悲しみの手鞠唄

日本の庶民のあいだでは、生まれた子供が男の子だったとき、とても喜んだ風習があったそうです。
それは中国から来た男尊女卑の思想の影響だろうと解説してある本もあったのですが、なんとなく疑問に思っていました。

島根県仁多郡に伝わる手鞠唄の歌詞を見たとき、その謎が解けたような気がしました。その手鞠唄には、間引きのことが歌われていました。間引きとは、人々が限られた狭い田畑からの収穫だけで暮らしていた時代に、たくさんの子孫を養うことができずに、子供をどうせ飢え死にさせるくらいならと、捨てて川に流してしまったことでした。
その悲しい手鞠唄には、こう歌われます。

 うちの姉さん、なぜまま食わんやら、腹に七月、あの子ができた。
 あれがもしもし男の子なら、寺へ上らしょ、学問さしょに、
 これがもしもしおなごの子なら、薦に包んで小縄で締めて、
 前の小川へそろりと投げる。
 上から烏(からす)がつつくやら、下からもぐらがつつくやら。
 つついた烏はどこへ行た。千国万国越して行た。
 (飯島吉晴『子供の民俗学』より)

男の子なら、お寺へ預ければ、なんとか生きて行けるかもしれません。修行をつめば、立派な僧にもなれるかもしれません。
けれど女の子なら、それはできませんから、捨てるしかなかったのでしょう。おろそかに捨てたなら、成仏することさえできないかもしれません。せめて千国万国を越えた先で、魂が安らぐようにと、歌わずにはいられない気持ち。
そんな母親たちの気持ちが、少女の手鞠歌の歌詞に伝わったものと思います。

捨てられた女の子が成仏するのは、容易なことではないかもしれません。
日本の仏教で、女子は変生男子とならなければ成仏できないとされたのは、このような間引きにまつわる人々の長い生活の歴史の背景があったからのように思えてきます。女子の成仏が容易でないことが、あきらめの気持ちに転じていけば、女性はもともと罪深い存在なのだとか、不浄であるとか、そういった観念も生じてしまったのでしょう。そして生まれる子が女の子であることは悲しいことだったのです。
けれど人々は、祈りを歌にこめました。
お寺で稚児として生きのびることができた男の子は、水辺に消えた小さな姉妹たちの魂を呼び寄せ、彼女たちの生まれ変わりともなり、だから両性具有であったのでしょう。

Trackbacks

コメント

雨庭みどり : 2007年3月1日 11:49

心に来ました…
厳しくも、哀しくも、いとおしいお話です。鳩子さんの文章、とても
すてきです。心に何かが残ります。題材の処理も、ウエットに過ぎず、
最後は両性具有のイメージで閉めるあたり…感心いたしました^^。

それと、添付のお写真も雰文雰囲気囲気にマッチしていて、こういう
お写真のバリエーションをお持ちだと、これも感心しました。
蓄積の力は、こういうところに、総合的に発揮されるのですね…^^b

鳩子 : 2007年3月1日 19:27

ひといきで書きましたが
イマジネーションのまま一気に書いたので、やっぱり感情に訴えるものになってしまいましたね。
一般に感情に訴えて一つの方向に持って行こうとするたくらみは警戒しないといけないのですが…… ^^;
古典世界の両性具有の美と称するものも、せいぜい視覚的で装飾品を愛玩するようにしか語られないことが多いようですが、そういうものでもないと思いますので。
写真は同じのを何回か使ったりしてます。

雨庭 : 2007年3月2日 13:50

誤字すみません
すみません、ちょっと、私のコメント誤字というか
化けが入っています。訂正文を…m(_ _)m

添付のお写真も、文章の雰囲気によくマッチしていて
よく、こういうお写真のバリエーションをお持ちだと
これも感心いたしました。

というのが、書きたかったコメントです^^;

重ね、とてもよいブログに仕上がっていると思います…^^b

鳩子 : 2007年3月2日 20:34

ブログの写真
ごていねいに、ありがとうございます。
こちらのブログは、写真が付かない記事も多かったのですが、これからは写真も多めにしようと思っていたところなのです。
いかにも人物写真というのでなく、風景が主体の写真にしたいのですが、あまり数がないみたいです。トリミングで人物は上半身だけで背景の景色が広がるような感じにすればなんとかなる写真もあります ^^;

鳩子 : 2007年3月18日 02:16

悲しい運命
どの時代にも悲しみはあったということなんでしょうね。
江戸時代もそんなり理想社会だったわけじゃないのですが、
厳しい自然環境や、どうしようもない運命の前では、
あまり悪い人がいなくなってしまうのかもしれませんね。

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