「絵葉書」という歌

『絵葉書』という1970年代後半の日本のフォークソングを聞いてみました。友部正人という人の歌で、いかにも1970年代という感じの歌なんですね。

自分が本当にいたのかどうか確認するために、いくつもシを並べているおじさんがいます。詩を並べているのかと思ったら、どうも死を並べているみたいです。生きることを並べてみても何もわからないというのですから、やっぱり詩ではなく死なんでしょうね。そのおじさんは金子光晴という詩人で、既に亡くなっている人です。
亡くなった詩人と会話をかわすように接したことを、しみじみとたんたんと歌っているわけなんですね。ふっと孤独感がよぎります。

亡くなった人と会話をかわすことは、一部の知識人を除いて昔の人なら誰もが経験してきたことでした。もし今の人にそれができないとしたら、それはやっぱり本当の人間の孤独感から遠ざかった生活に埋もれてきたためなんでしょう。

異次元の世界に行った詩人は、生きていたときも、自分の死を並べていたのかもしれません。そうすることによって少なくとも2つの死を並べることができます。
でももっとたくさんの死を並べていたような歌でした。
生きることを並べてみても、それはすぐに死に変わってしまうかもしれません。これで3つ並びます。

70年代は、異次元世界が身近に感じやすかった時代だったといえるかもしれません。
異次元世界にも自分がいて、だからもう一人の自分がいることが、とても自然に理解できたわけなのです。それは影踏みの影のようなものですね

Trackbacks

コメント

赤めがね : 2009年1月16日 01:52

初めてコメントさせて頂きます。
何年か前に鳩子さんのブログと出会い、
ちょくちょくお邪魔させていただいていたのですが
今日初めてコメント書かせていただきました。
鳩子さんの文章は優しい感じがするなぁ〜と
いつも思って読ませてもらっています。
またのぞきに来させていただきます。

鳩子 : 2009年1月16日 15:08

赤めがねさん はじめまして♪
本当は易しくないことを書こうと思うのですが、いつも思考回路が短絡してうまくいきません。
 易しくないことを優しく
というのが面白いかもしれませんけどね。
またお気軽にコメントくださいね

鳩子 : 2009年1月27日 02:18

「これで3つ並びます」と書きましたが、
4つめの死は1/23「阿闍世コンプレックス」に書きました。
5つめは、1/25「冬のある日」に書きました。

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