「AO円筒」から始まって

あるおしゃべりから「AO円筒」論という言葉を思い出したので、検索してみたら松岡正剛氏のページが出ました。AO円筒とはつまり稲垣足穂のいうA感覚などの身体のことについてのものです。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0890.html
そのページは森村泰昌という人の『芸術家Mのできるまで』の書評なのですが、面白い芸術家の人がいるものですね。自分の身体も作品の材料にしてしまうというか、そんなわけでその人のサイトには、映画の中の女優に扮した写真集があります。
http://www.morimura-ya.com/gallery/actress/
芸術家の男性でなくても、普通の女性でもこういう写真を撮ってみたいと思う人はきっといることでしょう。レンタル衣装でもあればいいですね。

森村氏によると、明治天皇が少年時代の女装(じよそう)をやめて、成人して軍服姿で国民の前に現れることによって、オンナの国だった日本がオトコの国に性転換してしまったのだとか、面白い話があるものです。
ただ、皇族少年のそういう服装は戦時中まで続いたと思われますので、本当に日本が性転換してしまったのは意外にも戦後のことだったはずです。
けれど明治のころから、国民の「女装」は秘すべきものになってしまいました。皇族の場合も秘すべきものとなったと思いますが、まるでトランスベスタイト国家の誕生です(^^?)。

「オンナだった三島由紀夫はオトコに性転換しようとして失敗した」というのもありましたが、どうも三島氏あたりは日本の戦後社会をオンナの国と見ていたのかもしれません。でもやはり戦後の高度成長時代に、私たちのオンナの国は瀕死状態にされたと見るべきです。社会組織のすみずみにまであったオンナの血が抜かれて貧血状態になった感じです。そのときのオンナいじめは巧妙で、戦前の古い国家主義的な価値観を否定して新しい民主社会を打ち建てるのだという、男性価値の否定であるかのような言葉をまといつつ、今の人が日本の旧習だと思っているものの多くを、戦後のこの時期に作り上げてしまったらしいです。数十年前より前の時代は見えなくなってしまったのです。
ちょっとわかりにくいことを書いてますが、つまりデジタル国家はオトコの国なんじゃないかということですね。

さて森村氏が映画『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンに扮した写真がありましたが、鳩子のHPにも、「真実の口」というコラージュ作品があります。

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