顔やからだを描かない物語

 秋夜長物語で梅若が最初の夜を迎えたとき、着衣やしぐさのほかに、髪や黛(まゆずみ)についての描写がありました。日本の古い物語では、顔かたちや肉体の描写はあまりしないのが普通ですが、この物語はそれだけで充分まめかしい表現になっています。こういう物語は子どもむけのものではありません。もしかすると、現代のそのての小説と同じように、読む人を興奮させたのかもしれません。

 現代では、普段は着衣の下に隠れている肉体の部分についての細かい描写をする小説があります。通常は見ることのないからだの部分ということです。昔は他人の顔もあまりじろじろ見なかったわけですから、その描写をすることもないわけで、この物語のようにあえて描写するには特別の意図があってのことということになります。といっても黛ていどのことですけれど。

 身につけているものや髪型くらいしか他人を見ないので、その範囲で相手の性別を判断することになります。まあ100%そうでないにしても、古い時代はそういった要素が多かったので、トランスするのも容易であったと想像できます。現代は性差のアピールを誇張することに慣れていますから、トランスする人もハンディが大きくなるのでしょう。

 仏像は、本来は人目に触れさせないものですから、姿かたちをかなり精密に作ったものもあります。仏像の目的はなんとなくわかるような気もします。古い肖像画の中にも精密なものがありますが、何のためにそこまでしたのでしょう。単に大陸文化の影響なのか、よくわかりません。

Trackbacks

コメント

男女平等△推進員 : 2005年5月9日 01:53

仏像って中性的ですが・・・
詳しい知識はありませんが、弥勒菩薩など美しい顔立ちで曲線美の衣服や体から、あえて中性として表現したのだろうかと思ってしまいます。(勉強不足でほんとうのところはわからない)
性差のアピール・・・心や魂や体や行動や服飾・装飾や言葉や・・・果ては芸術作品まで、この文化について、どのように整理して考えればよいのか、まだまだ勉強不足の私です。
鳩子さんに、いろいろ学びたいと思います。

鳩子 : 2005年5月9日 18:10

Re:仏像って中性的ですが・・・(05/08)
両性具有の美ということなのでしょうか。
性差というのも、よくわからないですけど、普通の男性も女性も、両性具有的なところがある人が魅力的だと思いますが(私としてはですけど)・・・

雨庭みどり : 2005年5月14日 21:57

法悦…
どこまで表現するか、という問題は、時代感覚に
左右される要素が大きいですよね^^。
情報量を多く出すことが、より詳細な表現だとは
限りません。文字の表現では特にその要素が強い。
時代感覚との相対関係の中で微妙なニュアンスが
出るのだろうなぁと思います。
時代的な感覚を超え過ぎても逆に理解されないし、
時代感覚の内にあると、凡庸な表現と言うことに
なるのでしょうから、黛の様子を描くというセン、
きっと人々の官能的な琴線に触れたことでしょう…
節度をもって官能を描く…いつの時代でも難しい
作業なのでしょうね^^(知ったかぶり…m(_ _)m)

鳩子 : 2005年5月15日 09:35

時代感覚というのは……
私はちょっと鈍いかもしれませんけど……。
あからさまな表現とは違った、別の雰囲気で艶っぽい表現というのが、いろんな時代にあったように感じます。だから古い時代のものでもじゅうぶん感じ入ってしまうんだと思います。
人によっても感じ方の違いがありますよね。同じ人でもここまで書いちゃうの?っていう部分もあれば、なんでここで照れるの?と思ったり……いろいろですよね

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