手と指について

見た目の男女の区別を見分けるときに、手や指を見てという人もいます。
男女の平均値では、身長差は10%以下なのに、指の太さは、結婚指輪のサイズで20%差というデータもあります。だいぶ細さが違いますね。そこで指を細くするにはどうしたらよいのか、そういう体操や指相撲?があるというような話は、あまり聞きません。けっきょく、いかに綺麗に見せるかという問題になってくると思います。

指は伸ばしたときに、弓なりに反ってるくらいが綺麗ですから、指を伸ばす体操というのは、良いかもしれません。やりかたは、両手の指をちからいっぱい伸ばして、戻すだけです。中指と薬指はぴったりつけたまま伸ばすといいかもしれませんね。そうすると普段でも中指と薬指はあまり開いた状態になりにくくなります。人差し指から小指まで4本の指の間に3つの隙間がありますが、人差し指だけ開いたときは、手の幅はほとんど変らず、小指だけ開いたときは、ほんの少し手の幅が広がる程度です。中指と薬指を開いたときは、かなり手の幅が大きく広がって見えると思います。この問題は重要ですよね。
手の写真ポーズとしては、いろいろあると思いますが、書ききれません。

若い男性モデルの手の写真を見てきましたが、
http://www.jazz-model.co.jp/parts/album/partsmodel_men.html
リング21から14までの人がいますが、この数字は薬指の指輪のサイズでしょうね(40を足すとほぼミリメートルの数字になります)。モデルさんですから、みなさん細くて長い指をおもちですが、細いだけあって、指の関節部分が太いという男性的特徴もおもちです。男性的特徴といわれる薬指が人差し指より目立って長い人は、半分くらいでしょうか。
同じサイトの女性モデルさんは、指のサイズは、リング12から6の範囲でした。
(見てきたサイトは「手のモデル」さんのサイトなので、普通よりも細い指をしてると思います。比べたら自分は太いほうだったといって気になさらないように)

悲しき17歳

高校生のころ、世の中がどうなっているのか勉強しなくてはと思い、少ないお小使いの中から、新書判サイズの本を何冊か買ってみたのです。漢字が何文字も続くような難しい言葉がたくさん出てきて、何も理解できず、先へ読み進めることができませんでした。大人の世界とはこんなにも難しいものなのか、大きな挫折を感じてしまったのです。
友人たちの中には、聞いたこともないような言葉を使いながら、難しい議論をしている男子たちが何人もいました。彼らは早熟なのかしらとも思いました。
私はいつになったらあの本の内容を理解できるのでしょう。世の中のことが何もわからない自分が社会に出て本当にやっていけるのかしら、不安でしかたなかったのが、あのころ、16〜7歳のころでした。

でも18歳になってから、文学関係の本が少し読めるようになり、だんだんと読書の幅も広がってゆきました。
今から思えば、あのときの本は自分に向いてない分野だったのかもしれませんが、でも今なら、ああいうのもすらすら読めます。辛口批評さえできます。
たしかに高校生が大人の本を読むことは早熟なのでしょう。けれど中には単に背伸びをしていただけの子もいたらしいです。むしろ真剣に挫折感を感じることができたことも、早熟の一種といえるかもしれないのです。

年月を経て、少しは社会のしくみもわかるようにはなりましたが、まだまだわからないことが多く、わからないままで世の中のほうがどんどん変わって行ってしまいます。もう挫折馴れしてしまって、挫折を挫折とも思わなくなるのかもしれませんが(笑)、でも小さな挫折を自分でやさしく包み込む方法を、考えてみたい今日このごろです。

日本語アクセントと作曲2

英語の歌は、言葉の強弱アクセントにしたがって、2拍子のリズムなら1拍目に言葉の強アクセントがくるように作曲されている、ということを前回書きました。
「ロンドン橋」の歌の最後はこうなります(太字が強アクセント)。
 「/イ・/フェア・/レイディー」

「レディー」は2音節なので、最後の小節には音符が2つ並びます。昔の日本の歌ではこういうことはほとんどなくて、最後の小節は音符1つ、つまり最後の音節だけを長く伸ばす曲ばかりです。「さいたー、さいたー、チューリップのはながー」という感じです。
これは日本語の言葉の最後に強アクセントがあるためではなくて、和歌を朗唱するときに句切りのところで長く伸ばす習慣から来ているのでしょうね。リズムは無視することになります。

余談ですが、「君が代」の作曲は、本当は「千代に八千代に(ー)」で長く伸ばさないといけないはずですが、伸ばさないですぐに「さざれー」と続いてしかも「れー」までが一続きであるかのようで、ここで息継ぎする子が多く、日本の歌の王道を行っていません。急いで作られたせいでしょうか。この二句目の句切りを無視するようなやり方は、NHKアナウンサーの和歌の朗読などにも大変悪影響を及ぼしていると思います。

さて昔の歌の作りはこんな感じです。

「/・窓を/明けれ/ばー、/・みなと/が見え/るー」(別れのブルース 1935)

「/ばー」「/るー」と伸ばします。作曲者が冒険したくても作詞が「七七七五」の定型ですから、こうなります。
新しい歌ではよりリズムを重視していろいろ試みられます。

「/窓辺 /に置いた/椅子にも/たれ、/あなた/は夕陽/見てた」(荒井由実 翳りゆく部屋 1976)

「も/たれ」「/見てた」のところは日本語としても自然な感じですよね。

というようなことを考えるのは、なにか作曲してみたいからなのです。

わが半生記は

某動画サイトで、はるな愛さんの、子供時代からの思い出インタビューのようなものを見てきました。10分以内にまとめてあって、笑いと涙とペーソスの半生記といった感じ。ぽろっと落ちたひとしずくの涙がニクイですよね^^;
6年前には某区議会議員に当選した上川あやさんのサイトで、手記のようなものを読みました。こちらは笑いを主体としたものではありませんが、ストーリーはよく構成されていました。
それ以外はあまり見たり読んだりしたことはありません。はるな愛さんのものは別ですが、シリアスなものが多くて、こちらが情緒不安定になってしまうからです。
5〜6年前には、あと何年かすればそういう動揺もなくなるのではないかと思えたのですが、人生ままならずというか、人はそんなに変われるものではありませんね。今もまったく同じです。
そんなわけで、そういったドラマもドキュメントも、実は何も見ません。ほんとにぜんぜん見ませんね。でも見た人の感想を聞くのは、人によって感想が違うので面白いです。
わが半生記をまとめるとしたら、これまでに書いたような散文詩風のものをただ並べるだけら、すぐできそうです。これは私のような人を動揺させるものではありません。

インターネットを使うと、不確かな似たような情報ばかりが大量に集まっていって、人の気持ちを一つの方向にいたづらに増幅させてしまうことがままあります。とはいっても、情報を吟味してばかりいては前へ進めませんので、あとで気づいたときに少し引き返せるようにしておくことが肝心なのでしょうね。「一度始めたら戻れない」なんて、官僚政治みたいですし、いやですよね。

男は女よりも軽い?

せんだって太もも以外のサイズも気になったので、日本人のからだのサイズの平均データ(size-JPN 2004-2006)のページを見て、比べてみたのです。
身長が同じくらいなので同年代の男性と比較してみました。身長の他には太ももがほぼ同じです。ヒップは項目にありませんが太ももが同じなので同じくらいでしょう。それ以外は、ことごとく私のほうが10%近く細いです。でもなぜか体重は少し軽い程度なんですよね。なにかふにおちないものを感じました。なぜなのでしょうね。

一つには、ひざから下や腕が細いからといって、それらの体積は身体全体からいえば大きな分量ではなく、体重への影響は少ないことが考えられます。
もう一つはウエストから上の部分ですが、そう、ここには肺がありましたよね。空気の出入りする肺は、すごく比重の軽いものなのでしょう。男性は肺が大きいので、それが身体全体の比重を軽くしてしまってるように思います。これはたぶん間違いないでしょう。
(他の理由としては、水太りの人は比重が重くなりそうですが……)

中性体形の私がこれだけ比重が重いのですから、純女性はもっと重いことになりますよね。あまり気にしないほうが良いと思いますよ。

肩幅について、つづき

昨日のつづきを少々……。
横から見たときの背中の丸みの問題についてですが、これも普段の姿勢が大事ということでしょうね。
背中が丸まっていると、着るものの背中の身ごろが足りなくなって、ベルトつきのワンピースですと、ベルトの後ろ側がつり上がっておかしくなります。背筋を伸ばした姿勢なら、背中の面積が縦方向に縮まってちょうど良くなります。そうやって背中が縦に短くなると、「背中」の中心の位置も下がって、その位置は上だった位置より普通は細いですから、全体が少し細く見えることになります。
(背筋を伸ばすと、背中は少し縮まりますが、おなかは縦にぐっと伸びます。体積は変らずにおなかが引っ張られて伸びるので、ウエストも細くなります。)

机の上に広げた本を、背中を丸めないと読めない人は、たぶん近眼でしょうから、視力の問題もかかわってきます。家での読書は、いっそのこと仰向けに寝転がって読むことをおすすめしたいですね。これは何の努力もいりません。
文字を書くときは、普通は本の活字より大きな文字を書くと思いますが、それでも目を近づけて書く人がいます。そういうのはペンの持ち方にも問題があるかもしれませんね。
パソコンのディスプレイは少し高くすると良い姿勢を保てます。それにはブラインドタッチのマスターが必須になりますけどね。

肩幅を狭くするには

肩幅を狭くする、または狭く見せる方法については、いろいろ聞かれたりしますので、たまには少しまとまりのあることを書いてみます。

肩幅を測るには障子や襖の間に両肩を挟んで測る方法が便利ですね。
測るときに、背中を丸めてだらっと両肩を前方に出したとき(注:あまり良くない姿勢ということ)と、背筋を伸ばして両肩をぐっと後ろに引いたときと、たいていは2〜3センチはサイズが違ってくると思います。肩を後ろに引いたときのほうが狭くなります。3センチの差は大きいです。

さて、肩の骨の構造は、背中側にある三角形の形をした肩甲骨があって、その両端に上腕骨が左右の関節でぶら下がっている感じです。前側からは細い鎖骨が肩甲骨の端に関節でつながっています。
ここにわかりやすい図があります。
http://www.kisnet.or.jp/~yoko33/shoulder/...
ほとんどの骨と骨は関節でつながっています。鎖骨と肩甲骨も同様です。
ところが肩甲骨は、背骨や肋骨に関節でつながっているわけではありません。URLの上の図では肩甲骨は肋骨の上に浮いているように見えますが、筋肉などで支えられているわけなのでしょう。肩甲骨と上腕骨の関節部分も、「通常イメージされる関節とは異なり、骨同士で食いつき合っている関節ではなく骨と骨が筋肉や腱、靱帯でつり下げられている関節」(上記ページ)とあり、こちらもフレキシブルな感じです。

なのでこの肩甲骨は、筋肉によって肋骨の表面上を上下左右にかなり自由に動かせます。「両肩を後ろに引く」とは、左右の肩甲骨を内側に寄せるということです。2つの肩の骨が内側に寄るわけですから、肩幅が狭くなるわけなのですね。両肩が前に出ると、肩甲骨は外側へ広がりますから、肩幅が広くなるわけです。

現代人の普段の生活は、道具を使うときも机に向かうときも、両腕を前に出して動かす動作が多いです。なので普段の姿勢からして両肩が前に出てしまっている人が多いわけなのでしょう。ちょっとした体操などで、肩甲骨を元の位置に戻してあげると良いと思います。
あるいは、普段の姿勢が既に元の位置から前に出てしまった状態になっているのなら、その逆に肩を少し後ろに引くような状態を普段の姿勢にすることも可能のはずです。

結論としては、背中が丸くならず平らになるような綺麗な姿勢を心掛けること。それから肩の周囲の筋肉を柔らかくすることでしょうね。

両肩を上げて、ぐっと後ろへ引いて下げて、というふうに両肩をぐるぐる回す体操は良いらしいです。
そのほか普段の生活はどうでしょう。
畳の部屋と椅子の部屋と、どちらが良いかはいちがいに言えないでしょうね。低くて柔らかすぎるソファーは、姿勢が悪くなりそうです。
食事のときは、お椀やお皿に口を近づけるのでなく、食べ物を口に運ぶこと。
お風呂はからだが温まって関節も動きやすくなります。背中を洗うのには、タオルをたすきがけにして洗うのではなく、片手づつ背中に回して洗うとよいかも。からだが堅いうちは手の届かない部分ができてしまうかもしれませんが。
そのほかいろいろです。
(10月18日の日記に少し続きます)

ふとももについての健康知識

デンマークの研究者の研究成果によると、「太もものサイズが寿命に関係、細ければ短命に」ということだそうです。
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-11354820090904
太ももの平均サイズは、男女差があまりないので、便利な基準といえるかもしれません。

研究者によると、ボーダーラインは「60センチ」だそうですが、でもデンマーク人は世界でもかなり大柄な人種で、男子の平均身長が181.6もあるそうなので、日本人なら太もも56センチくらいが基準になるのではないでしょうか。ま、そういうことにして自分のサイズを測ってみると、ちょうど56センチ。どちらともいえない数字ですね。
どの程度に信用できるかはわかりませんが、中高年の人で大きな上体のわりに足が細い人を男女とも見かけますが、そういうのが若々しい体形でないことだけは確かです。

サルトルとボーヴォワールの関係ってなんだっけ


ごく最近知ったのですが、去年2008年がフランスの女性作家のボーヴォワール生誕100年だったそうで、ちょっと懐かしい名前を耳にしたわけです。
哲学者のサルトルと夫婦のような関係であったわけですね。今でいう夫婦別姓なのでしょう。自立した個人どうしの新しい関係ということで、女性たちにも憧れでしたし、サルトルの難しい本までたくさん売れた時代があったそうです。
団塊の世代の男性のなかには、女性を口説くときに、「キミとならサルトルとボーヴォワールの関係を築くことができる」なんていう文句がよく使われたらしいです。あたしもむかしそういうような年代の人から手紙をもらったことがありまして(^^;)、それで懐かしく思ったわけです。

ところで夫婦別姓を法制化するのだったら、姓(苗字)を持たないことを選択肢に加えるとか(なくても困りませんよね)、それから成人後の本人の意志による名前の変更をもっと容易にしてほしいものですね。

ポーズ研究 その2

(この文章は「燕返し」とかの用語を知らない人にはとてもわかりにくいと思います。成人指定です)
男女のポーズの話の続きですが、"Kamasutra Free Positions"という比較的上品な画像ばかりの教科書のような英語サイトを見てきたので、 日本の伝統的な四十八手と比べて考えてみました。
こういう画像集ですと、西洋の男性でも正座したりしますから、日本も西洋も違いはないように見えますが、好まれるスタイルというのがやはり少し違うようです。
あちらのものですぐ気づくことは、バックスタイルの種類の少なさです。実生活ではわかりませんが、あちらのタテマエとしてはそうなのかもしれませんね。

あちらでは側位が少ないというのもあります。側位とは日本では浮橋、八橋、八重椿、燕返しなど綺麗な名称で種類も多いのですが、横になったままのバックスタイルが多いのです。
日本で側位が多いのは、畳の生活なので、部屋で横になればすぐできるというか、でも畳はそんなに柔らかくもないので、どちらかが一方的に下になることのないように、側位が多いのかもしれません。
それだけでなく、江戸時代の四十八手というのは、やはりトランス文化を反映した一面もあると思いますね。菊一文字というスタイルは明らかにそうなのですが、バックスタイルの多さがそれを物語っているような気がします。これらは西洋文化がタテマエとしては認めて来なかったものです。

「とまり蝉」というスタイルがあるのですが、立位で、男が駅弁売りのように前で抱えるスタイルです。あちらでも似たスタイルがありましたが、男が力を入れてなくて、女が自力ですがりついていました。日本の男性のほうが優しいのかもしれません。
それから正常位から女が腰を浮かすスタイルでも、日本では入船本手やうけあし、筏本手など、みな男性が抱え上げるものなのですが、西洋にはそういうのはありません。日本には他に女の腰の下に枕を置いて腰を高くする鶺鴒本手というのもありますが、これはトランスさん向きでもあり、入船本手なども含めて、バックスタイルでなくてもトランス文化の反映が見られるような気がします。

日本の解説サイトでは「閨の戯れ事」というところ、男の子の好奇心で書かれ、とりあげたスタイルも多く、わからない部分はわからないとはっきり書いているところが好感があります。ただしちょっと誤解もあるようです。明治から昭和初期の絵画を見ていればありえないような記述が若干あります。
「OUT of TILOLU 四八手講座」は、女性の書いたもののようで、あいまいな部分はあいまいに表現して、エラーはありません。画像も昭和初期頃の絵をトレースしたような感じで、今の人が適当に書いたものはありません。こちらは実用性をふまえた内容になっています。

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