ジェンダーの彼岸

ジェンダーというか、男らしさとか女らしさとかについての葛藤やら煩悩やらの超越した地点(それを彼岸と表現してみます)のことを、ぼんやり考えます。

戦争にあけくれた20世紀以後は、社会の男らしさは大きく変わらざるを得なかったと見ます。他の時代も戦争は多かったかもしれませんが、徴兵制度のような組織化された軍隊に特徴がある時代でした。官僚組織は軍隊組織と同じものですが、社会組織のすみずみまで官僚組織のようになっていった時代の男らしさは、男性本来の一匹狼のような存在を認めなくなりました。一人一人が監督となって物を作るという男性らしさも軽く見られますし、男性が美しくなくても良い時代にもなってます。歌を忘れたカナリア状態という感じ。

女性らしさもそういう社会の影響は受けるのですが、組織に関わる程度が低いので、比較的変化は少なかったと見ます。現代風の男性らしさは、社会組織によってからだにたたきこまれることが多いのに、女性らしさは時には教養のように言葉で語られることが多いというのもあります。
女性らしさとは何かというと、調和の力とか、伝承すること、周期的なリズムとかいうものなんでしょうね。周期的なものの代表は月の周期ですけれど、揺り篭のリズムもありますし、季節や時間を敏感に察知して、この道はいつか来た道なんていう感じで、それなりに進歩を確認できることもあるかもしれません。

そういう女性らしさに男性も少し近づいてみるのも良いかも。これからも社会の技術の進歩は続くのでしょうけど、文明の進歩は続くとは限りません。男性の中の女性らしさを排除してきたのが20世紀だったような気もします。男性にとっての伝承行為は、直接の師弟関係によるものだったのでしょうけど、そういうのはもう望むべくもない世の中になってるみたいですし。
タイトルは看板倒れでした。

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