模型と人形

27日に書いたのは、「悲しみの手鞠唄」。悲しい物語だけれど、気に入っています。

話は違いますが、小学校6年生のとき東京神田の交通博物館で見た鉄道模型は、駅舎を出た列車が鉄橋やトンネルを通過し、都会の風景や農村の風景の中をめぐりめぐる、異次元の世界を見るような、とても魅力的なものでした。けれど鉄道模型は小規模のものでも大変なお金のかかるもので、大人の趣味というものでした。
大学生になったころ、1/150スケールのより小型の鉄道模型が普及してきて、小さなテーブルサイズの情景模型を作ろうと挑戦してみたことがあります。けれど1/150では小さすぎて細かな自作は難しく、完成はあきらめてしまいました。それよりサイズの大きめの1/80スケールプラモデルの機関車や、同じスケールの建物模型などを本棚に飾っていました。

1/35のミリタリー模型を見たのもそのころです。戦場でひとときの休息を楽しむ兵士たちの人形などは、とてもリアルで表情豊かなものでした。兵士の人形を加工して従軍看護婦さんに作り変えたり、海辺でバカンスを楽しむ若い男女の人形に作ったり、映画の1シーンを見るようで、器用なものだなと思いましたが、自分ではやりませんでした。
人形を飾るなら木製の本格的なドールハウスといきたいところでしたが、プラスチックのリカちゃんハウスで満足しました。今欲しいのは雛人形でしょうか。
おもちゃ屋さんで、実際に縫えるおもちゃのミシンを2万円くらいで買ったことがあります。今なら2万円あれば大人用の卓上ミシンのいちばん小さいのが買えます。おもちゃのミシンは、電源は乾電池で、模型用のマブチモーターが回ってるような音がしてました。

悲しみの手鞠唄

日本の庶民のあいだでは、生まれた子供が男の子だったとき、とても喜んだ風習があったそうです。
それは中国から来た男尊女卑の思想の影響だろうと解説してある本もあったのですが、なんとなく疑問に思っていました。

島根県仁多郡に伝わる手鞠唄の歌詞を見たとき、その謎が解けたような気がしました。その手鞠唄には、間引きのことが歌われていました。間引きとは、人々が限られた狭い田畑からの収穫だけで暮らしていた時代に、たくさんの子孫を養うことができずに、子供をどうせ飢え死にさせるくらいならと、捨てて川に流してしまったことでした。
その悲しい手鞠唄には、こう歌われます。

 うちの姉さん、なぜまま食わんやら、腹に七月、あの子ができた。
 あれがもしもし男の子なら、寺へ上らしょ、学問さしょに、
 これがもしもしおなごの子なら、薦に包んで小縄で締めて、
 前の小川へそろりと投げる。
 上から烏(からす)がつつくやら、下からもぐらがつつくやら。
 つついた烏はどこへ行た。千国万国越して行た。
 (飯島吉晴『子供の民俗学』より)

男の子なら、お寺へ預ければ、なんとか生きて行けるかもしれません。修行をつめば、立派な僧にもなれるかもしれません。
けれど女の子なら、それはできませんから、捨てるしかなかったのでしょう。おろそかに捨てたなら、成仏することさえできないかもしれません。せめて千国万国を越えた先で、魂が安らぐようにと、歌わずにはいられない気持ち。
そんな母親たちの気持ちが、少女の手鞠歌の歌詞に伝わったものと思います。

捨てられた女の子が成仏するのは、容易なことではないかもしれません。
日本の仏教で、女子は変生男子とならなければ成仏できないとされたのは、このような間引きにまつわる人々の長い生活の歴史の背景があったからのように思えてきます。女子の成仏が容易でないことが、あきらめの気持ちに転じていけば、女性はもともと罪深い存在なのだとか、不浄であるとか、そういった観念も生じてしまったのでしょう。そして生まれる子が女の子であることは悲しいことだったのです。
けれど人々は、祈りを歌にこめました。
お寺で稚児として生きのびることができた男の子は、水辺に消えた小さな姉妹たちの魂を呼び寄せ、彼女たちの生まれ変わりともなり、だから両性具有であったのでしょう。

病気になりたいとき?

昨年ある精神科医の先生の本(新書判)を読んでいたら、現代人は病気になりたがる、というようなことが書いてありました。病気と認定されただけで、とても気持ちが楽になる人が増えている、というな話です。性同一性障害に関してもそれは言えることなのでしょう。
その先生は、フレキシブルな気持ちの持ちようの話を書かれていましたが、詳しいことは忘れました。あとでまた読んでみます。

なぜ病気と言われて気持ちが楽になるのか、ちょっと考えてみたのですが、やはり人間関係が希薄になってしまった社会だからなのでしょうね。仕事やいろんなおつきあいの中で、「仮病と思われてはしゃくにさわる」と考えて無理する人も多いと思います。仕事に打ち込むことによって人間関係を忘れることができるということもあるのでしょうが、それがかえって人間関係を希薄にさせます。家族関係まであやふやになってしまうと、家族のいたわりよりも、病気という科学的な認定のほうが信用できることになってしまうのかもしれません。
病気の認定は国家も保障します。最近の若い人たちに増えてきたナショナリズムの傾向も、つまるところは、家族関係や地域社会の崩壊によって、信じられるアイデンティティは日本や日本人という枠付けしかなくなってしまったからだとは、よく言われることです。病気で楽になるというのも、心理が良く似ています。

トランスジェンダーの原因の問題も、ちょっと前までは、家族関係やら精神分析やらいろんなことが論じられたのですが、最近は「生まれる前から決まっていた」という科学的な仮説も一部で重宝されています。生まれる前から決まっていたのだったら、こんな楽なことはありません。もしそれを国家が保障してくれたら何も怖くなくなるのかも。だいいち、つらい過去を振り返る必要がなくなります。こんないいことはありません。
けれど、過去を振り返るのにどうしても耐えられないという状態の人は別にして、そういうものでもないような気がするのです。

ネパールのトランスジェンダー

こんなニュースを見ました。
http://gayjapannews.com/news2007/news22.htm
「365Gay.comが4日伝えたところによると、ネパール政府は、トランスジェンダー女性の市民登録書類に男女両方の性別を記載することを許可した。
 ……
市民登録書類への男女両方の性別記載を認められたのは、チャンダ・モーサルマンさん。モーサルマンさんは、生物学上の男性として生まれた。現在20代のモーサルマンさんは、性別適合手術の第一歩となるホルモン療法などは受けていない。」

「ホルモン療法などは受けていない」というところに、ちょっとびっくり。
そういう方面で遅れていた国という事情で、受けられなかったのか、
本人の考えで受けないのか、どっちでしょうね。
本人の考えだったら、すごいなと思いました。

猫の日(2)

2月22日は、なんとなく、にこにこ(=^・^=)
「猫の日」でした。
写真の人物の顔も、なんとなく猫に似ているような? 猫のように生きたいと思ってたからでしょうか。そんなころに、ちょっとだけタイムスリップの一日だといいですね。

Yahooメール使ってます

メールのやりとりはwebページだけで送受信ができるフリーメールを使うのが当たり前のようになってきましたが、一番使用している人が多いのがYahooメールかもしれません。
Yahooメールは、webページを開いたとき表示が早いです。ほとんどの迷惑メールも、設定によってサーバー内の受信フォルダから迷惑メールフォルダに自動で移動してくれます。さらに、メールオプションの設定でpopアクセスも可能になり、メールソフトでの送受信ができます。

私は、Yahooメールに受信したメールは、ときどきメールソフトでまとめて受信(ダウンロード)して保存しておきます。このとき肝心なのは、Yahooの迷惑メールフォルダを空にしておかないと、迷惑メールまでダウンロードしてしまうことです。ソフトに「受信」したものは、Yahooのメールサーバーからは削除します。
送信には、ソフトは使わず、Yahooメールのwebページからしています。送信済みメールは、ときどきまとめてYahooメールの受信箱に移動してから、それをメールソフトで受信(ダウンロード)することができます。ソフトに受信したらYahooメール上のものは削除します。受信した「送信済みメール」はメールソフトの「受信」フォルダに入りますが、すぐに「送信」のフォルダに移動すると、相手が誰かわかりやすく表示してくれまます(説明がややこしいですけど ^^;)。メールソフトでは、フォルダの移動や分類整理は、簡単にできます。

最近は初めてのメールでもチャット風の短いメールが増えていますが、手紙風にしっかり書いていただくのが良いですし、私でなくてもそうだと思います。

鳩子の詩作法

忘れな草紙にアクセスランキング30を発表したのですが、必ずしも特におすすめページということではないのです。
さて、本題。鳩子の詩作法についてですが、

いろいろ考えごとをしながら、たとえば「男女の人口比の不思議」で書いた1行、「なぜ自然は一部の女子を男子の形で産むというややこしいことをするのでしょう?」。こんなことを思ったとき、その1行だけ残して他は全部消してしまって、その1行から前後の言葉を続けて行けば、それで詩ができてしまうわけです。
歌謡でいえば、サビの部分が先にできるということです。「パートタイムの王子さま」なんていうのは、サビがタイトルにもなった例ということなのでしょう。
そんなわけですから、鳩子の詩は、歌謡的です。
「鳩子の詩集」の新作が増えなくても、「なぜ自然は一部の女子を」という感じの詩的(?)フレーズは、ブログのあちこちに書いてますから、書けないスランプではぜんぜんないわけです。あの詩集だって知る人ぞ知る「キューユーメッセージ」なるものをちょっと書き直しただけのものなのですからね。
直情的なラブレターみないな詩は、あとで恥ずかしくなりますし、サビが印象的な歌謡型の詩が、鳩子に合ってると思います。

洋ナシ型とりんご型

女性と男性のダイエットの違いについて、景子さんからコメントをいただいたのですが、有効なダイエット法ということではなく、太りかたのタイプに、女性に多い太りかた、男性に多い太りかたというのがあるみたいです。

女性に多いのは、皮下脂肪型で、「洋ナシ型肥満」ともいうそうですが、太ももやお尻などの下半身に脂肪がつくタイプです。二の腕もこのタイプです。

男性に多いのは、内臓脂肪型。「りんご型肥満」ともいうそうですが、「ビヤ樽型」といったほうがわかりやすいかもしれません。足が細いのにおなかだけポッコリ出てるようなタイプです。女性でも更年期以降にそんな体形になる人もいます。

あたしのばあいは、ある時期までは皮下脂肪型、ある時期以降は内臓脂肪型が混じって体重が増えたように漠然と思っていたのですが、ちょっとグラフを書いてみたら、その特徴が一目瞭然に見えました。
画像は最近18年間の推移のグラフですが、特徴のある動きをしているのは、下から2番目の体重と、3番目のウエストです。
グラフの前半のころは、体重だけが目立って増加して、他はゆるやかにほぼ平均して増えてます。からだ全体にまんべんなく皮下脂肪が付いたということで、標準体重以下なら、こういう太りかたは女性的で綺麗に見えたことが過去の写真を見てもわかります。体重の数字とウエストの数字の差が一番接近してたころが、標準体重にも近かったようです。
でも後半になると、ウエストの伸びだけが目立ってます。アンダーバストとの差がどんどん縮まってるみたいで……。これが内臓脂肪型の太りかたというものなのでしょう。
内臓脂肪は、ある専門サイトで見たら、からだに付きやすいけれど消えやすいと書いてありましたから、ダイエットに励みたいと思います。

エロスとプシュケ

いろんなサイトを見てときどき感じることは、自分の趣味や快楽の追求に熱心で貪欲な人が多くて、鳩子などとても真似できないと思ってしまうこともあるのですが、快楽の種類も人それぞれです。お酒が唯一の楽しみという人もいれば、マゾの人もいます。悲しい物語にめそめそ泣くのがストレス解消になってる人もいます。
鳩子もよく泣きますが、それより、自分の中のもやもやしたつかみどころのないことがらを、それなりに上手に表現できたと感じたときは、快楽を感じているんだと思います。だからこんな形の日記も続けられるのでしょう。
それから世の中わからないことだらけなので、疑問に感じていたことがふっと解けたような気がしたときも楽しいです。他の人のブログでも、表に出ないその人の秘められた気持ちを感じたような気がしたときも楽しいです。
ギリシャの哲学者の言葉じゃないけど、知を愛することはエロスでもあるということなんでしょうね。エロスは愛のキューピッド。エロスとプシュケの物語のコラージュでは、鳩子はプシュケ(精神・理性の神?)になってました。

人気のページ(第2回)

FC2「鳩子の忘れな草紙」
昨年10月から今年1月末まで4ヶ月間のアクセスの多かったページ(記事単独)、30件です。

姫若子・長曾我部元親#(2382) あるゲームの影響らしいです
男心と秋の空 (709) 秋の期間だったので
私が私であるために (552) 話題のテレビドラマ
上杉謙信女性説について (486) これもゲーム関連らしい
百姓一揆と美少年 #(455) 
どろろ (306) 映画化で話題
女体に近い聖徳太子像 #(289) 
小股の切れ上がった #(273) 
お尻の考察 #(268)重複アップ時期のもの
変生女子について #(258) 同上 

「幕末のアンドロギュノス」について #(225) 同上
当世SM事情2 (217) 
男子に女子の名前をつける (215) 秋ごろ更新しました
黒い下着 #(208) 画像検索
トランスジェンダーな日々 #(161) 
ホームページと詩作 その1 #(155) 詩作法のように思われたかも?
手フェチ Part2 #(151) 
手のサイズ (148) 
伊藤文学さんのブログ (142) 

『義経記』での牛若の服装 #(142) 
ノンポリ・トランスジェンダー (140) タイトルが良かった?
かまどと、ある語源の話(その2) #(121) 
ウサギは両性具有? #(109) 
『秋夜長物語』(中世稚児の物語)1 (93) 
『秋夜長物語』2 #(90) 
男女は老いて中性化する (81) コメントたくさんいただきました
男性の理想像 (79) 冒険心の喪失について続けたかった
江戸時代の女性〜杉浦日向子『お江戸でござる』から #(76) 

ゲームやテレビ等で話題のテーマ、フェチ系のテーマ、などが上位に多いのですが、そうでないのも若干あります。他に、ショートショートの創作 雨上がりの大学通り #(66) が39位だったのは満足でした。カッコ内はアクセス数です。
★追記 よく見たら上のリストは29位まででした。30位はわかりません。「雨上がりの大学通」は39位でなく38位ということになります

マッカーサーのベルト

昭和20年代の日本の映画(現代劇)を見ていたら、男性たちのズボンのベルトは、みんな高い位置にあって、肘くらいの高さになっていました。女性のスカートとほぼ同じ高さです。こういうファッションはアメリカの影響かしらと思って、当時のアメリカ人でそういうズボンのイメージの人といえば、日本人なら誰でも知ってたマッカーサー(Wikipedia)という人がいます。名前をクリックすると写真も出ますが、高いウエスト、ゆったりとしたヒップのズボンをはいています(意外にセクシーかも?)。
(補足 男性ズボンのウエストの高さは昭和20年以前からのものです)

そういえば1960年代の日本の田舎のオジサンたちも、こんなズボンでした(都会では若者たちは低いウエスト、細いお尻のズボンになってたと思いますが)。
男性の背広の上着も、肘の高さがいちばん細く作られていますので、その高さにズボンのウエストもあった時代があったということなのでしょう。

もしかすると当時は、実際の肉体のウエストも肘の高さだった男性が多かったのかしらとも思ったのですが、わかりません。でも何十年もその位置でベルトを締めていると、ウエストもその位置になるのではないでしょうか。当時のある地方の裸祭りの記録写真を見ましたが、皆さんずん胴なおからだなので、どこがウエストかよくわかりませんでした。

着物の帯は、男性装ではずっと低かったみたいです。あまり高いと子供みたいに見えてしまいます。女性装では、やはり帯は高い位置で、細い帯でもウエストの高さです。安土桃山時代の絵巻などを見ると、女性装でも低い位置に帯を締めるのがあったようですけど、労働などの実用的なものだったかどうかは疑問に思います。低い位置に帯を締めたら、動いているうちに帯がどんどんずりあがっていって、着物の前もはだけそうになります。子どもたちも、胴のくびれがあったので、帯も高い位置に締めたようです。

克服できるでしょうか

今ちょっと風邪で熱があって他のことが手につかないので、あまり考えずに好きなことを書いてみるのもいいかなと思いました。書き過ぎがあっても、あの日は熱があったのでと言い訳できるかもしれません。
トランスジェンダーは「心の性とからだの性の不一致」とか「性別違和感」とか、よく言われる言葉ですよね。
「性別違和感」とは、要するに、自分のからだの性別的形状へのある種の失望感といった感じでなのでしょう。たとえ後から生じた希望であっても、諦められないほどの強い希望や信念となってしまうと、心が平静でいられなくなる場合もあるようです。
「心の性とからだの性の不一致」とは、ものすごく俗な言葉で言うと(MtFの場合ですが)心が求めた女性下着とからだとの不一致という自己嫌悪が強い衝動になることも多いのかもしれません。着たり脱いだりは毎日することです。パートタイムトランスジェンダーは毎日ではないといっても、五十歩百歩。上着ならデザインの選び方やいろんな方法で体形をカバーできますが、下着はそうはいきません。そんな姿の写真画像など公開できるわけがないと思う人が多いと思います。
鳩子は、もともと男性的といえるような体形ではなく、ネットアイドル的なサービス精神もあるので、水着姿の写真も公開してしまうわけです。このへんの意識の違いは、あるんだろうなと思います。日常的に下着姿になるのは同じでも、鏡に写して見たとき、やっと自分に戻れたと安らぎとナルシズムの気持ちになってしまう人と、早く上着を着てしまいたいと思う人がいるということなんでしょう。
何の努力もしないでそんな体形を維持して来た鳩子ですが、もし毎日努力することが当たり前の生活があったなら、その先はSRSなどが待っていたのかもしれません。努力というのはやっぱり報われないといけませんから。鳩子は努力しなかったことがかえってそれを押しとどめたのかもしれません。でもこんな境遇だから、自分なりの目でそこそこ冷静にものごとを見ることができるかもしれません。
けれど最近は忍び寄る年齢というのを感じています。鳩子のからだはそれを克服できるでしょうか。誰か助けてくれる人が欲しくなります。必要なのはSRSでなくSOSなんて、寒いダジャレの落ちですみません。

ネットアイドル・ランキング

ホームページを最初にアップロードしたときは、ある雑誌の付録に付いてたネットアイドルの女の子のHPのhtmlを元にしました。そのhtmlファイルをテキストエディタで開いて、サイト名を書き替え、文字のところを全部自分のものに書き替え、壁紙指定も変更して、画像の指定や、配置なども変更していったら、元のHPとは全然違うものができあがりました。
でもメニューの項目は、よく似てましたね。プロフィールがあって、アルバム、エッセイというかちょっと趣味やおしゃべりのページ、そしてリンク集などです。

HPを作るような人は、みんなちょっとしたネットアイドルなんだと思ってました。
2004年5月には、鳩子のホームページは、Yahooジオシティーズの「ネットアイドル」部門のランキング39位になったこともあります(掲示板 2004/5/14参照 ^^ゞ)でも当時は、ランキング入りの他のサイトを見ても、気合いが感じられないというか、どこかのオジサンのジョークサイトまで入ってて、もうネットアイドルが注目されたような時代ではなかったみたいでした。(Yahoo以外では、アダルト系サイトが入り込んできてネットアイドル全体が廃れたらしいです、まりっぺさんの話)

現代のニューハーフさんたちがそれぞれの芸を売り物にしているように、鳩子もホームページで何かできるのではないかとずっと思っています。
でもバーチャルな「鳩子の店」のような雰囲気は避けてきました。ある程度アクセスが増えてきたとき、見る人も書き込む人もそんなような雰囲気では収拾が付かないと思ったからです。
プライベートな面についてはオブラートに包むのは当然です。他人の噂話の話題もないサイトですが、それでも、これだけ書けるわけですし、まだまだ続きます。

金庫破りのジミー

O・ヘンリーの短編に「金庫破りのジミー」(原題・取り戻された改心)というのがあります。

ジミーが恋した女性には娘がいました。その子が、ある日、金庫に閉じ込められてしまうという事件がおこりました。早く鍵を開けないと女の子は窒息死してしまいます。けれど鍵はありません。
ジミーは、今は普通の市民ですが、実は、もと金庫破りだったのです。鍵がなくても金庫を開けるのは簡単にできます。でも、そんなことをすれば金庫破りのお尋ね者であることがばれてしまいます。せっかくつかみかけていた恋も失うことになるでしょう。
ジミーは悩みましたが、思い切って自らすすみ出て、金庫の鍵を開けて、女の子を助け出しました。人々はそのことからジミーの過去を知って驚きましたが、誰も警察に突き出すということはしなかったというようなお話。

改心したものは救われるというキリスト教の道徳があるそうです。でもキリスト教にかぎった話ではないのでしょう。
最近見たテレビドラマの「逃亡者」の再放送でも、ある町で子どもを助けた逃亡者を、町の人たちが匿うという話がありました。逃亡者は改心したのではなく、最初から犯人ではないわけです。ここでは、裁判で正々堂々と無実を証明しなさいとか、裁判だけが正義です、という考えはないわけです。

今の人がよく口にする言葉に「ルールはルールだ」というのがあるのですが、けれどルールはルール以上のもの、つまり道徳や倫理ではないのです。
女性らしさは、そういうときに、愛情を込めてルールを無視します。男性らしさは、ルールと道徳が葛藤を起こして、ルールを越えた倫理や哲学を構築しようとするものだと思います。

話は違いますが、1960年代のアメリカのポップスで「トゥー・メニー・ルール、早く大人になりたい」というような歌がありました。子どもは、家に遅く帰るとママに叱られたり、そのほか、あれもいけない、これもいけないで、子どもにはルールが多すぎるので、早く大人になりたいという歌詞なのですが、ルールを越えたところに大人も子どもも夢を見た時代があったのですね。今は夢が破れてしまった時代だから、「少年のままでいたい」と歌うのでしょうか。

ところで女性となったトランスジェンダーが、ある人を救うために、自分が男性だった過去をさらけ出すなんていう小説を書くのはどうかなと思いました。

二つのダイエット

思い出話が続いたところで、そろそろ現実の話、というかダイエットのことです……。
ここ何年かのうちに試した方法が二つありました。

一つは、「筋肉ダイエット」というもので、要するに、いつも意識しておなかに力を入れてへこましていれば、からだがその状態に慣れるというものでした。でも、続きませんでした。これはある人のページに書かれていたのを見たのでした。

もう一つは「耳つぼダイエット」。これは、つまり、耳のあたりに「やせるツボ」というのがあって、そこを指でぎゅっと押すと、指圧の効果で、食欲が抑えられるような感じになるのでした。けっこう良いと思ったので、またやってみたいです。

「耳ツボダイエット」をどうして知ったかというと、あたしのばあい、もともと世の中の西洋医学偏重の考え方にいつも疑問をいだくような人なので、ある日なんとなく、からだのどこかにダイエットのツボがあるにちがいない!と思って、ネット検索してみたら、見つかったのです。
そのほかにも、からだが女性化するようなツボがあったらいいなと思って、本気でいろいろと検索してみたこともありますが、見つかりませんでした ^^;

知性と遊戯性

もてる男の条件とは、知性と遊戯性だと、ある人がいってました。
知的な遊び心というのもありますが、遊びやゲームでもあるスポーツの選手が自分を語るときは、その人しか語れないような人生観を語りますし、意外にそれが本来の知性のありかたなのかもしれません。経済ゲームに勝った人の無教養さ丸出しの言葉とは全然違います。

情報が多すぎる時代。オリジナルなものを主張することに無理してこだわらなくても良いのではないでしょうか。男性の好きなコレクションを語るのはどうでしょう。以前、麻丘めぐみファンの人から面白いコメントをいただいたことがあるのですが、ああいう道を極めるのはすごいことだと思いました。コレクションならさまざまな可能性がありますし、集めたものを再構成することの醍醐味なんでしょうね。
ナンバーワンよりナンバーツーではありませんが、日本の古代の邪馬台国では卑弥呼の側に仕えた一人の男性が、最高の男性だった時代もありました。たとえもっと小さな応援団長であっても、かっこいい男性には変わりないと思います。

できあがった人間の社会からみれば、社会を主導して来たのは男性たちですが、男性は本来は反社会的で非組織的なものを志向する存在であり、それを規制する枠組みとして作られたものが社会だったようにも思います。組織からはみだした自分を無価値に思う必要はないと思います。

ウエストの測り方

昨日いただいたコメントで「ウエストの測り方」というのが気になったので検索して調べてみました。下着や洋服の販売サイトのページが多かったのですが……、

「おなかをへこませたりしない自然な状態で、ウエストの最も細い周囲を測ります」
という感じの説明が多いです。けれど「最も細い」ところの位置は、人によって違うこともありますし、特にトランスさんでは低い位置の人が多いようなので、こういう説明だけでは不安になると思います。

検索で1番に出たのは、ファイブ・エフさんのページでした。
http://www.five-f.com/f-adviser/02.html
「理想のウエスト位置は、軽く肘を曲げたところです。鏡で確認してその位置を測ります。理想の位置より下がった位置にウエストがある方が多いようです。決して締めすぎないように採寸しましょう」
肘を曲げたときの肘の位置ということですね。「締めすぎないように」とは、少しは締めても良いということなのかも ^^;

肘のあたりといっても、腕が長くて胴の短い人もいます。このへんのところは、ビアンジュさんのページの説明がわかりやすいと思います。
a5k07.jpghttp://www.fine.co.jp/bodymake08.html
「ウエスト 肘の位置線上で測ります。腕が長い方の場合は肋骨の終わり際を測ってください。」

あたしはだいたい肋骨の脇の1番下の骨のあたりを測ってます。そのへんが一番細くなっているからです。少しきつくなってしまったスカートは、肋骨の一番下の骨にひっかけるようにするとずれないでいいと思ってます。
ところでビアンジュさんのページでは、ブラの選び方で、アンダーバストは実寸より2〜3センチ小さくても良いとか、カップは1〜2カップ大きめが良いとか、みんなやってそうな実際の話が面白いです。

その他で問題になるのは、ジーンズのウエストです。
昔の私は、29インチで、センチでは73ですから、UBと同じでいいんだと思ってました。純女さんでは、もう少し大きいほうが良いかもしれません。でもウエストの深さもいろいろですから、いちがいには言えないのかも。

男性のウエストを測る位置は、よく出まわってるズボンのベルトの位置なのかどうか、詳しくはわかりませんが、スーツの上着の一番細く絞ってある位置は女性のウエストと同じ位置のようでもありますし、よくわかりません。
参考になりますかどうか→マッカーサーのベルト

もう一つおまけ。ワンちゃんのウエストの測り方。みぞおちあたりだそうです。
http://www.cc9.ne.jp/~rai-chacha/shop2.htm

抱きしめたら折れそう?

前回記事と同じ時期の写真で、スカートも子供服です。スカート丈も短いですが、なんていうんでしょうか、子供服なので当時はやっとお尻が入ったと思います。ファスナーをいっぱいに下げて入りました。ウエストサイズの表示は60で実寸は62くらい。大人のスカートでこのウエストサイズなら、お尻はもっと余裕をもたせて作られていると思います。

……62が入ったんですね。
当時はサイズを聞かれても、ウエストはおなかに力を入れない状態の66と答えてましたが、ウエストニッパーを着けると63くらいになって、62でも大丈夫だったわけです。抱きしめたら折れちゃいそうに見える写真です。

当時いただきもののスカートで、ウエスト実寸70のものがあったのですが、66と答えてたのが原因みたいですね。本人は66と答えたけど実際はたいてい少し大きめなのだろうから、試着して恥をかかせては悪いから、少し大きめのサイズをプレゼントしよう、という親切心だったのでしょうね。

子供服コーナーで

1980年代も終わりのころ、日本はバブルの全盛で、女性たちは大きな肩パッド入りの服装がはやっていたころでした。

お店で売っているものは、ブラウスもカーディガンも肩パッド入り。そういうのを見ていてもあきるだけでしたので、なんとなく子供服のコーナーをのぞいてみました。
子供服のサイズは「身長○○cm用」という表示が多いのですが、最近は大きい子もいますから、身長160cm用というのもあります。このくらいになると、もう大人のサイズと同じです。
そんな中から見つけたのが、写真の黒いブラウスです。
襟のかたちも、袖のかたちも、可愛い感じでしたけど、色が黒なので子供服には見えないかもしれません。

それにしても、着ている人も、やけに細かったのですね、このころは ^^;
こういう体形には、もう絶対に戻れることはないのでしょう……

★子供服ですが若干肩幅が大きめなのは時代の反映なのかも。
1970年代前半の子供の写真(「れんげ草の花輪」)にもロングスカートが見られましたし。

病気と上手につきあう

「病気と上手につきあう」という言葉が、いろんな病気について言われていると思います。
「うつ病について」は、こんなようなアドバイスが書かれていました。

鬱病になるような人は、何かにつけてがんばりすぎるきらいがありますので、
がんばらない、何も努力しない、神経を使わないのが良い、というカウンセラーの言葉。

つまり、いーかげん(良い加減)で、てきとー(適当)な生活が良いらしいです。

漢字で書いて「良い加減」とはどんな加減だろうとか、
どのくらいが適当で適切なんだろうなどと考えるのは良くないらしいです。

あたしもウツな気分になることはありますが、うつ病というほどではないので、
そんなアドバイスを、てきとーに参考にするのも良いかな、と思いました。^^;

その他には、
「笑ってごまかす」……というのも大事ではないかと思いました。
つまり、ユーモアということです。

失敗を笑ってごまかすといえば、普通の若い女性がよく使う手かもしれませんが、それとは別に、
たとえば、病気見舞いに来た人が心配そうで落ち着かない態度だったりしたときに、本人が笑顔をふりまいて、相手を逆に気づかってあげるようなケース。そんな気持ちがあれば、本人も楽になれるんじゃないかと思いました。

以上は別のところに書いたもののまとめですが、「笑いとトランス」について、ちょっとしたヒントが見えたので、別に書きたいと思います。

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