性と責任

  性差心理学というページ http://iwao-otsuka.com/fm/indexfm.htm を見たら、責任をとるのが男性、とらないのが女性、といった書き方がありました。
 どんな意味でそう言うのか、よくわからなかったのですが、ページ全体を見た印象が、なんとなくアメリカの西部劇に出てくるような家族のイメージを思い浮かべさせるものだったので、あちらの研究の影響もあるのかと、英語の辞書を調べました。

 英語では責任とは、外部の社会から課せられた責務のことをいうようです。毎日毎日、その日の責任を果たし、やすらかな夜を迎え、神に感謝をささげるイメージです。社会の背後には神があるのでしょう。
 社会の責務とは、経済活動や税や賦役などのことをいうようです。確かに男性を中心に担ってきたという過去の事実を言っているのでしょう。
 家事などは外部からの責務ではないのですね。

 今の日本で「責任」といえば、責任感であるとか、道義的で個人の内面の心理ばかりに目が行ってしまいます。情緒的な民族なのでしょうか。
 あるいは、責任の所在を明らかにしろとか、責任をとるとか、責任者であるとか、まるで立場の低い多くの人々には縁のないものであるかのようにもとらえられています。つまり、「下に対しての責任」なのです。ただしその背後に「神」があることは共通しています。つまり「お客さまは神さまです」というあの神です。これはかなり得体の知れない神さまですね。
ジェンダーの問題にまで行きませんでした。また、タイトルがおおげさすぎました。

Trackbacks

コメント

男女平等△推進員 : 2005年5月18日 02:55

あ、トラックバックというところをクリックしてしまった
すると、どうなるのでしょう?ごめんなさい、悪気はなかったのですが・・・ただクリックしただけでは、どうにもならないでしょうか?
それはそうと、私は、この手の発言をよく耳にしますが頭がいたいです。なぜなら女性自身が「できれば責任が重くなるような男女平等な社会は望まない」などと発言したりするためです。実質的に性差で責任の重さが変わることはない。人間としての責任は、老若男女、死ぬまで平等である社会を私は目指します。

鳩子 : 2005年5月18日 11:24

トラックバックをクリックしても
コメント欄に書き込めばコメントですね^^ゞ
責任については欧米型のようにというか、自分の守備範囲をきちんとこなすのが責任であるというだけでいいと思うのですが……。そういう責任には重いも軽いもないわけですし……
日本人のあいだでは、規則や決りごとはあっても、それとはぜんぜん関係ない場所で重要なものごとが決められて行きます。一部の押しの強い連中を相手にナアナアでうまくまとめるのが良い責任者みたいな……
重い責任というのも結果論のことで、成果主義みたいなところもあります。
欧米の主張を真似て男性社会はこうだったと言っても、日本の男性がぴんと来ないのは、鈍いからではなくて、日本の社会の質が違うからなんでしょうし…… ^^ゞ

鳩子 : 2005年6月6日 06:11

本文中のURLのページにある
「男性解放論」を読んだらイマイチでした。主張のように確かに日本のフェミニズムには欧米のものを無批判にあてはめたようなところもありますが、日本の社会を一貫した母権制社会とみなすのも極端でしょう。
 古い時代は母系的な要素が強く近世になるにしたがって父系的な要素が目立ってきたようなところがあります。家の神を始め小さい神々は表だっては敗れていったのでしょうし、たぶん男性のほうが収入が多くなったのが大きいのではないでしょうか。

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