ヒップパッド

「ヒップパッド 作り方」と検索すると、鳩子のページのどこかが出るらしいですが、作り方を書いたページがあるわけではないのです。

市販品では、純女性用?のヒップアップのためのものがありますね。昆虫の羽根を大きくしたような形で、スガルのごときウエストから後ろに下げるようにして着けるタイプです。
他に、パッドつきのガードル(がぁどる)というのがあって、ヒップアップの部分の他に、腰骨の真横に手のひらサイズくらいの楕円形のパッドが左右に付いているものです。でもあれはちょっと綺麗なヒップラインは期待できないでしょうね。何かコブみたいですし。
そんなわけなので、検索してみた人がいたのかもしれません。

ヒップアップ用は作るのに難しくはありません。腰骨の上のからだの動きの少ない部分に着けるわけですから。
問題はトランスさん用の全体にボリュームをもたせるためものです。足の付け根やら広い部分に着けるパッドですので、からだの動きとフィットしなければなりません。なので難しいわけです。

一つのアイデアとしては、毛糸のパンツの"重ね着"のような方法です。ロングタイプからショーツのような短いものまで、サイズ違いのものがそろえば、重ねたときの段差が出にくくなります。
おなかや内股の部分は厚くしなくても良いというなら、必要な部分だけセーター生地を切り取って、ソフトガードル(がぁどる)の裏に重ねて縫い付けるのはどうでしょう。切り口は毛糸をほぐすようにすれば、重ねたときの段差はますます目立たなるでしょう。
……と、ここまで書きましたが、実際に作ってみるべきかどうか……?

写真の管理がたいへん

最近、自分の写真を管理するのがたいへんになって来ました。数が多いというのもあるのですが、なんとかならないものかしらと思いつつ……、
たいへんになった理由を考えてみます。

1、デジカメの解像度が上がったために、管理ソフトからちょっとクリックしただけでは写真の左上の一部しか見れなくて、良い写真だったかどうかわからない、というのがあります。(これはソフトの設定が悪いんでしょうけど)
解像度が大きいカメラなので、あとでトリミングすればいいやと思って、フレイミングを良く考えずに撮るようにもなりました。余分なものまでたくさん写ってる写真がたくさんできてしまいました。

2、あまり良く撮れてないものまで大量に保存してあること。昔はどんどんプリントを捨ててましたよね。将来便利なソフトが手に入れば、簡単な修正だけで使えるようになるのではないかという思い込みもあります。デジタルデータなので置き場所はとらないし、捨てるのはもったいないと思うようになりました。
現在オリジナルだけで6000枚以上保存してあるようなので、何割かは思い切ってバッサリ廃棄したほうが良いでしょうね。パソコンから削除するのは簡単ですから。

人生の怖さ

動物は、死の直前になると脳内に大量のドーパミンがあふれ出してきて……、それで肉食動物に食べられるときも、恐怖は感じないんだそうです。食べられて死ぬことが多い動物の世界ですから、自然の仕組みはうまくできているのかもしれません。

でも人間はそうじゃないらしいです。知恵もつきましたし死ぬことはとても怖いです。だから他の人間が危険にさらされたときに、助けようとするのも人間なんでしょう。
そして誰もが不幸にならないような社会を理想に掲げたときが、人類史の1ページ目だったはずです。そしてそのために最も信頼されて力のあった人間が「王」と呼ばれたわけなんでしょう。ちなみに男の王様がよく女のような服装をするのも、そういうような目的と関係あるらしいです。
(これについては現代の感覚から原始的な信仰を否定し、王の存在まで無価値とするのは、現代人の奢りとしかいえません。)

ところで、どうしても死が避けられないときは、昔だったら生れ替わりを信じたんでしょうね。来世できっと結ばれましょうと、心中もしたんでしょう。
来世を信じられない人はどうなんでしょう。人生の最後を迎えるころには、もう少し何かがわかってくるのだろうとは思います。けっきょくこれまで生れた人はみんな死んでいったわけですから。

ところで弱肉強食という言葉はおかしいですね。動物の世界は決て弱肉強食ではなくて、草食動物がいて肉食動物がいるだけの話です。他人を食い物にしているような一部の人間が、ごまかしのために考えた言葉なんじゃないでしょうか。

予感と予言 1999

予言というほどのことではなくても、ちょっとした予感が的中したとき、ないし的中したと思えたときは、「やっぱり」と思いますよね。続けて何度もそんなことがあったりすると、「アタシって怖い」なんて思ったり……?、そういうことはめったにないのですが、
そうですね、予感というほどでなくても、後になってやっぱりあのことは縁があったんだと思えたり、気にもとめないほどの希望的観測だったのにすぐに実現してしまったとか、いろいろありますけど、そういうことがあったときは、そっと誰かに、誰でもいいんですけど、そっと伝えておきたいものなんですね。
でもあんまり大っぴらに宣伝するものどうかと思うので、遠まわしな表現で目立たないように、こういうページの片隅にちょこって書いておくこともあるかもしれないわけです。

写真は1999年の7月ごろ、世間は「大予言」のことで騒いでましたが、このポーズは前年の1998年に大流行しました。

時をトランスする

大林宜彦監督の「時をかける少女」を衛星放送で見たので書いてみます。
監督の少女をテーマにした作品は、見終わってみると、あのとき少女は幻を見たのかもしれないなと思えてきて、「あのとき」とはつまり、少女から大人になる瞬間のことなんですね。作品によっては「もう一人の」少女が現れたり、「もう一人」のボーイフレンドが現れたり、この作品は後者のほうなのですが、それは初めての恋へのおののきが、もう一人の少年像を作り上げてしまって、そして最後にはそれが消えることによって大人へと成長できるはずのものなのです。作品では、幼いころに死んだ少年の霊に取り付かれた話のようにも解釈できて、かえってそれが物語の現実味を裏付けているんだと思います。
(書きかけですが、とりあえずアップ 2008-6-13)

★追加★このあと書きたかったことは・・・
人は死の直前に、これまでの人生の全てのことが、走馬灯のように脳裏をかけめぐるものだといいますが、「少女から大人への瞬間」のときも、たくさんの過去やら、「未来」のことまでも含めて、時が凝縮されるようにかけめぐって、そしてふっと消えてゆくような、そんなふうに作品では描かれます。この2つは、とてもよく似ています。
私については、人と会っているときや言葉や文章を発しているときはそのジェンダーには違いないのですが、一人で少し冷静に自身をふりかえったとき、前の2つに似たような何かしらの感覚を、しばしば覚えるのです。(2015-9-30)

キツネの変身

人と接するとき、特に初対面の人のときなど、その人の思い描くイメージ通りの人に変身してしまうことがよくあって、だから自分はタヌキなのだと、ある音楽家(細野晴臣氏)のエッセイにありました。サービス精神が旺盛な人なのでしょう。

相手のイメージに合わせてしまうことは鳩子もよくあります。ぶりっ子みたいなところもありますしね。ジェンダーのタイプが違うので、タヌキではなくキツネなのかも。

でも何度かおつきあいしていると、だんだんイメージ通りにはいきませんし、ちょっとイメージを壊してあげたくなるときもあります。……というのは少し脱線ですが、
一つのイメージの中の自分だけが自分ではないですし、空気のような風のような、ふわふわしてても、ありきたりな存在だけど、確実に存在するような、そんなイメージでありたいですけどね。
写真は最近にしては珍しいキツネ顔です。カメラがうっかり白黒モードでした。

雨の逆トランス

2日に梅雨入りというニュース。平年より6日早いそうです。

雨の思い出といえば、たくさんあるのですが、ずっと以前のある夜のこと、とある駅まで歩いてある男性を送ってから、そこから一人で駐車場まで15分くらい歩くことになって、嫌な予感。案の定、途中から降り出して来たのでした。だんだん降りが激しくなって、傘もなくて、ただ急ぎ足で歩くしかなくて、ずぶ濡れになりましたよね。
とんだ災難というわけで、予定より早く「逆トランス」になりました。
駅まで送ってあげたあの人は、電車の中で鳩子のことを心配してくれたかどうか……。そういうタイプの人だったらいいんですけどね?

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