あやめ池の伝説

 昔、武蔵の山の村のあやめ池のそばに、母と娘が住んでいました。ある雨の夜、旅の若者が宿を乞うてきたので、家に入れてみると、若者は病を煩っていたらしく、そのまま寝込んでしまいました。母と娘は、若者をよく看病し、何日かすると若者はすっかり元気をとりもどしました。そして家の仕事を手伝ってくれるようになり、何日かが過ぎてゆきました。
 力仕事を難なくこなす若者を見て、母は、このまま若者がずっと家にいてくれたらどんなにか楽になるだろうと思いました。娘も若者を慕い、仕事のあいまには、あやめ池のそばで二人してよく過しました。
 けれど若者は大切な目的のある旅の途中でした。どうやってさよならを告げたら良いのでしょう。ある朝、若者が一人であやめ池の東の岸に立って考えごとをしていると、朝日が射してきて、若者の長い影が、池の水面に向こう岸へ届くくらいに長く映し出されました。
 夕方になっても若者は戻りませんでした。若者を呼びに娘が家を出て、あやめ池の東の岸に来てみると、見たこともない一輪の白いあやめが咲いていました。そのとき、東から月が昇りました。月の光を受けて、娘の影が、池の水面に長く伸びて行きました。
 とっぷりと日が暮れたころ、母が二人を探してあやめ池の東の岸に来てみると、見たこともない白いあやめが二輪咲いていました。
 二人は二度と戻ることはありませんでした。母は、あやめの季節になると、白いあやめを二輪、家の軒下に挿して家の中にいると、おもてから若者と娘の幸せそうな笑い声が、かすかに聞えたそうです。

(この話は、「影取り池」という昔話を参考にした創作です)

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