当世SM事情

 ぼんやりテレビを見ていたら、サドとマゾについてどなたかがコメントしていました。最近はお茶の間でもこういう言葉が聞かれるわけです。そのコメントでは、「自己の快楽を追求するのがM、広い視野に立つのがS」というようなことを言っていました。そういう見方もあるのかなと思いました。

 けれど、むかし読んだ小説や文芸評論では、一般に女性はサド的であり、男性はマゾ的な傾向があるというのが普通の認識でした。男性は軍隊にも適応しやすく、社会では働き蜂のようなタイプが多いですし、女性は女王蜂とは行かないまでも自分のホームグラウンドを守って上手に支配するものでしょう。そういうSM論は、一種のジェンダー論のようなもので、文学青年などのあいだに流行した時代があったのだと思います。

 その後、日本の商業ポルノの世界では、写真集でマゾを演じるのは女性ばかりです。やはり女性の写真集でなければ売れないからでしょう。そして最初からそういう写真集だけを見てきた世代の人たちは、SMとはそういうものだと考えるほかはなく、「広い視野に立つのがS」といった自己弁護的な見方をするようになったのでしょうか。日常のストレスを暴力的に昇華しようということだけが動機ではないとは思いますけれど……。今のマゾ系の写真サイトを見ると確かに「自己の快楽の追求」という言葉に妙に説得力を感じてしまうほどです。映像優位の社会における一つのバリエーションといったところなのでしょう。

 男性はおそらく謙譲の美徳やら武士道やらその他もろもろの倫理観を最高のものとして論理的に思考しているうちに、言い訳と謝罪でかろうじて自我をささえるようになって、どんどんマゾの世界へはまりこんでいってしまうのかもしれません。
 女性のサドは、その本質は愛と憐れみなのです。ただしその愛は、ときには母子無理心中のように我が子さえをも殺してしまいたくなるような衝動を秘めたもので、あるいは……食べちゃいたいくらい可愛い、ということにもなるのかも。

(鳩子のホームページ、1月21日のコラム「SM談義」を改訂したものです。この件については知性のないトラックバックはご遠慮下さい)

Trackbacks

コメント

cocco : 2005年6月12日 21:28

かっこいいーv
鳩子ちゃん、ボンテージ姿かっこいいーvv
広い視野に立つのがSってうなづいちゃった。
Mの快楽をうまくコントロールしてあげられないとSはつとまらないと思うから。
映画でいえばMが俳優、Sが監督みたいな役割分担がありそう。
ちなみにcoccoちゃんはSそうでMそうで両方の欲張り。
だけど見た目と雰囲気で、よく「僕の女王様になってください」みたいなこと言われちゃう。ほんといい迷惑なの。

鳩子 : 2005年6月13日 00:41

coccoちゃんだ(#^o^#)
coccoちゃんのブログをずっと見てたので、coccoちゃんがやさしい大人の女性だということはもうわかりました。
それから「愛」が「虐」にもなってしまうものなら、「加虐」は「加愛」の形をとりもどすこともできるかも。SとMは究極は一つなんていう人もいるし……
coccoちゃんのブログの一部を見た人はそういう雰囲気に感じるかもしれないけど、「見た目」もなの??

cocco : 2005年6月14日 00:49

そうなの〜☆
coccoちゃんも鳩子ちゃんがすてきなトランスレディだってこと、よくわかったよ。
coccoちゃん見た目は、服によってアイドルにもなるし、女王様にもなるみたい。
普段でも仕事のときジャケットの下はボンテージだったり、スポーツするとき以外はピンヒールだったり、
街であった知らないM男性から調教のお誘いされたり、知り合いのM男性からハイヒールねだられたり、
間違えられることほんと多いの。
coccoちゃんの仕事用バッグには鞭と蝋燭とバイブが入ってるて勘違いしてる人もいるんだ。

鳩子 : 2005年6月14日 01:21

トランスレディ!
ミスターレディよりいい言葉だと思う。
検索で調べたら、アニメかゲームのページと、甲斐よしひろの歌のタイトル(歌詞まではわかりません)、実際の人をそう呼んだ例はないみたいです。
やっぱりcoccoちゃんはそういう才能がある人ですよね、そういうのが必要な職業みたいだし。
ちょっと流行らせてみても面白いかも。
トランスのセカイでは何故かM志望の人がやたらと多くて、それが普通と思ってる人から、たまに鳩子にもメールが来ますけど、ていちょうにお断りもうしあげています。どうせ断るならM男性のを断ってみたいです。

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