悲しき17歳

高校生のころ、世の中がどうなっているのか勉強しなくてはと思い、少ないお小使いの中から、新書判サイズの本を何冊か買ってみたのです。漢字が何文字も続くような難しい言葉がたくさん出てきて、何も理解できず、先へ読み進めることができませんでした。大人の世界とはこんなにも難しいものなのか、大きな挫折を感じてしまったのです。
友人たちの中には、聞いたこともないような言葉を使いながら、難しい議論をしている男子たちが何人もいました。彼らは早熟なのかしらとも思いました。
私はいつになったらあの本の内容を理解できるのでしょう。世の中のことが何もわからない自分が社会に出て本当にやっていけるのかしら、不安でしかたなかったのが、あのころ、16〜7歳のころでした。

でも18歳になってから、文学関係の本が少し読めるようになり、だんだんと読書の幅も広がってゆきました。
今から思えば、あのときの本は自分に向いてない分野だったのかもしれませんが、でも今なら、ああいうのもすらすら読めます。辛口批評さえできます。
たしかに高校生が大人の本を読むことは早熟なのでしょう。けれど中には単に背伸びをしていただけの子もいたらしいです。むしろ真剣に挫折感を感じることができたことも、早熟の一種といえるかもしれないのです。

年月を経て、少しは社会のしくみもわかるようにはなりましたが、まだまだわからないことが多く、わからないままで世の中のほうがどんどん変わって行ってしまいます。もう挫折馴れしてしまって、挫折を挫折とも思わなくなるのかもしれませんが(笑)、でも小さな挫折を自分でやさしく包み込む方法を、考えてみたい今日このごろです。

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