阿豆那比の罪、性別の根拠

日本の古代に阿豆那比(アズナイ、アヅナヒ)の罪というのがあり、男色ないし男性同性愛の罪のことだと言う人もあります。
仲の良かった神官どうしの関係らしいので、神官ならその服装はどうなのかしらと、日本書紀という本を確認してみました。

『日本書紀』によると、神功皇后が反乱勢力を攻撃しようと紀州まで来たとき、昼間だというのにあたりは真っ暗闇となりました。土地の古老が言うには、こういう変事を阿豆那比の罪というのだそうで、二つの社の神官を二人一緒に葬ったのが原因だといいます。一人が亡くなったときに、親しかったもう一人が泣き悲しんで、先に葬られた死体のそばで自殺したために、そのまま合葬したとのことです。そこで改めて村人が二人を別々に埋葬しなおしたら、日が輝き始め、昼と夜の区別も元どおりになったというお話です。

服装のことは書いてありませんでした。それどころか、二人が男であるとも女であるとも書いてありません。女どうしかもしれないし、書いてないんです。

なぜ男性どうしと信じられたのかはよくわかりません。まして古代に男色が罪だったなどという話にはまったく根拠がないようです。なぜなのでしょう。もし江戸時代の初期からそう言われたとするなら、武士の殉死を廃止する目的で言われたものでしょうし、幕末のことなら、たとえ罪を犯してでもという急進的な武士の感情からきたものなのなのかどうか・・・と思ったら、ネット情報ではまだ幕末に近い江戸時代後期の国学者たちが、アヅナヒ=同性愛説を言い始めたことだというのがありました。
日本書紀では、二人の関係を「為交友」、合葬を「同穴」という漢字で書かれていることから、文字からの連想がふくらんでしまったというのもあるかも。

この罪については、男色説のほかに、別々の社に属した神官だったことが問題だったという説、また自然現象をも罪と言ったことから単に日蝕のことではないかという説があります。

ところで古い文献に出てくる人の性別が明記されていないとき、どういう方法で推定されるのでしょうか。
埴輪の人形の性別は、髪型がミヅラなら男性、それ以外はとりあえず女性ということらしいです。
文献の場合はいろいろ考えられると思いますが……
職業によって性別がわかる場合とか、恋人や夫婦関係にある二人の一方の性別が明らかな場合などはわかりやすいと思います。といってもそういうのは社会的な性役割のことでしょう。ある男性の妻だからといっても、生物学的な性まで女性とは限らないはずです。

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コメント

メギドの丘公園 : 2006年3月20日 12:34

詳しく知らないのに恐縮です
以前どこかのHPに書いてあったのですが。
同性愛を最初に厳しく罰したのは、中世の教会で。頻繁に死刑まであったらしいです。
その後、日本は明治維新の時に、欧米から野蛮な国と思われたくないがために、国をあげて男色禁止にしたらしいです。
そこで、ここから先は、何の根拠もない私のかんぐりなのですが。
当時教会内とか幕藩体制の中で、美貌とその手の手練手管で出世してゆく人達を嫉んだ勢力の、陰謀なのではないかと、考えております。
確かにローマ帝国時代の、同性愛に名を借りた性の乱れは、そうとうにはなはだしかったらしいですが。
「同性愛者」だけにその罪を特化するのは、なんとなく教会の後講釈の臭いがするのですが。

鳩子 : 2006年3月20日 15:34


むつかしいお話ですよね。
1つには、異教徒を排除するためというか、つまり習慣の異なる人たちがいてそれが気になりだしたというのは、交通が発達したからなんでしょう。
自慰も罪悪、夫婦でも子供を作る目的以外の性行為は罪悪という考えによって、人間の毎日の生活は本当に罪深いことになりました。他にもたくさん罪があって、そこから救済されるためにお布施をたくさん納めるようになったということは、経済的に豊かな人が増えたのかも。悪いことをしてお金儲けした人も救われてしまって、お布施が多いぶんだけえらくなれますし(ちょっと見方が違いますけど)
武士の妬みの話は、幕末の長州あたりにありそうな気もしますけど、ぜんぜんわかりません。でもどっかにありそうですよね

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