ガラスの靴 その2

6/30「ガラスの靴」のところで書いたことは、薬物や外科手術による肉体改造よりも、動作や服装による女性らしさを重視してきたということなのでしょう。すっかりなりきってしまった上での動きの中から、ガラスの靴がこけたり脱げてしまうことがあってもしかたないというお話。

昔の先輩たちは女性らしい身のこなしを身につけるために涙ぐましい努力をしたらしいです。
最近読んだ細川涼一という歴史学者の本に、「カラダに魂が入ると、それが身になる。魂が抜ければただのナキガラ。カラダだけなら中身のないカラっぽの存在」というような意味のことが書いてありました。身は、「生き身」というように、また身振り、身のこなしとか、ダイナミックで生き生きとしたものなのでしょう。それが一番大事な中身ということ。カラダでなく身がいつも生き生きとしていることが大切で、そういうことから芸能やいろんな文化を形作って来たのでしょう。

 性同一性障害関連の用語に「性別違和感」というのがあります。つまり魂とカラダの不一致のことで、トランス女性でいえば、カラダが女性的でないことへの違和感のことのようです。あるべきカラダに魂がちゃんと入ってないというか、中途半端な身なのでしょう。
 先輩たちはカラダでなく、身をそれらしくさせることで、ひいては魂も充実させることができたのかも。

 衣服や靴は、カラダの一部なのです。衣服と靴だけではからっぽですから。衣服とカラダの違いとは、身とカラダの違いほど大きなものではないかもしれません。
 そうやっているうちに、わざと靴を脱いで置いてくることもあるかも。

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コメント

まりっぺ : 2005年7月4日 17:25


鳩子さんが女性の服を着ることも、私がロリータ服を着ることも方向性は別でありますが、すごく似ていることに気づきました。

身体のコンプレックスを覆い隠すことと、それよりも身なりによって魂を充実させる・・・自分らしさを取り戻す、、この点においてまったく一致しますよね。

鳩子 : 2005年7月5日 02:22

身体のコンプレックスといえば
鳩子の場合は、トランス系の多くの人から見ると、逆にうらやましがられてる体形みたいです。
着替えで最初に下着をつけて鏡を見たとき、違和感がなくて、最初の心の充実があります。その気持ちが好きなので下着姿の写真も公開してますけど、羞恥心がないわけじゃないんです。
服装だけで自分らしさが取り戻せる、マジックみたいですよね。

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