自閉の文化史

去年の6月に長曾我部元親のことを書いたときは、伊藤聡さんのページを見てのことでした。

その伊藤さんによると、GIDだと思っていた人がそうではなくて自閉症の症状ではないかというような実例の話がある、ということが、まりっぺさんのページにありました。
つまり、その二つはよく似た特徴があり、GIDのほうが社会的にも注目されているので、そちらではないかと思い込みやすいということなのでしょう。特に自閉症の女性の場合には、脳梁も男性に近い大きさで、ふるまいも男性的になるらしく、そんなことからFTMのGIDではないかとされてしまうことがあるそうです。

男性として社会に適応するのがつらいことがある、ということは、やはり男性としては自閉症的なのだと思いますが、かといって女性として適応できるかといえば、現実はさらに難しいことです。

いびつな社会にニヒリズムやペシミズムの感情をもつ人は多いと思います。現代では特にそうでしょう。しかし、かといって「適応」ばかりを最優先させても、本来の人間的な生活を送ることはできません。

現実を離れ、美しい芸術を愛すること。社会的な性別を離れ、美しいと感じた性としてさまようこと。

日本人が憧れてきた生活に、仙人のような、あるいはご隠居さん、若隠居、あくせく働かない風流人のような生活があります。知をそなえ、美を追い求めるような清貧の生活への憧れや美学があります。

あるいは数枚の原稿用紙のレポートの提出のとき、意識を集中させるために深夜にひっそりと机に向かって書く、ということはいわば臨時の自閉的な空間を作るということです。こういうのは誰でも体験することであって、そういう意味では、自閉的な生活場面の上手な使い分けというのも、生活の智恵として必要になるのかも。

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