GID関連のページを見て

何日か前に見たページで、ある地方議員さんが準備しているGIDのための制度みたいなのがあって、一歩前進のような主張のようでしたが、それをある人が批判していて、その程度ではほんの一握りの人が恩恵を受けるだけのことで、当事者どうしではかえって差別が生まれてしまってリスクのほうが大きすぎるというような批判をされていました。批判の通りなのでしょう。

でも難しい問題もあります。90%の人が恩恵を受けられれば良いものなのか、10%の人はどうなるのか、たとえ100%であっても、ニューハーフさんなどのGIDの範囲に入れない人はどうなるのか、ということなのですが、難しすぎます。でも問題提起はどんどんしていただきたいと思います。

2002年のGIDのガイドライン(2版)を読んでみましたが、以前のものよりも現実の多様なありかたを認めるような書き方が少し印象に残りました。医者が勝手に選別しているわけではありませんよという感じ。医学用語としては、GIDの多様性を認めるということなのでしょうが、別の見方をすれば法制度が進んでいるということなのでしょう。GIDは、法律用語としてはやはり医者が決めることになりますから、医者のガイドラインよりは国家の法のほうがよっぽど力があります。2006年の第3版はまだ見ていません。

多様性とはどういうことかというと、たとえば都市のサラリーマンが風邪をひいたけど一日も仕事を休めないと自分で思ったので医者に行ったとします。地方の小企業の人も風邪をひきましたが、熱がありそうだから午後から休みなさいと社長さんに言われ、同僚の人にも仕事は任せろ、困ったときはお互いさまさなんて言われて、早く家に帰っておばあちゃんの言われた通りにして早く休んだら一晩で風邪が治ったので、医者に行かなかったとします。医者に行かなかったから病名はつきませんし、国家の保障もうけられないわけですが、それで不満は感じないわけです。

歌手の人がやっぱり風邪をひいてしまってふだんの声は出るのですが、のどをやられて歌えなかったとします。医者に行きましたが、あなたののどは収入を得るための職業的なのどなので、風邪とは認められませんなんて言われたらびっくりするでしょう。けれどニューハーフさんのような職業の人が現状ではGIDには認められないのと、理屈は同じみたいなのです。

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コメント

まりっぺ : 2006年6月14日 11:30

障害の差別化
実はこの問題はGIDに限らず、心身・精神障害者全般に言えることで、同じ障害でも10%の条件の人が救われたほうがいいのか、90%の人が救われたほうがいいのか、よく議論になるパターンです。
特定の当事者だけの恩恵からはじめて、あとで一旦出来た法律を改正すればいいという手法がありますけど、法律や制度は一旦できると保守派の反動があってまず改正は難しくなります。
ほとんどの当事者が少しでも行きやすくなる制度を作っていくほうが、マイノリティーの中のマイノリティーを作ってしまうより、運動形態としては社会の理解を得るのがやさしいと思います。

鳩子 : 2006年6月14日 20:12


苦労された経験がおありのようですね・・
難しくて苦手な問題を書いてしまいました。
政治の問題となると、ときには道端の花を踏みつけてでも前に進むパワーが必要なこともあるのでしょうが、できない人も多いです・・・
社会や一般の理解を広めるには、当事者に広く理解されなければということなのでしょうね・・・

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