癒しのトランスジェンダー論

トランスジェンダーとは、広い意味では、ただの趣味的な服装のトランスから、外科手術などによる女性化状態(または男性化状態)までをいうのですが、この「から……まで」という表現には、進化論的な意味は何もないというのが重要です。また、半陰陽やら、伝説上の両性具有物語までも含めてしまいます。
狭い意味では、大きな肉体改造までは求めないその手前で揺れ動いているような人をいうのですが、ここでも「その手前」とは、1本の道程上のことではないわけです。

けれどあえて手前というのですが、なぜ手前でとどまるのかといえば、実生活上の便宜やら、健康へのリスクうんぬんの話は本質的な問題ではなくて、改造された肉体を手にしたところではたして本当の心の解放はあるのだろうかという根本的な疑問があるからだろうと思います。どちらに進むにしろ、心理学的な意味ではなく心がどう癒されるべきかという問題は避けられません。
そのことが、このブログのテーマになっていると思います。

あえて「手前」と言って一直線上にすべてを置いて見たとき、すべての行為は挫折であることを、どう受けとめるべきなのでしょう。
もっと文章を続けようと思いましたが、ちょっとひと休み (-.-)

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コメント

両国みちる : 2006年12月14日 05:22


自分自身に対してパスしているということが、重要ということでしょうか?

鳩子 : 2006年12月14日 11:55

手前と向こう側
パスは目的にならないという言い方もできますが……。
「直線上ではない」とは、たとえば、かつて西洋の歴史学みたいなものには、人類の進化は肌の色で「黒-黄-白」と進化した(3つは古代-中世-近代に対応しているとか?)という暴論がありましたが、そうでなく、それぞれの文化を自覚して尊重しあうことといえるかもしれません。が、あまりに最近の用語で括ってしまうと、その範囲の文化そのものが見えてこなくなりますので、それはGID、TSなどの括り方自体が本質的には誤りであった可能性があります。

鳩子 : 2006年12月14日 22:55

過去の評価
個人の人生のあしあとを「直線上」に置いたときも、
過去を隠さずに自身で評価できるのが、理想だと思います。

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