予感と予言 1999

予言というほどのことではなくても、ちょっとした予感が的中したとき、ないし的中したと思えたときは、「やっぱり」と思いますよね。続けて何度もそんなことがあったりすると、「アタシって怖い」なんて思ったり……?、そういうことはめったにないのですが、
そうですね、予感というほどでなくても、後になってやっぱりあのことは縁があったんだと思えたり、気にもとめないほどの希望的観測だったのにすぐに実現してしまったとか、いろいろありますけど、そういうことがあったときは、そっと誰かに、誰でもいいんですけど、そっと伝えておきたいものなんですね。
でもあんまり大っぴらに宣伝するものどうかと思うので、遠まわしな表現で目立たないように、こういうページの片隅にちょこって書いておくこともあるかもしれないわけです。

写真は1999年の7月ごろ、世間は「大予言」のことで騒いでましたが、このポーズは前年の1998年に大流行しました。

Trackbacks

コメント

さと : 2008年6月14日 02:53

 人間って不思議なときがありますよね・・
なんとなくほんとになぜか
頭を掠めていたら、ちょうどその音楽がラジオで
流れたり。なんとなく思い出していたらほんとに意外にも
その人からメールがきたり。と驚くべき偶然のような、
でも予感なのかもしれない・・!と思うときってありますよね。
人間はもしかしたらそういう
ちょっとした能力をもしかするともってるのかも。。。
なんて思ってしまいます・・・
偶然なんだろうけど、それにしては・・という時があります・・

写真の鳩子さん素敵ですね^^
1999年のあの大予言の方は当たらなくてよかったですが

このポーズは、当たったのですね、やさしい予感的中・・・
だっちゅーの・・・・・?

鳩子 : 2008年6月15日 02:53

メールでそういうのもありましたね。
コメントでもありますね……、今日はさとさんからコメントがありそうな予感がありました。
というのは、昨日、今までの日記で「予感」という言葉を使ってないかどうか検索したのですが、
その中の一つに、さとさんのコメントがあったからなんですね。
http://hatopia.webcrow.jp/blog/2007_8_8_515.html

ノストラダムスの予言は、当時、何も起こらなそうだということになって、ある週刊誌の見出し広告に、実は解釈の違いで7月ではなくて9月なんだとか、ずいぶん適当なんだなと思いました。
だっちゅーのは、ほんとに古い写真がよくとっておいてあるもんだと、自分で感心してます。

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