彼女たちの空間、鳩子の時間

シーメール(しぃめぇる)さんたちの画像を見ると、あれだけ完璧なボディなのに、なぜ一ヶ所だけ残しているんだろうと、少し不思議に思いました。それぞれの事情や考えがあってのことなんでしょうけど。
でも、あの遺物を取り去ったあとも、彼女たちがこれまで通り写真集のモデルなどで収入を得ていくとしたら、ライバルはあまりに大勢の純女性たちになりますから、きびしいのかもしれませんね。

鳩子の詩についても、似たことが言えるような気がします。
つまり、100%女性で現在の瞬間を書いても、平凡すぎるものしか書けないのです。
彼女たちの写真は、空間的な遺物というか、そういう二つのものの交錯なのですが、それに対して、鳩子の詩には、時間的な交錯が見られるものが多いです。過去・現在・未来を交錯させることによって、普通でない変な女?の姿が見えてくるようになってます。
それでどうにか詩らしく見えるわけですが、時間軸でとらえたときに、やっと自分が見えてくるわけなんでしょうね。

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