せんきょ終わる

参議院議員選挙で気になったこと、いくつか。

注目選挙区の島根県の亀井亜紀子氏(国民新党)。以前に、戦国時代に出雲地方で活躍した尼子十勇士の一人、井筒女之介について調べたとき、石見地方の津和野に亀井氏という殿様がいたことを知りました。もしやと思って調べたら、亜紀子氏はその子孫ということらしく、つまりお姫さま? 女性の当選者の中ではいちばん髪が長いようでした。縄文系美人の顔だちもいいかもしれません。

女性党はどんな党なのかよく知らないのですが、比例区の候補者紹介ページをネットで見たら、ほとんどの人が一律に原色系のスーツでしたので、それ以上の関心はわきませんでした。その次に原色のスーツが多いのは自民党の女性議員でした。

有田芳生氏(新党日本)のいう、絶叫しないでしみじみと語るような演説をしたいというのが面白かったです。

民主党は参議院で第一党になりましたが、過半数には達してませんので、小数政党の存在も重要です。
民主党については、当選議員のうち9人が郵政法案に反対して落選した元自民党衆議院議員だそうです。小泉憎しでがんばったのでしょう。今回落選の自民党元議員も、次回の衆議院選挙では民主党から立候補なんてことになるんでしょうね。ちょうど日本の将棋が、敵の駒を奪って自分の駒として使うように、日本的な現象なんだと思います。だんだん二大政党制の形式に近づいてゆくほど、こういう傾向が問題になってくるのかも。つまり二大政党制は日本の風土にはそぐわないものだということになるんじゃないでしょうか。
(画像削除)

本当に細かった?

七夕のころに新発見の古い写真からです。
撮影のために、上に着ていたTシャツとミニスカートを脱ぎはじめたところです。
こちらを向いてる顔は、光が強すぎて白く飛んでしまいましたが、鏡に映った横からの映像は……、細いですね♪
横から見たときが、いちばん変わりましたね、たぶん^^;(最近は横からは写しません)

太めになってくると、からだに厚みが増してきます。「横に転がったほうが早い」という悪口がありますが、まだそこまでにはなっていませんが、平べったいものがだんだん円柱に近づいてくるわけなのでしょう。

それにしても細かったころにしか似合わない服装もありますから、そういう写真をもっと撮っておけばよかったですね。

最小値フィルタとは?

何日か前に、表紙の写真を変更しました。8ヶ月ぶりくらいでしょうか。
少しピントのぼけた写真ではありますが……。最初にアップしたとき、異様に頭でっかちに見えました。少し考えてピンとくるものがあったので、簡単な修正をしました。

どんな修正かというと「最小値フィルタ」。ワンクリックだけの処理でした。明るい部分を狭めて、暗い部分を広げる処理です。
たぶんカメラの中で「最小値フィルタ」と逆の現象が起こってしまったのではないかと思います。つまり明るい光が強すぎて、明るい部分が広がってしまったのではないかと。周囲に比べて明るい部分ということですので、からだが細く小さくなってしまって、それで頭でっかちに見えたんでしょうね。そういうこともあるのでしょう。

フォトレタッチソフトの「最小値フィルタ」というのは何のために付いているのか、初めてわかったような気がします。

- -

ジェンダーと境界

性(sex)という言葉の英語の語源は、「分けられたもの」という意味だと聞いたことがあります。ギリシャ神話のアンドロギュノスの伝説で、もともと男女は一つのからだだったのが、男女別々に分けられてしまったので、男女はたがいに引かれあい恋愛をするのだというお話と付合するわけです。
大和言葉ではsexに当たる言葉がなかなか見つかりませんが、ある人の意見では、性愛を意味する古語にクミドという言葉があり、これは「クナドの神」など、境界を意味する古語のクナドに通じるものだそうです。クミドがもとは境界の意味だとしたら、英語の発想と共通のものがあるわけです。
「男と女の間には深くて暗い川がある」という流行歌(黒の舟唄)の文句もありましたが、一方ではこの境界は、それほど厳密なものではないようなのです。
「クナドの神」とは道祖神のことで、村はづれの境界に立っているものなのですが、村の境界でしたら越えることは難しいことではありません。事実、旅の芸人などのさまざまな人たちがこの境界を越えて来ました。

さて、個人の中に複数の性が混在することもあるのでしょう。
中性的というのは、中性という性別があるわけではなく、優しい性格の男性を中性的と言ったりするような程度の問題ですし、男と女のまん中といっても、男性と女性とが対極的な存在であるかどうかも疑問です。
ふだん他人と接するのに、相手が男か女かを四六時中意識することもありません。見た目や言葉やものごとの発想の印象が女性的だったら、女性と感じれば良いわけなのでしょう。
とはいっても、自分が感じたことと実際が違っていても、それはあまり言うべきことではないのかも。(程度にもよりますけど)

……何か違うテーマで書こうと、その導入部のつもりで書き始めて、数日置いておいたのですが、数日たった今、最初のテーマがわからなくなってしまいました^^;; そのままアップロードしてみます。

1987年夏

ちょうど20年前の夏の写真です。趣味の自分の写真を撮り始めたころです。

上の白いニットの部分と、スカートの部分がギャザーを付けて縫い付けてあるようなワンピースです。
当時の感覚でなんとなくレトロなデザインが気に入って買いました。
1987年当時といえば、バブル真っ盛りで、女性たちは大きな肩パット入りのスーツで長いタイトスカートにぺったんこのパンプスというファッションが多かったのです。
ハイネックでノースリーブ、ウエストは腰のあたり、当時もこういうのを売ってたんですね。

それにしても、もう20年ですか…… -.-;

やっぱり笑顔

こういう服装は似合わないかなと思っていたのです。何回か撮ってみましたがあまりよく撮れませんでした。
それで今回の写真……、まあまあに撮れたのは、やっぱり笑顔でしょうか ^^*

年齢を隠すには笑顔なんでしょうね。

それとデザイン的には、袖というか肩のところと襟ぐりがゴムになっています。つまりゴムが縦に伸びるので、ウエストの位置を下げられるわけです。
(先月買ったものは背が高いためにウエストの紐がバストのふくらみにかかってしまいましたからね。でもそれは肩紐を長く直せればなんとか着られると思います。)

この写真は、なまあしでしたね

「トランスジェンダーな日々」リニューアル

この日記も記事が増えてきて動作が不安定になりましたので、6月までの記事を切り離して、リニューアルすることにしました。
古い「トランスジェンダーな日々」のトップページは、ページの右上の「OldSite」をクリックしてください。その他の各記事とアーカイブのURLはこれまでと変わりません。アーカイブ用のフォルダに古いトップページが移動したわけです。
これ以後の新しいアーカイブは新しいトップページと同じフォルダにアップロードされます。……ちょっとややこしい説明でした ^^ゞ

さて写真のような日本の伝統的な建築である「わらぶき屋根」は、地震には強いのでしょうが、火事には弱いのでしょう。住宅の密集する都市部では、江戸時代ごろから「瓦葺き」が広まりましたが、江戸の火消しは火を消すというより建物を壊して延焼を防ぐのが仕事でしたから、壊しやすいような造りのものもあったのかもしれませんね。

羽根結び

infoseekでアップできないのでこちらに投稿です。

テレビで浴衣の帯の締め方をやってました。リボン結びでもなく、蝶結びでもなく、「羽根結び」と言ってましたが、なかなか良い感じの言葉です。鳥になれそうな感じ。
けれど今日放映してたのは、結び目が背中ではなくて、前の胸のすぐ下でした。最近のワンピースで紐で結ぶのと同じような位置です。

最近のワンピースは、前の胸のすぐ下のような位置で結ぶのが多いですが、1980年代後半のワンピースは、後ろで結んでました。ウエストの左右にリボンの端が縫い付けてあるものですと、リボンはゆったりとたるませて後ろへまわしてウエストよりちょっと下の腰の位置に結んでました。

当時なんとなく気に入ったワンピースは、なぜかそういうリボン結びのものが多かったです(写真も当時のもの)。古いアルバムを見ると、1990年代はあまりないのですが、1997年に買ったものに、そういうワンピースが2着ありました。一時的な復古調の兆しがあったのかも?

後ろからふりかえって

最近発見の古い写真から。18年前の撮影です。
今回見つけた写真の中には、表情の良いものが少なくなく、懐かしいものです。それから、こういうポーズのことですが、最近はいろんなグラビアアイドルさんも人気だそうですが、こんなポーズでしたら、われわれの先輩方もずっと研究を重ねていらしたようです。

さて今のこの日記システムは分量が増えてきたためにアップロードにかなり時間がかかりエラーも多くなりました。このinfoseekサーバーにはまだ容量に余裕がありますので、infoseek内に別のフォルダを作って新しい日記を始めようと計画中です。
「鳩子の忘れな草紙」は、本格的な内容が多いので、ホームページにhtmlでアップロードするようにしたいのですが、そうすると主要な更新は全部infoseekになってしまうので、そうならない方法を考え中なのです。

旧カテゴリ 思い出

十二単のお姫さま?


ひょんなところから古い写真がたくさん出てきました。

なくしてしまったと思っていた写真ばかり。
懐かしいですね。
織姫さまのおみやげでしょうか。

七夕の願いごとは、雨模様のようにしっとりお肌の若返り。

泣ける話を

夕方のテレビで「涙は……(なんとか)」と言っていたのですが、何て言ったか忘れてしまいました。それは人生の糧になるようなプラスのお話でしたけれど。

ここんとこちょっと以前ほど涙を出していないような日々が続いてます。なんとか泣ける方法はないでしょうか。

いちばんてっとりばやいのは、思い出に浸ることだったのですが、さあ思い出しなさいと言ってすぐそうなるものではなく、ふだんの何げないことから連想がはたらいて思い出気分になれるわけですから、いつでもというわけにはいきません。

やっぱり悲しい小説やドラマや映画のたぐいでしょうか。何がいいでしょうね。昔は織姫彦星の単純な話で泣けましたけど、今はどうでしょう。夜空でも見ながら考えてみましょうか。

旧カテゴリ 日記
アーカイブ 2007年6月の記事

即効性の落とし穴

高校のときの数学が、なぜあれほどできなかったのか、思い出してみると、あるとき1週間ほどさぼったために、その直後からついていけなくなったようなところがあったかもしれません。あれは何か積み重ねのようなもので先へ進んで行くのかもしれませんね。

その点、現代国語などは、何の準備も必要なく、気が向きさえすれば、いつでも授業に入って行けたようなところがあります。
あるお父さんが高校生の息子の国語の点が悪いので良いアドバイスはないかというので、普段から新聞や本を読んだり日記を書くのも良いかもしれませんと適当に答えたことがありますが、数学と違って即効性のある勉強法というのはないのだと思います。

そして現代は即効性のあるほうへ人が流れてゆきます。ちょっと勉強したら良い点がとれたから自分は理系向きなのだと思い込む人も増えているのかもしれません。

世の中は一つの方向への積み重ねばかりとは限らないわけです。そうではないことがたくさんあります。いちばん下に積んでおいたものが、本当はもっと表面に置くべきものだったり、順番がひっくりかえったり、見向きもされないことがいちばん大切なことであったりします。

従来の"TS道"や"GID道"は、単一方向への積み重ねの発想そのものですから、そういうのにちょっと疲れたなと感じたら、新しい別の発想を取り入れるのが良いと思います。

『アルプスの少女』

アルプスの少女(ハイジ)
子どものころの本で、もう一度読んでみたい本の一つ、ヨハンナ・スピリの『アルプスの少女』。昭和30年代の講談社の本の挿絵は、蕗谷虹児でした。(画像は折り込みのカラーの口絵)
「アルプスの少女ハイジ」というアニメにもなりましたが、そのころテレビはあまり見なくなってたせいか、主題歌以外はあまり記憶がありません。
原作はかなり長い物語なので、抄訳というかダイジェスト版が多いので、訳者によって取捨選択が違うので、違う本も読んでみたいような気もしますが、時間があるかどうか。

今ぱらぱらめくってみると、ところどころに歌が挿入されているのですね。ミュージカル仕立てのような感じもします。実は鳩子の書きかけの『星のイヤリング』、
poem/earring1.htm
いくつか歌詞のようなのを挿入したのは、知らず知らずにこの本の影響があったわけなんでしょうね。そういうことってあると思います。

| top |