阿闍世コンプレックス

 阿闍世(あじゃぜ)王子の苦悩は、自分の出生の秘密を知ったことから始まります。
 そのときから彼は、あれほどまでに優しく見えた母を憎み、押さえがたい母への殺意におののき苦しみ、若々しい肉体さえ醜く病んで行くのでした。
 母は古代インドの王妃でした。すでに若くはなく、かつての美貌は衰え、王の寵愛が薄れてゆくのを恐れた彼女は、王子が生まれれば王の関心をひけると思いました。そこで占い師に見てもらうと、森に住む仙人が3年後に死ぬので、その生れ変わりとして3年後に王子を授かるだろうと言われます。王妃はその3年を待とうとしたのですが、待ちきれずに、仙人を殺してすぐに王子を得ることを実行したのです。仙人は殺される間際に「自分は王子として生まれ変るが、いつの日か王を殺すだろう」という怨みの言葉を残しました。
 こうして王子が生まれてからも、母の脳裏からはあのときの仙人の言葉が離れません。愛らしいわが子の顔に仙人の怨念が乗り移って見え、恐怖におびえ、わが子を殺そうとまでします。母もまた苦悩の人だったのです。
 出生の秘密を知った王子阿闍世も苦しみます。しかし重い病に苦しむ阿闍世を看病したのは母でした。母はブッダに苦悩を打ち明け、ブッダの救いによって王子の病を癒し、母と子は初めて心を通わせることができたのです。その後、阿闍世は、世に名君と讃えられる王になったということです。

この話は「阿闍世コンプレックス」のもとになった仏典の話ということになっています。
私も日本人なのでこういう話はよく理解できます。今のような母と子の密着でなくて、距離を置きつつある時期においては危険な火種を内へ内へと封じ込めて行って、あるとき気がついてみたら楽になっていたような感覚です。
阿闍世コンプレックスとは、フロイドのエディプス・コンプレックスの東洋版として、古澤平作氏、小此木啓吾氏らによって提唱された考え方です。エディプスの話は、愛する母を父と子で奪い合うような、いかにも西洋の父系社会のお話なので、ぴんとこない人も多いのではないかと思います。森の仙人と阿闍世を父子関係と解釈できる余地もあります。

阿闍世の物語は仏典の話と書きましたが、実際のインドの仏典の話とはだいぶ筋立てが違うらしいです。悪く言えば日本の学者による改竄・捏造?なのですが、そういうのはそれほど重要な問題ではありません(松岡正剛という人も書いてます)。

もっと長く書きたいところですが、一つだけ。阿闍世は生まれる前に(森の仙人として)一度母に殺されていることになるのですね。1/15「絵葉書という歌」のところで、自分の死をいくつも並べて見ている詩人の話を書きましたが、こういう生まれる前の死も、死の一つとして並べることができるかも。

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