21世紀漫画

子どものころマンガや物語で見た21世紀というのは、科学が発達していて、月旅行もお手軽にできたり、ロボットがなんでもやってくれたり、夢のようなことがたくさん書いてありました。
2003年4月7日には、アトムという名前の、感情を持って涙さえ流すロボットが誕生するはずでした。

その鉄腕アトムという漫画には、21世紀に、四畳半でコタツにあたっているシーンが描かれていたのですが、そのことについて、21世紀にそんな情景があるハズがない、このマンガは科学的に間違っている、といって批判した児童文学者の人がいたのです。
今考えれば、おかしいんですけどね、冬になればコタツを使う人はまだたくさんいますから。
その批判に対して作者の手塚治虫の反応というのは、たとえば時代劇に現在流行のコメディアンのギャグを入れて読者のウケをとるようなもので……、というニュアンスでした。21世紀にもコタツはあるとは言わなかったのですね。

それから電話はみんなテレビ電話になるともいわれました。でも普及はしてませんね。もしテレビ電話みたいなのしかなかったら、家にいても厚化粧しなきゃならない人もいますからね? それでは気がやすまりませんし、プライバシーがなくなってしまいます。

職業もいろいろ

宝くじを買ったこともないあたくしですが、投資ということもよくわかりません。

さて第1次産業というのは自然から食物などを作ったり採集して売って暮らしを立てることです。第2次産業は、人工の物を作ったり加工して売って暮らしを立てることです。生産された食べ物や道具は生活に不可欠のものですから、買う人は対価を支払って満足するわけです。
第3次産業は、物を流通させる商業などがありますが、こういう流通サービスについても買う人が喜んでくれれば、売る人も生きがいを感じることができるわけですね。そのほかサービス業といわれるものは、目に見えない"商品"であってもお金を払う人が満足してくれるというのが基本です。
買う人は、買った物を消費して得られる利益に対する対価を支払うというだけでなく、心の満足に対する対価もプラスして支払うわけなのでしょう。ここがかんじんです。

ところが、投資などで収入を得る仕事は、3つのうちにどれに属するのでしょう。1や2のように物を作るわけではないので、第3次産業なんでしょうね。でも喜んでくれるのは誰でしょうか。金融会社は違いますね。企業ですから個人消費ではないですし、たしかなのは金銭収入になったという喜びでしかありません。
あるいは株などを通じて企業にお金を貸したことは一種のサービスなのであって、そのサービスの対価として配当を受け取るのだとすれば、なんとかサービス業の一つに入るのでしょう。でもややこしいですね。そのサービスを受ける側はやっぱり経済的利益があるので消費者とはいえません。

「働かざるもの食うべからず」と言ったのはロシア革命のころのレーニンだと聞いていますが、これは要するに不労所得をいましめた言葉のようですね。地代などで収入を得る地主階級などの働いてない人は食う資格がない、彼らにお金を支払って食わせてあげる必要はないという考えです。
(最近の日本では、派遣労働者層の固定化や拡大を狙っている人たちが、就職しないニートの人たちに対して「働かざるもの食うべからず」などと雑言を吐いているそうですが、困ったものです)

とはいえ、日本人は、昔から、あまり働かないでそこそこの収入があれば、あとは趣味人としてのんきに暮らしたいと考えている人が多いらしいです。でもだんだん将来への不安感がつのる世の中になると、「そこそこの収入」の範囲がわからなくなってしまうんでしょうね。

むかし江戸の町では、どんな仕事でも食べていけたようなところがあったらしくて、たとえば道を歩いて声がかかると、耳掃除をしてあげて、爪を切って磨いて色まで塗ってくれるような商売の人とか、飼い猫の蚤を取って歩いているような仕事の人がいたり、けっこうオタクっぽい職業の人がたくさんいたみたいなんですね。
日本の昔の長屋の大家さんは地主階級とはだいぶ違います。

トリコロールの顔

江戸時代のお化粧法は、要するにトリコロールなんだって、杉浦日向子さんが書いてましたが、どんなのでしょうね、トリコロールというくらいだから、フランス国旗のような明るい三色カラーで、
顔は真っ白で、くちびると目もとは真っ赤。目もとの赤はアイシャドウのようなものなのですが、ぼかしは入れないみたいです。
あと一色は、たぶん青っぽい色で、フェイスシャドウのことのようですね。小顔をつくるというより、平べったい顔に奥行きをもたせるというところにがんもくがあったみたいです。これもぼかしはないみたいで、カラフルで良いと思いますね ^^;

あごのライン全体に青いシャドウとなると、うっかりすると漫画に出てくるトランスさんの剃り残しみたいになって、なかなか真似をする勇気はありませんが、
暗い色のチークを利用したフェイスシャドウは、トランスさんは小顔を意識して上手な人が多いでしょうね。ノーズシャドウは(私は)やりません、必要以上に立体感が出てしまいますから。

9月で、トリコロール、ということで、つい「セプテンバー」という歌を口ずさんでしまいますが、「トリコロールの服」は、鳩子にはありませんし、着ることはありません。写真はかなり古いもので、季節は9月ごろです。(ただし写真は削除)

ノスタルジックな8分の6

ノスタルジックな8分の6拍子のメロディーといえば、こちらでは竹内まりやの名前がすぐに出てくるのですが、松任谷由実にもありますね、「グッドラック&グッドバイ」とか「最後の春休み」とか。聖子ちゃんの「スイートメモリーズ」もです。

どういうわけか8分の6拍子と甘いノスタルジーは、よく合うんですね。なぜなんでしょう。

60年代ポップスでいうと、ヘイ・ポーラと、映画音楽では「夏の日の恋」とか。テンポは速いですけど「ジョニー・エンジェル」もそうでしょうね。

調べてみたら面白いブログがありました。
3連のバラード・コレクション
いい歌ばっかりで、おまけに「津軽海峡冬景色」までコレクションしてますからすごいですね。

60年代ポップスの8分の6拍子を聴いてると、なんとなくラテン音楽の影響を感じるときもあります。専門的なことはぜんぜんわからないのですが、
「カオスビートリミックス」さんのポピュラー音楽用語のページ
http://www.hat.hi-ho.ne.jp/suetaro/tt_ka.html
ここを見ると8分の6拍子はやっぱりラテン音楽が多いみたいです。

童謡歌手のこと

1970年代にピンクレディーや天地真理がデビューする前の子どもたちにとってのアイドルといえば、いちばんはやっぱり小鳩くるみでしょうね。童謡歌手といわれていますが、大人の歌と子どもの歌が別れていた時代なのかも。
小鳩くるみといえば、アタックNo1の鮎原こずえの声ですが、主題歌は違う人でした。ディズニーアニメの白雪姫では、声だけでなく歌も良かったですね。少女雑誌には写真がよく載ってました。世代的には団塊の世代になるみたいです。今は大学でマザーグースの研究をしてらっしゃるそうです。

主題歌といえばコメットさんの九重祐美子もいましたね。ザ・ピーナツとか森山加代子とか弘田三枝子も、子どもに人気がありました。

その前の時代の童謡歌手といえば、近藤圭子という人で、姉から譲りうけたレコードではいちばん多いです。ネット検索で当時のブロマイドを初めて見ましたけど可愛いですね。今はハワイに在住らしいです。
近藤よし子という人もいて、あたしはずっと姉妹だと思っていたのですが、よくわかりません。月光仮面の主題歌があまりにも有名すぎます。姉妹だと思ったのは、昭和20年代に川田正子さん孝子さんの童謡歌手の姉妹がいたからです。
川田正子さんは2006年になくなったときNHKの特集番組を見ましたが、戦時中から歌い続けたという、特別な運命のもとに生まれた子どもだったのでしょう。戦後の少女雑誌でも人気で、写真ではスカートがだいぶ短いです。テレビはなかった時代ですが、映像メディアと歌の両面でアイドルだったのは、彼女が元祖なのかも。

戦前はどうだったのでしょう。少年倶楽部に載った高畠華宵の挿し絵が悩ましかったというある男性の話を聞いたことはありますけど。

# ジェンダー(社会的性役割の社会的とは)

ジェンダーとは、生物学的な性とは微妙にシフトしていることもある文化的ないし社会的な性のありかたのこと、というのが普通の解釈だと思いますが、
人間の生活で意識されるのは、ほとんどがジェンダーのほうなんでしょうね。(出産などについてもそう言えると思いますが難しくなるので割愛。)

ジェンダーのことをときどき漢字6個で社会的性役割なんて書かれると、窮屈に感じてしまうこともあると思います。社会的とか役割とか、ある種の「社会参加」をしなければいけないような……? でも人間はどう拒否しようとも社会的な存在なのです。

社会という言葉は英語のsocietyの翻訳語として100年ちょっと前にできたものらしいです。societyには、社会という意味だけでなく、団体とかグループとか、身近なところでは世間とか交友関係とか、そういうマクロからミクロまでの幅広い意味が辞書にも載っています。
交友関係での性役割ということなら、パートタイムの夫婦関係のようなものをお持ちのトランスジェンダーさんもいらっしゃるそうですが、それでもじゅうぶんなsociety的な性役割をつとているわけです。交友関係が広い人もいれば、狭い人もいます。それは単なる個性の違いですし、個人的なものでしかありません。それが世間というものです。
単なる私企業に雇用されることが「社会参加」でもないことはすぐに理解できると思います。私企業がどんなに大きくても、雇い主との関係はどこまでいっても私的な関係でしかありません。我こそは社会である、なんておこがましいったらないです。生産とか職場ということになると別の話になりますけど。
ま、無理せずにやっていくのが良いと思います^^;

震えるアンテナ

茨木のり子の詩を見てきました。
タイトルは「震えるアンテナ」ではないのですが、はてなにブックマークをしておきました。ここからです http://b.hatena.ne.jp/hatopia/20080827
大人になることは、すれっからしになることではなくて、いつも、ものごとに対したときの初々しさや、そういう感受性が大切だという内容で、優しい詩です。
青さを忘れないで」とか、そんな感じでもあります。いいですね。

こういう回想の織りまざったシチュエーションは鳩子も好きなわけですよね。けっこうそういうパターンで書いてると思います。

それから詩を書き慣れてない人の詩をたまにブログなどで拝見することがあるのですが、あまりピンとこないことが多いです。かえってその人の日記のほうが、面白い発想で短く書いてあったりすると、詩になっていたりします。でも本人は詩とはそういうカタチのものではないと思い込んでいるんでしょうね。

茨城のり子の詩ですが、「さくら」というのも良いですね。竹内まりやの「人生の扉」はここからヒントをもらったのかしら。それはどうかわかりませんが、桜の木の下には死体が埋まっているともいいますからね。そういうものが埋まっているということが必ずしもマイナスイメージの表現ではないこともわかると思います。
柳の木の下にはどじょうかもしれませんけど。

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