カメラの前で微笑んだ日


数人の女子中学生のなかに、大人と会話するのに微笑みを絶やさない子が一人だけいました。聞けば彼女はクラス委員だといいます。そういう子だから好感をもたれるのだろうと思いながらも、ちょっと大人びた子なんだろうなとも思ってしまったのは、他の子たちがあまりに無表情だったからです。
 小学生や幼稚園の子どもは、カメラを向けられても、きょとんとした顔をするのが普通です。最近は少しは違うのかもしれませんけれど、意味もなく微笑みを浮かべることができるのは、大人であり、女性たちが比較的多いのでしょう。
 と、思いながら、ふと自分の幼い日の写真のことを思い出しました。子どものころの私の写真は、いつもかすかに微笑んで写っているのです。写真写りの良い子だと言われていました。でも本人には微笑んでいるという自覚はありません。道を歩いているときなど、ときどき年上の男の子から、「さっきオレの顔を見て笑ったろう!」と詰め寄られたことが何度かありました。そう言われると本当に困ってしまうので、ていねいに弁解しましたから、暴力をふるわれたりしたことはありませんが、その後、その男の子とすれちがうときは、とても恐い思いがしました。
 実は最初に述べた女子中学生について、少しませた子のような印象を持ってしまったのですが、よく考えてみれば自分の子どものころもそうだったのかもしれません。別に世間ずれした子ではありませんでした。ふだんの生活もそんなに楽しいことばかりあったわけではありません。でも、なぜか、遠い日の私は、どこかに向かって微笑みかけているのでした。

「読書」と「おしゃべり」

 最初はホームページの「読書の楽しみ」と「おしゃべりコーナー」を"二大コンテンツ"にしてゆく予定でした。「読書」は歴史文学漫画そのほかのページ、「おしゃべり」は日常的なテーマで、プライベートなことや美容・健康などハウツーもの風な内容。

二年目の昨年の前半は両コーナーの更新がままならず、それではいけないと、9月からほぼ毎日の日誌コラムを続け、今は2つのブログのかたちになっています。コンテンツでなくブログ日記になりました。

そのうちテーマ別に拾い出して訂正などを加えて、「二大コンテンツ」の中に再編していければと思っています。

鳩子のコラージュ

鳩子のコラージュは、ホームページを始めた当初からのもので、その後もあまりかわり映えはありません。確か2000年の世紀が変わるころ2〜3日のあいだだけ夢中になって仕上げたもので、その前にも後にもそんなに夢中になった時期はないのです。
 当時一部で流行っていたアイコラに影響されて、胸だけ借り物の画像も少し作りましたが、つなぎめがはっきりわかってしまう下手なものです。
新作としては「奥様は魔女」と「シンメトリー」の2点だけです。
 その後も「裸のマヤ」とかのアイデアはいくつかあったのですが、ふさわしいポーズの自分の写真がありませんし、他には著作権の関係でアイデアだけで終わりになったものも多いです。
 方針としては、それらしい風景画像で現実らしく作るのではなくて、非現実の空間を表現することが眼目になっています。リアルの追求ではないので、加工技術がなくても違和感がなく、見たときのインパクトもそこそこあるかもしれません。

猫の日

こんばんは(=^・^=)/ 2005/02/22/02:22:19 No.223

さて今日は・・・猫の日でしたね ^^ゞ
これから画像をアップします。
3秒だけ早すぎたかも ^^;


補足 よそのBBSへの投稿でした。setunaさんのところだったかも? 「No.223」も惜しかったですね

鳩子の詩

昨年9月4日のDiaryに似顔絵のことを書きました。写真なら「どこからどう見ても女の子だ」なんて、感心してじっくり見てくれる人が多くても、似顔絵に描かれるとただの女の子の絵なので、あまり関心をもって見てもらえなくなるというお話。
鳩子の詩集も、女の子になりきって書いてる詩はあえて載せてないのです。しょせん素人の書くものですから、そういうのでないものを載せたほうが独自の味わいを出せると思ったのです。でも今後は未定です。
女性の視線から自分の中の男性部分を見たり、少年の日を振り返ったり、それから今の視線から過去の自分を二重化して見たりで、二人の自分が出てくることが多いです。

昨年の9月、10月ごろのDiaryを拾い読みしてみたら、内容もわかりやすく、文章もやさしい感じがしました。最近ちょっと急いで書くせいか、わかりにくい文章が多いと思うので反省。
(当時のDiaryはHPの1ページの形式だったので、その日の日記を書くとき、前日のものにも目を通してわかりにくい部分は訂正してました。CGIやブログでは、その日の部分しか目に入らないシステムなのです)

江戸時代の女性〜杉浦日向子『お江戸でござる』

 ワニブックスの『お江戸でござる』は「杉浦日向子監修」となっていて、NHKの同名の人気番組の中の「おもしろ江戸ばなし」のコーナーの内容が、本にまとめられたものです。「かかあ天下」というページを読んでみました。
 江戸の町では女性が大事にされたそうです。女性の人口がかなり少なかったとありますが、地方の男たちが職を求めて江戸に出て、そういう長屋住まいの男たちがたくさんいたためと思います。ですから嫁をもらえない男性が多くなるわけで、お上も女性は二度以上結婚することを奨励したとか。男性が多いということは、髪結いや女中など女性の仕事の需要も多く、共稼ぎは当然ということになって、男性も鍋や釜を磨いたりの家事労働をよくしたとか。男子厨房に入らずとかいうのは明治時代以後の軍国思想によるものなのでしょう。
 以前は時代劇などで男が「三くだり半をたたきつける」という言いかたがありましたが、それは「三くだり半」の意味を取り違えた間違いだったという理解が広まり、今はあまり使われません。女性が自由に再婚するために必要な離婚証明書として、男性がやむなく書かされるものが「三くだり半」ということです。明治以来の男性優位思想が歴史をも見誤らせたわけで、この「三くだり半」以外にも常識と思い込まされてきた固定観念は他にもたくさんあることでしょう。
 江戸の女性にとっての理想の男性は、「おもしろくて家を明るくしてくれる男性で、収入はあまり関係ありません。自信のない男性は、駄洒落をいくつか習ってから嫁をもらいます」ということだそうです。駄洒落も習うものなんですね。

小股の切れ上がった

 「小股の切れ上がったいい女」とよく言います。
 その意味について、あるいは「小股」とは何かについて、いろんな説があります。そういういろんな説を調べあげた人がいます。
このページ小股が切れ上がる

 接頭語の「小」は、「小首をかしげる」「小耳にはさむ」など、そういう首や耳があるのではなく、「かしげる」や「はさむ」にかかって「少しかしげる」「少しはさむ」という意味だとある国語学者が言っていた記憶があります。
 では、「こ憎らしい」とか「こきたない」「こっぱずかしい」という場合も「少し」の意味なのでしょうか。そうではなく、「こ」をつけないでそのまま言うのはストレートすぎて、粋でないということなのではないでしょうか。「小」をつけたほうが「粋」、というよりやはり「小粋」なんですね。「こ」は客観的な描写に関するものではなく、話し手の羞恥心などの感じ方の問題なのでしょう。

 さて、前記のページで紹介された説の中で、いちばん色っぽい説明のあるのは、杉浦日向子さんの説です。
「膝から腿のあたりが切れ上がっていて、ちらりちらりとすそが開いてたいへん色っぽいわけです。そこへ風でも吹こうものなら、「小股」があらわになってしまいます。(杉浦日向子 ぶらり江戸学)」
 「股」にはからだの部分のほかに袴などの着衣の「股」があります。着物には股はありませんが、女性が着物で歩くときに裾がちらりちらりと開いて、その開いた部分が上に切れ上がったように見えるので、その部分を「小股」と呼んでもいいような気がします。けれども風が吹いて初めてあらわになるのが小股のようではあります。
 もう一つ気になるのは折口信夫の説です。
「女陰の陰裂の長さ(折口信夫)」
 本当はその通りなのでしょう。これは本人の発言を筆記した人がいたのでしょうが、その部分だけが引用されたり伝聞されたりで、粋な表現では伝わっていません。

http://plaza.rakuten.co.jp/yumecollection/diary/200506170000/(「困った話」・・ではなくて「小股」のお話 --Yume Collection)

★追加 杉浦日向子さんの説では
江戸時代の着物は今よりずっと裾が開きやすく、風が吹くと太ももがちらちら見えることもあったそうです。小股が見えてしまうこともあったとか。
小股が切れ上がっているというのは、横から見たとき太ももから足首までがS字型にしなっていて、前から見れば太ももが細くて間にすきまがあり、つまりO脚ぎみなのですが、歩くときの裾さばきがとても綺麗で色っぽく見えるんだそうです。

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