やさしさに包まれる日

旧題「オクテの未来」
吉行淳之介のエッセイで、男性が一生のあいだにおこなうセックスの回数は皆平等で数が決まっているのではないかという話がありました。だとするとオクテで始めが遅かった人は、高齢になっても元気で、喜ばしいことでしょう。

話は違いますが、トランスのばあいのオクテですと、一生うろうろしなきゃならないようなところもあるのかも。
若いころから男性として社会に出たりとすると、ガールフレンドもできてしまいます。それで20代のころ初体験もあったりで、でもセックスってこんな味気ないものなのかしらと思ったりして、年月が過ぎて、30代になってひょんなことから女性として男性と初体験したりします。そして何度めかに気持ちいいという感覚を感じてしまったりします。

行動的な性格ではないので自分は思慮深いほうなのだろう、知性派なのだろうと思ってきたのが、からだの感覚という否定しがたい事実の前に、それまでの自分が崩壊してしまうような感じになってしまいます。思慮深いというよりも、優柔不断なために初体験もここまで遅くなってしまったわけなのですが、すぐに40代になって、もう後戻りできないような社会生活の中にいることに気づきます。

けっきょく今できることは、若き日の迷いを一つ一つ惜しむことなく思い出してあげて、今にやさしく包み込んであげること。そして今の迷いも、いつかそういうやさしさに包まれる日がきっと来ることを信じて、毎日をすごすしかないのかも。

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