手なし娘

「手なし娘」という昔話があるそうです。グリム童話にも似たようなのがあるそうです。あらすじはこんな感じ

女の子が毎日継母にいじめられて、継母に腕まで切られて「手なし娘」になってしまいます。
けれど彼女は不自由なからだで苦労しながら成長し、やがてお婿さんをもらって家庭を築き、子どもも生れます。
ある日、子どもをおんぶしながら彼女が川で洗濯をしていると、おんぶの紐がほどけて子どもは川に落ちてしまいました。彼女はとっさに先のない腕をさし伸ばして子どもを助けようとしました。そのとき、彼女の腕の切られたところから新しい手が再生して、子どもをしっかり抱きかかえ、子どもを助けることができたのです。
それは観音様の霊験によるものだとのことです。

もしかすると実際には、手は切られたのではなくて、手の機能を母親に奪われていただけなのかもしれませんね。その母親とは継母に限らず、一般の母親でもありうることです。
娘の自由や一人立ちを妨害する母親ということです。
娘は成人して結婚はしたのですが、子どもを助けようと行動を起こしたとき、初めて自立した成人となったのだともとれます。川の流れは急で、もしかすると自分も流されてしまうかもしれません。それでも勇気をふるって、劇的な場面で行動を起こしたということなのでしょう。

さて私自身のことをいえば、親族ないしは何らかの大きな力によって、これまで自由を奪われてきたことがあったり、ある一歩を踏み出せないできたといえないこともないかもしれません。でもそれを越えるための劇的な場面というのに、なかなか遭遇しません。
じつは劇的な場面は何度かあったけれど、それに気づかなかっただけだった、というのでは、ちょっと情けない人生になってしまいますよね +.+;
そうではないと思うのですが、気づく能力というのは大事なのでしょう。

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コメント

わさび : 2009年1月23日 22:23

手なし娘
こんばんは。

さて。わたしも母との確執に、一時期悩んだりやけくそになったりした(?)ひとりでございますが…。
いつの間にか、すっかりそのへんのアクは抜けたようです。
たぶんにこれは自分からのアプローチではなく、母がわたしよりも自分の世界を拡げはじめたからのようです。

なので、手なし娘さんのように自分から生じた母離れとなると違うのかもしれませんが、結果的にはわたしもいろんなところに手を伸ばせるようになったわけです。

それにしても、親子のしがらみというのは古今東西尽きぬものですね。

鳩子 : 2009年1月24日 01:51

手なし娘と阿闍世
わさびさん♪ ありがとうごさいます。
良いお話ですね。
多かれ少なかれ誰にもおぼえのあることなのでしょう。
私は確執は少なかったせいか、自立についてもあいまいです。そういうのもあるんでしょう。
どちらにしても、物語のような劇的なシーンというのは、めったにあるわけじゃないですよね。

夕べ「かげふみ歌」に書いた阿闍世の話(下の「URL」)と似ているように思いました。そこにあらすじを書いたとき省略してしまったのですが、阿闍世も母の仕打ちのために指を失っています。阿闍世の話では、母の行動がきっかけで許し合えたようです。やっぱり親の側に譲る気がなければダメなんじゃないでしょうか

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