが一番だったかも。いつかお金持の親が迎えに来るかもしれないとか、映画の「三丁目の夕日」でもそういうシーンがありました。

日本の昔話のヒーローは捨子であることが多いそうですが、とにかくそういうのは、日本の社会に養子縁組が多かったことを物語っているわけなのでしょう。江戸時代には身分社会というタテマエを、養子縁組というホンネでいとも簡単に越えてしまってました。家や店の"のれん"を守ることが大事だったので、どうにもならない息子は平気で勘当して、養子をとったりします。代々続いた店はほとんど番頭さんが婿になったらしいです。
かといってみんなが身分を越えたいと思っていたというわけではないのですが、勘当された放蕩息子の若旦那には、庶民は憧れてたみたいです。そういう落語の噺がたくさんあります。

江戸時代にトランスジェンダーに対して寛容な社会だったのは、親子関係も一種の見立てにすぎないのだから、性別も見立てでじゅうぶんという考えだったからかもしれません。「トランス」というよりも「見立て」が肝心なのでしょう、

最近はそういう婿相続は少なくなっていると思います。企業の相続と家庭の相続は区別されるようになりましたから。明治以降、武家にならって男子相続を重視するようになったためもあるでしょう。他人より子孫を重視するのは近代では常識です。

めざせ!目標

最近ちょっと体毛が薄くなったような気がしてます。すねのあたりは産毛のような細いのがまばらにあるだけですし、ふとももあたりはもうほとんど何もはえてないような状態です。同世代の男性諸氏の中には、頭髪が淋しくなってしまわれた方もちらほら見かけますし、年齢のせいなのでしょうか。
でもものごとは良いように考えないといけません。これを機会にすべすべの脚をめざすことにしました。
目標ができることは良いことですね^^;

今日も過去記事のチェックをしました。
ここ2年くらい、更年期障害?のせいかどうか、いらいらしながら書いているという自覚があったので、入念に修正を加えました。辛口すぎる表現はよりマイルドに、飛躍している部分は言葉を補足したりです。変更しすぎて、新作コラムのようになったのもありました。なので古いのは削除して今日の日付でアップしなおしててもよいのですが、その月は記事が少ない月だったので、そのままの日付にしました。2008年7月までさかのぼって修正しました。

過去記事の整理

古い記事をざっと見て、残しておいてもしかたないものを削除しました。
特にカテゴリ「パソコン」の内容は、あらためて自分で読んでみても意味がわからないのが多いので、ずいぶん削除しました。ハードウェアのことはよくわからないですし、ソフトも古いものしか使ってないので書くことがないですし、結局ネット関連のセキュリティの心配が動機で書いていたようなのですが、今はその心配の意味がよくわからないので削除です。少しだけ残った記事〜WEBリングが終了したとかYahooとGoogoleでどっちがいいかとか〜は、「日記」のカテゴリに変更し、カテゴリの「パソコン」は廃止です。
削除した記事で使われた画像も見られなくなりました。

それから画像をいくつか削除しました。画像検索で著名人の女性の名前でヒットしてしまった画像です。以前も、杉浦さん、大島さんのときは削除しましたが、今回は鷲津教授、水木氏の娘さんの名前で当たってしまいました。フルネームを書くとまた当たりそうなので書きません。気を使ってます^^;

削除した画像については別の記事で再利用することがあるかもしれません。

針師のおかつの歩き方

「四谷大番町なる大番与力、某甲の弟子(おとご)に、おかつといふものあり。幼少のときよりその身の好みにやありけん、よろづ女子のごとくにてありしが、成長してもその形貌を更めず。髪も髱(たぼ)を出し、丸髷(まるまげ)にして櫛・簪(かんざし)をさしたり。衣裳は勿論、女のごとくに広き帯をしたれば、うち見る所、誰も男ならんとほ思はねど、心をつけて見れば、あるきざま、女子のごとくならず。今茲(この年天保三年に)は四十許歳なるべし。妻もあり子供も幾人かあり。針医を業とす。四谷にては是を"をんな男"と唱へて、しらざるものなし。年来かゝる異形の人なれども、悪事は聞えず。且与力の弟なればや。」(曲亭馬琴の『兎園小説余禄』より)

与力とは奉行所で事務の補佐をしたり、同心(警察官のような人)たちを監督する役割の侍のこと。兄が与力を継いだので、弟のおかつは侍にはなれず、針師となったようです。
与力の弟なので悪事の噂などはないと結んでいますが、引用部分の前に偽男(FtM TG)吉五郎が博奕の常習犯で逮捕された話と対比しての書き方でしょう。

殿様やその重臣以外の普通の武士の家では、兄弟の中で武士になれるのは一人だけということなんでしょう。婿に行ければ別ですが、おかつには不向きと思われます。こういう人は、江戸の町にはもっとたくさんいたのではないでしょうか。歩き方には注意したほうが良いでしょうね。当時は男女の歩き方にものすごく差があったということかも。

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