捨て子・継子伝説の彼方(物語と科学)

物語と科学
子どものころ、おまえは橋の下に捨てられていたのを拾われてきたんだと、そんなことを言われたことのある人は、ちょっと古い世代では、多いことでしょう。そういえば私も…? 自分はほんとうに捨て子なのかしらとか、どこからか貰われて来た子どもなのかもしれないとか、疑ったり悩んだりした経験をもつ子は、少なくなかったのかもしれません。なかには、思春期のころになって、今の親が実の親ではないと信じこんでしまったり、神経症のようになってしまう子もいたような話。
でも時代とともにそういうことは少なくなってきたというアンケート調査もあるようです。

捨て子だとしたら、いったい誰の子なのだろうとか、そこまで深刻には考えないのが普通のようですが、そうでない子もいて、戦後では、有名な芸能人の子であるとか、戦前だったら、高貴な血筋の落とし胤ではないかとか……、そんな人もいたとか。プリンセスの血筋だったら、待っていればいつか必ず王子さまが現れるにちがいないとか、そんな物語ともつながっていくのかもしれません。

なぜ皆が皆、そういった同じような夢……(時には悪い)夢をみたのか、学者の分析もまちまちのようです。
現代になって、そういうのがだんだん少なくなった理由については、やはり科学というか、親子関係の証明は最終的にはDNA鑑定だというような考え方と関係あるのでしょう。
最近は、親子関係を疑うきっかけが、血液型の知識の誤解であったりして、"科学"が基準になってしまうこともあるわけです。

そうやって時代とともに古い形の捨て子・継子伝説のようなものは、消えて行きそうなのですがが、それに替わって登場してきた「夢」もあるような気がします。誰もが同じ夢というのではないのですが、ある程度の数の人が同じ夢を見ます。神経症のようにも高じてしまうという点は共通しています。けれど昔と違う点は、「科学」を味方に付けているということです。ま、そこまで大げさでなくても、「病気」と認定されて心が安らぐかのような心理は、確かに増えているのでしょう。

科学ではなく「物語」を味方につけようとしていたのが、今風の性同一性障害ではなく、古い「牧歌的トランスジェンダー」のことなのかもしれませんね。

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