雨上がりの大学通り

 雨上がりの秋の大学通りを、一人の初老の紳士が、ぼんやりと歩いていた。黒っぽいコートの背中を少しかがめて、路地の古書店や喫茶店の店先を横目で懐かしそう眺めながら、少し立ち止まってはまた歩き出し、ときどき街路樹の梢を仰ぎ見ては、ため息をついていた。
 歩道をすれ違う学生たちは、老人には目もくれずに、みな急ぎ足で通り過ぎて行った。そんな中に、一人の背の高いすらっとした、花柄のワンピースを着た30歳くらいの女性が、こちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
 ……私の高校時代の英語教師も、よくあんな服を着ていたな
 と、彼は懐かしく思った。
 ……待てよ、ここは私の通っていた大学通りではないか。高校はここではないし、彼女があの教師であるわけがない。
 否定はしてみたが、もともと学生時代を懐かしんでの今日の散歩である。心のタイムスリップが過ぎてしまったのかもしれない。
 ……しかし、あれから40年もたっているのだから、彼女があんなに若いままでいるはずがない。
 そう考えてみると、老人は自分の勘違いについ苦笑せずにはいられなかった。
 そのとき女性は、老人の横を通りすぎた。突然含み笑いをする老人を、けげんそうな顔でちらと見て、通り過ぎて行った。
 老人は一瞬、女性と目があって驚いた。彼の高校教師ではなく、大学時代の1年下の、彼がほのかな恋心をいだいていた忘れることのできないあの彼女に間違いないと、思えた。
 傍らの喫茶店の店先の看板も、昔のままの懐かしさだった。
 ……この店でサークルの仲間とみんなで、遅くまでよく語り合っていたな。彼女はいつも控えめな聞き役だったが、いつも明るい笑顔でみんなの憧れのまとだったっけ。
 老人が後ろを振り返って見ると、彼女はもう10数メートル先を歩いていた。
 ……あの後ろ姿。彼女に間違いない。あのころの私は、彼女とは親しく会話もできず、いつもこうして後ろ姿を見送ってばかりだった。
 老人は、その女性を追いかけて声をかけてみたい衝動にかられた。しかし……と、また思った。
 ……しかし卒業からもう30数年もたっている。彼女であるはずがない。それに背もだいぶ高いようだし……。しかしよく似ているものだ。あんなに似ている人もいるはずがないではないか。もしや彼女の娘さんだろうか。だったら背が高いのもうなづけるわけだ。
 老人は妙に納得して、後を追うのを止め、再び歩き出した。学生時代の美しい思い出は、そのままにしておいたほうがいいのだと思った。
 ……そういえばだいぶ前に噂に聞いたことがあるな。彼女の子どもももう学校を卒業して立派にやっているって。コンピュータの学校だったかな。たしか一人息子で……。
 老人は街路樹の梢を見上げて、またため息をついた。
 ……一人息子? よせやい。誰だい、まったく変な噂を吹き込みやがって。あんなに魅力的な女性じゃないか
 老人が再び振り返ってみると、女性の姿はもう彼方へ消えてしまっていて、空にはぼんやりと虹がかすんで見えていた。

Trackbacks

コメント

< 細く見えた理由 | top | 肘の関節 >