幸福なトランス

子どものころテレビの再放送か何かで見た「少年探偵団」(江戸川乱歩原作)というドラマで、小林少年が少女に"変身"してしまうシーンがあったのです。あとから知った知識によると「屋根裏の散歩者」というシリーズらしいです。
どのようにして少女になったかというと、カメラが切り替わって、別の女優さんが写るというものでした。小林少年は少年というより立派な青年の人が演じていて、あの俳優さんはハーフの人らしいですね(これもあとで人から聞きました)。
で、そのあとに追跡シーンがあったのですが、小林少年は男優に戻って、黒いタイツにスポーツウェアのようなシャツも黒、からだのラインがそのまま出る黒ずくめのいでたちでした。あれはなりふりかまわず追っかけて行くとき、中途半端な服装の状態になってしまったことを、ああいうかたちで表現したのかもしれませんね。生放送のドラマだったらしいです。

最近のトランスの「当事者」が出てくるようなドラマは、又聞きによると、普遍性のようなものが表現できているとは思えないので、あまり好きではありませんね。泣きが入ったりうらみつらみみたいな、質の良くない演歌と通じるものがあるように見えてきます。あえて普遍性のようなものを探せば「不幸な社会的弱者」がいるということだけで、それ以上のことを表現しようという意識は製作者自身にはないのでしょう。お茶の間向けのテレビだからという言い訳もあるのかもしれませんが、ここはひとつ発想を変えて、
トランスという存在自体が幸福である、という発想が必要になってくるのではないでしょうか。

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コメント

まりっぺ : 2008年7月3日 07:17

それは10年ほど前からトランスジェンダーが性同一性障害と言われるようになり、そういう人たちは病気・障害だから可哀想なんだ・・・このような発想からお涙頂戴的なドラマが制作されてしまうのかもしれませんね。中には医学の力が必要な方もいらっしゃるかと思いますが、トランスはひとつの人生の生き方、選択ではないかと私は思います。その部分が軽視された結果が、今のトランス系のドラマだと感じます。
ドラマ制作側は昔からあるトランス系のアニメを観たりやマンガをを読まれたほうがいいのではないでしょうか。そのほうがぐっとストーリーが広がるでしょう。

鳩子 : 2008年7月3日 20:53

GIDふうになってくると、本人たちの個性も薄らいでしまっているような感じです。
最近の一部のドラマでは、何か類型的な論文のようなものを下敷きにして、その説明のためだけにストーリーを考えるような、良く言って散文的、わるくいえばどこかの国の政策宣伝映画と変らない作りになっていて、それで作家としての満足度が得られるかどうかは疑問というべきでしょう。
ストーリーが広がるといえば、トランスさんは脇役でいいんじゃないでしょうか。トランスさん個人についてもその問題は人生の目標の2番目以下になっていたほうが理想的だと思いますけどね。

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