あやめ池の伝説

 昔、武蔵の山の村のあやめ池のそばに、母と娘が住んでいました。ある雨の夜、旅の若者が宿を乞うてきたので、家に入れてみると、若者は病を煩っていたらしく、そのまま寝込んでしまいました。母と娘は、若者をよく看病し、何日かすると若者はすっかり元気をとりもどしました。そして家の仕事を手伝ってくれるようになり、何日かが過ぎてゆきました。
 力仕事を難なくこなす若者を見て、母は、このまま若者がずっと家にいてくれたらどんなにか楽になるだろうと思いました。娘も若者を慕い、仕事のあいまには、あやめ池のそばで二人してよく過しました。
 けれど若者は大切な目的のある旅の途中でした。どうやってさよならを告げたら良いのでしょう。ある朝、若者が一人であやめ池の東の岸に立って考えごとをしていると、朝日が射してきて、若者の長い影が、池の水面に向こう岸へ届くくらいに長く映し出されました。
 夕方になっても若者は戻りませんでした。若者を呼びに娘が家を出て、あやめ池の東の岸に来てみると、見たこともない一輪の白いあやめが咲いていました。そのとき、東から月が昇りました。月の光を受けて、娘の影が、池の水面に長く伸びて行きました。
 とっぷりと日が暮れたころ、母が二人を探してあやめ池の東の岸に来てみると、見たこともない白いあやめが二輪咲いていました。
 二人は二度と戻ることはありませんでした。母は、あやめの季節になると、白いあやめを二輪、家の軒下に挿して家の中にいると、おもてから若者と娘の幸せそうな笑い声が、かすかに聞えたそうです。

(この話は、「影取り池」という昔話を参考にした創作です)

北京オリンピックも終盤に

北京オリンピックも終盤に近づいてますが、けっこう楽しませてもらいました。

いちばん印象に残った選手は、中国の卓球の張怡寧(チァン・イーニン)選手でしょうね。シングルス4回戦で日本の福原愛選手を敗り、次の準々決勝のシンガポールの選手との対戦では、毎回10オールのジュースになるというすごい試合でした。最後は金メダルになったみたいです。

シドニーのときマラソンで高橋尚子選手とデットヒートを演じたシモン選手とか、東京オリンピックの柔道のヘーシンク選手とか、そういう選手と同じように、日本人にとって印象深い選手といえるのではないでしょうか。

人形と、立体写真と

世の中には、自分自身のフィギアの人形を作ってる人もいるそうですが、面白いかもしれませんね。誰か作ってくれる人がいたら楽でいいかも^^; デフォルメされたぬいぐるみ人形でもいいかもしれません。

何枚かの写真を元にして立体アニメみたいなのは簡単に作れるのでしょうか。

それよりも、立体写真のアイデアがあったのを思い出しました。カメラを横に2台並べて撮影して、できた2枚の写真を横に並べて、見るとき顔の真ん中にツイタテをして左目と右目で別々の写真を見ると、立体的に見えるというの。
企画倒れに終ったのは、当時の2台のデジカメはメーカーも違い、色合いなど同じようには撮れないからなのでした。最近になって、前のカメラがレンズの開閉が壊れかかってしまったので、同じメーカーの後継機種を中古で買ったのでした。前のカメラもなんとか使えないこともないので、立体写真の環境が整ったわけなのです。
セルフで撮るとき、2台めはシャッターを押すのに1〜2秒遅れますけど、同じポーズのまま1〜2秒長く動かずにいればいいわけですよね

オリンピックもいいものです

北京オリンピックが始まりました。
女子柔道の選手が試合の後でコーチと抱き合って喜んでいたり、いいものですね。そういえば抱き合って喜ぶなんて、もう何年も経験していません。

水泳では女子の背泳が良いですね。腕が頭のすぐ脇をすり抜けるように泳ぐので、肩幅を感じさせずに華奢に見えます。
平泳ぎの選手は、水中カメラの映像を見ると鼻息がすごいです。あれだけでもスゴイ推進力になってるみたいな?

女子の重量挙げでは、トルコの選手たちが美人でスタイルもよくて、あんな細い腕でよくあんなに重いものが持ち上がるものだと感心しました。

TGですか?CDですか?

あなたはトランスジェンダーですか、それともクロスドレッサーですかと、ある男性からメールで質問されたことがあります。その男性は、何かそういう方面の研究でもされている人なのかというと、そうではないみたいです。
どちらも見た目は同じようでも、話し方や気持ちとか内面の女性性をその人は求めていたようです。要するに交際相手の候補者選びの基準ということなんでしょうね。

Yahooでトランスジェンダーと検索すると、個人サイトでは、MRさん、MJさん、Aさん、そしてなぜか私まで入ってますが、狭義トランスジェンダーというか、フルタイムでもないような(たぶん)、少し古い世代(たぶん)の感じがして、懐かしいものですね。

さて写真はうちのパソコン内を検索したときの最古の画像ファイルです。「1997年10月7日 0:00:58」という更新日付になってると思います。これは撮影時刻ではなくて、カメラからケーブル接続でパソコンに保存したときの時刻みたいです。VGAサイズの無加工のオリジナル画像ということですね。クリックするとオリジナルサイズになります

自然主義と美容整形

日本よりも韓国のほうが、美容整形が広く受け入れられているそうです。
その理由についてなのですが、韓国では、外見が美しい人は中身も良いのだという素朴な考えがあるからだという人もあります。でもそういった素朴な感覚は、昔の日本にもあったらしいです。世界中のどんな国でもあったかもしれません。

容姿が醜いからといって心も醜いとは限らない、それは確かに正論なのですが、その方向を徹底しすぎてしまったのが明治以後の近代日本なのかもしれませんね。
日本の近代文学を迷走させた自然主義の考え方も、そういう潮流の中にあったといえます。何も加工してはいけない、ありのままを描き、自然のままが美しいのだいうわけです。上野の西郷さんの銅像も、ラフな浴衣姿でいかにも自然児らしいといえばそうなのですが、あれは実は「ありのままの西郷さん」とは正反対のイメージらしいですね。自然とはこういうものだという固定観念にしばられて、実際は自然のままでありのままの西郷さんを無視して自分の都合の良いイメージを作ってしまっているのです。作られた「ありのまま」?

「飾らない人柄」というほめ言葉があります。
昔の日本人は、みんなとても無口な生活をしていましたから、言葉がたくさん必要なときというのは、知らない人が見えたりするときの儀式のような場なのでした。だから形式的でよそよそしい堅苦しい言葉になります。初対面の人に接してぎこちなくなってしまうのは、今のおおかたの日本人も同じです。そうでなく誰にでも気さくなのが「飾らない人柄」とはどういうわけでしょう。
初対面の人が苦手だという人は、自分を良く見せたいというよりも、相手に不快を与えないように神経を使うからです。自分のことより他人への意識ということでは、美容整形も同じなのかもしれませんね。

話があちこちに飛んでますが、日本人の美容整形への道を押し止めてしまうもう一つの要因もあると思います。それは日本人の歴史的に受け継がれた呪術性のようなものがあって、肉体の加工をする人というのは、神仏に近いような特別な存在の人というわけで、そういう修行もしてない一般人がそれを行うのはタブーだったのですね。一例をあげると刺青(いれずみ)があります。やくざ屋さんも一般人とは違う人ということで、歴史的にはそういうある意味神聖な系譜につながるらしいです。
けれど昔は祭礼のときしか派手に着飾れなかったのが、今は毎日がお祭りみたいなものですから、着飾ることのタブーはほとんどなくなったわけで、(着物や浴衣の左前とか細かいタブーはたくさんありますが)、毎日がお祭りなら、刺青も整形もありというふうになるのかも?

新しいウェブリング

古いウェブリングを残している人のHPからリングをクリックしてみたら、「エラー」が表示されて、まだ準備中の新しいウェブリング(WebRing.ne.jp)のページが開きました。
http://www.webring.ne.jp/
そこの運営者も新しくなったようです。今まであったそれぞれのリングの運営者が、新しいウェブリングに登録し直して、それぞれのリングへの参加を一般に呼びかけるというかたちになるんでしょう。

トランス系の新しいところでのカテゴリの分類はどうなるでしょうね。NHNさんがやるとしたら、最近のGID系さんとはたぶん別のカテゴリになるでしょう。ますます両極分解が進みそうな悪い予感もしますが、中庸路線のウェブリングができたらいいですね。だれかにやってほしいですね。
でも、そういう総合雑誌的なWEBリングはもう無理でしょうね。
2007/5 ウェリングジャパン、サービス終了

彼女たちの空間、鳩子の時間

シーメール(しぃめぇる)さんたちの画像を見ると、あれだけ完璧なボディなのに、なぜ一ヶ所だけ残しているんだろうと、少し不思議に思いました。それぞれの事情や考えがあってのことなんでしょうけど。
でも、あの遺物を取り去ったあとも、彼女たちがこれまで通り写真集のモデルなどで収入を得ていくとしたら、ライバルはあまりに大勢の純女性たちになりますから、きびしいのかもしれませんね。

鳩子の詩についても、似たことが言えるような気がします。
つまり、100%女性で現在の瞬間を書いても、平凡すぎるものしか書けないのです。
彼女たちの写真は、空間的な遺物というか、そういう二つのものの交錯なのですが、それに対して、鳩子の詩には、時間的な交錯が見られるものが多いです。過去・現在・未来を交錯させることによって、普通でない変な女?の姿が見えてくるようになってます。
それでどうにか詩らしく見えるわけですが、時間軸でとらえたときに、やっと自分が見えてくるわけなんでしょうね。

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