思い出婚

ある芸能人の再婚のニュースがありましたが、20年前の焼けぼっくりというか、元の鞘というか、新しいような古いような、そんな出来事でした。

ワイドショーのコメントによると「思い出婚」というのが密かなブームなのだそうです。人生の半分を過ぎた独身の男女が、お互いがいちばん輝いてたときの20代に交際していた相手と再びカップルになるということで、ロマンチックで悪くないかもしれませんね。

 まさに「昭和ロマン」?

過去の傷は時が癒してくれましたし、現在のシワは若いころの気持ちが見えなくしてくれるそうです。

うれしい再会というのも良いものでしょうね。
個人的には20年前とはいわず、10年くらい前の復活に期待したいところですけど、
当サイトの画像なども、1988年ごろの昭和のころのアルバムもありまして、ロマンチックに仕立ててあります。

夜食といえば……

ラーメンはよく食べますけど、好みは塩バターとかタンメンとかですが、とんこつ系もいけます。カップ麺ではミルク入りシーフードというのに最近はまってます。醤油とか味噌味は油とミックスした味がいまひとつ好みでなくて、まあミルク系が好みということなのでしょうね。
豆乳入りタンメンもいいかもしれませんね、こんどやってみます。(「豆乳ラーメン」で検索

ラーメンの好みによる性格占いのようなものがないかしらと検索してみましたが、見つかりませんでした。
「ラーメン占い」というのがありましたけど、あまり面白くないです。店の選び方や食べ方などについての質問にいくつか答えてゆくと「あなたへのおすすめは○○ラーメンです」という感じ。やってみましたけど「醤油ラーメン」がおすすめだそうです。つまり食べ方がちゃんとした正統派だからという意味みたいです。さいきんは自由すぎる食べ方の人が増えてるから、こういうふうなのが出てくるのかも。

80年代の5枚

80年代のアイドル歌手になると、シングル盤だけでなく、アルバムで聞かせてくれるようになるわけですね。70年代の麻丘めぐみのころはアルバムの曲は古いスタンダードなポップスを入れたりしたらしいですが、80年代の松田聖子になると、アルバムも全曲オリジナルになります。

松田聖子のアルバムでは、「風立ちぬ」と「パイナップル」がかなり良いと思います。Amazonのカスタマーレビューではどちらも20件のコメントということで、やっぱりいちばん多いですね。2枚から1曲づつ選ぶとすると「一千一秒物語」と「ひまわりの丘」。カラオケにはないかもしれませんけど、今でも歌えます。
ちなみに「風立ちぬ」のB面は最近ニュースの話題に出てしまった鈴木茂プロデュース。

それから松本伊代の「センチメンタルI・Y・O」と「サムシングI・Y・O」。どちらも廃盤ですが、マニアの間ではオークションなどで高額取引されているかも。

もう一枚は薬師丸ひろ子の「古今集」。
(写真は90年代です ^^;)

思い出のアイドル歌手の歌

動画サイトを見てきました。ぐーぐるで70年代アイドル歌手の名前で検索すると、たいていは最初に画像が出て、Wikipedia、公式サイト、YouTube等の動画の順に出るのでつい見てしまいます。

南沙織は、けっこう小麦色だったんですね。
麻丘めぐみは、かなり可愛いです。振り付けやしぐさも可愛いですし、そのへんが人気爆発につながっていったのかも。
太田裕美の時代は、完全にロングスカートでしたし、そうなのですが、同じ時代のピンクレディーのミニは、やっぱりステージ衣装という感じなのでしょう。
岩崎宏美の8分の6の「あざやかな場面」1978年の歌だったのですね。

70年代は個人的には一部の歌にあった「一番大切なものをあげる」とか「息がかかるほどそばに」とかいう歌詞は、なまなましすぎて違和感を感じていました。80年代アイドルには松田聖子を筆頭にそういう歌詞はなくなるのですが、あらためて動画を見ていると、スカートの長さがきわどいです、前の時代のような言葉のきわどさはなくなって、そういうことですから、男の子はドキドキして見ていたのでしょう。松田聖子といえばフリフリの衣装という先入観がありますが、見えちゃいそうなのもけっこうあったんですね。

さて作詞家の松本隆氏によると、アイドルも同世代のファン層もいつか必ず年をとる、そのとき歌だけが時代に取り残されたのでは、支持は広がらないのだそうです。
作詞家は違いますが南沙織の歌は、確かにそのように作られてましたね。かつてのグループサウンズの熱狂が冷めたあと、現在残ったといえる一番は「想い出の渚」です。キーワードは「思い出」といえばわかりやすいかも。目の前のありのままを「写生」するのではなく、時間軸の上でも一歩離れて歌うのが、和歌を含めた日本の詩歌の本来の伝統らしいですからね

男性体形の無理

元華族の家に伝わる秘蔵の絵というのがたくさん載っている本を見てきました。洋画の影響を受けた日本画という感じで、時代は明治大正ごろ。「秘蔵」というのは要するに…… 男女の交じわりに関する絵なのですが、気になったのは、描かれた男女の体形やプロポーションのことでした。
それは男女とも日本人らしいというか、貧弱で下腹部のたるんだ体形でした。胸のふくらみは男女で違いますが、そのほかは女のほうが肩や肋骨部分がやや小さく、全体がやや小柄な程度です。女性のくびれも少しだけです。男性のくびれは位置は胸から少し下くらいで女性と同じです。
こういうのが当時の日本人の平均的な体形なのでしょうね。肉体労働の人は少し違うかもしれませんが、でも肉体労働の男性だからといって、逆三角形の体形になるとは限りませんし、近代スポーツが広まる以前というのはそういうものなのでしょう。

昔の男性のウエストは、今の人の平均より高い位置にあったわけなのでしょう。それを裏づけるものは、20世紀前半には男性ズボンのウエストが高かったこと。今でも男性用ブレザーの上着のウエストが高めになっているのは昔の体形の名残なのでしょう。
男性の逆三角形体形は、近代ヨーロッパでは理想のように思われた面もあるのでしょうが、みんなが理想通りであるわけがありません。
日本で一番の筋肉の持ち主はお相撲さんですが、昔の肉体労働の男性は、筋肉を使えば使うほど、お相撲さんのような体形に近づいていったのかもしれません。お相撲さんは、おなかの下でマワシを締めますが、下腹部が豊かで、ウエストも高い位置で、といったお相撲さんは今でも多いと思います。そういう点では、筋肉の量の多い少ないはありますが秘蔵の絵の男性像と共通しているわけです。

逆三角形の体形は、特殊なスポーツをしないと作れないんじゃないでしょうか。通常の力仕事ではムリでしょう。ああいう理想というのは、自然のままの女性体形から最もかけ離れたものが男性的だとして「作られたもの」という感じがしますよね。男らしさというのは、いろいろと無理の上に成り立っているものが多いのかもしれません。それがわかっていてやるのも男の哀しさなのかも。

「家父長制」の?

ふと家父長制という言葉が気になったので、ネットを検索してみると、このページ。
http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/sign/sign53.html(神名龍子)
批判の語句などが厳しすぎる感じもしなくはないのですが、おおむねこの通りなんだろうと思います。
付け加えるとしたら、少々枝葉的なことではありますが、次の2点でしょう。

1つは社会集団組織の西洋と日本の違いです。
世間で言われている「家父長制」には、意味の違う2種類があって、1つは西洋の近代社会成立以前の「家父長制」で、もう1つは日本の明治〜戦前のころの民法などの特徴を「家父長制」ととらえた人たちがいたことだそうですが、では日本の近代以前はどんなだったかということです。
西洋のような専制君主のような家父長制ではなかったのですが、要するに、同族集団が殿様のような象徴的な存在の人をトップに据えて、数人で側近政治をやってたようなパターンじゃないでしょうか。一人の独裁ではないのでこの形態は近代社会でも否定されませんでした。庶民レベルでも、名主(なぬし)というのは語源も"同じ苗字の集団の長"という意味なので、日本人社会は上も下も同じような「象徴的存在と側近政治」だったように見えます。
(それで将軍さまから嬶天下まで説明できると思いますが、一方で職人芸の伝承のようなスタイルが社会全体にあって、合理的でない面も多かったのでしょうが、同性どうしの厳しさなどもあったわけです)

2つめは、日本では中世以前においても夫婦で財産は別々だったといった男女平等風なことがなぜ可能だったかについての部分です。
そのページにこんなことが書かれていました……「私の考えでは、これはおそらくは日本の武士が、元をただせば開墾農民だったからからだと思っている。元々が夫婦で力を合わせて起こした家であれば、役割分担はあっても、どちらが上ということはない。」
「私の考えでは」と強調しているのは異論を承知で書かれたのでしょう。
もっと簡単な説明があります。つまり夫婦は同居する習慣がなかったですし(これは重要みたいですよ)、先祖から相続した田畑や財産も当然夫婦別々で、年貢を納める先の領主も別々になることがあったみたいです。財産については鎌倉時代初期の法律(御成敗式目)に女子による相続を前提にした条項があったと思います。別の家に住んでたのですから、別々なのは当たり前です。

とはいいつつ、社会の主要な役割を担ったのは古代から男性たちでした。
なぜそうなのか、それなりに考えてみますと……
「社会」が成立したときからそうだったのでしょうね。ただしこの「社会」とは近代人が考える普遍的な社会……「人間は社会的存在である」というときの「社会」、時には個人と対立し、個人の上位にある「社会」のこと……ではなくて、原始時代の部族集団どうしが対立して成立した社会……部族どうしの利害対立の調整機構としての社会のことです。
部族や一族の集団の中では、日本では女子の役割のほうが重かったかもしれません。けれど部族と部族の共存のための調停役が男子でしたので、調停に失敗して戦争になったり、いろんな対立を経て国家ができたのでしょう。そうした部族どうしの統合の歴史の歩みとともに、人間にとっての一族集団の価値がどんどん下がってしまって女子が目立たなくなり、利害対立の調整機構ばかりが注目されるようになっていったために、男子ばかりが目立って行ったということではないでしょうか。卑弥呼のような占いの価値も下がりました。それが今までいわれている「歴史」だと思いますが、将来はどうあるべきなのでしょうね。

影は何でできてる?

道を歩きながら、地面に映った自分の影に話しかけてみたことはありませんか?
小さな声で、君はいったいどこの子なの? とか、
ずっと歩き続けてるのだから、もう休もうよ、とか。

お日さまの光は、影でない明るい場所を照らします。
でも影の部分は、何も光のない暗黒かというと、そうではなくて、薄暗い光が見えます。
その薄暗い光には、お月さまの光も混ざっています。
影はきっとお月さまの光でできているのでしょう。

でもそれは昼間の影のこと。
夜の影は、本当に真っ黒で、何でできているのか、よくわかりません。
お月さまの光は、ただ私のからだを照らすだけ。
私のからだは、お月さまの光でできているのかも。

キリ番御礼 777777

当サイトのアクセスカウンタが、777777を越えました。
ありがたいものですね。こんなに見てもらえて。
時刻は、2009-02-01 22:13:40

昔はこういうときに掲示板などで盛り上がったものなのですが、今はそういうことはありません。
ブログが流行り出す前のころは、カウンタはトップページだけにしかなかったのですが、その後グーグルさんなどから直接トップ以外のテキスト主体のページを開く人が増えたので、それもカウントするようにしたのです(数字の表示はトップだけ)。今回はやはりそういうところからのアクセスだったようです。「オクテの未来」というページが表示されたときに777777でしたので、トップに「777777」と表示されたのを見た人はいないことになります。これでは盛り上がらないわけですね。

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